第8話 土管の中の少女

 オレが恭子センパイと出会ったのは、シュウと仲良くなり、しばらく経った頃だった。

 ある日の放課後、シュウが秘密の場所を教えてやる、とオレを誘った。

 夕方になれば、綺麗な夕焼けが空いっぱいに広がる絶景がおがめるらしい。


「何か有名な所なんか?」


「おう。バコエンという名の聖地や」


 シュウの後について、初めてその公園に足を踏み入れた瞬間、その名前の由来が分かった。

 伸び放題の雑草の隙間から、おびただしい煙草の吸殻が湿った匂いを漂わせていた。この場所は学校の愛煙家たちの間で代々伝わる、喫煙の名所だったのだ。


 公園というよりはもはや空き地で、ふたつあるブランコの片方には座る板もなく、短く切れた鎖が鉄柱に巻きつけてあった。水飲み場の蛇口には、栓をまわす取っ手が無かった。使うあてのない木材や鉄パイプが放ったらかしの状態で、隅に積まれている。

 奥にどってりと横たわる、潜水艦をした土管の遊具だけが、唯一のんびりとした印象を与えている。

 

 この辺りは人通りも少なく、おまけに今日は時間割りの都合で、上級生に会う確率も少なかった。

 

 しかしこの公園には、ある奇妙な噂があった。


 日が暮れて遅くまでこの公園にいると、少女の霊を見るという。無残な死を遂げたという少女の霊は、いつまでも公園で遊んで家に帰らない子供をどこかへ連れ去って行ってしまうというのだ。


「その昔、ここは墓地やったって噂や」


「ふうん……」


「ほんで、そこに出るらしいわ」


「出るって?」


 柄になく深刻な表情で話すシュウが、これや、と胸の前でだらりと両手を下げた。


「誰もいないのにブランコが勝手に動いたり、土管の中から石か何かで叩く音が聞こえるんやって。た・す・け・て、ってな」


 そう言いながら、シュウは土管の遊具に設けられた、コンクリートの足場に腰掛けた。


「ま、ホントの話かどうか分からんけど……」


 ふいに誰かの話し声が聞こえて、シュウが土管によりかかっていた身体を起こした。すると公園の外から、他校の生徒がこっちを見ている。

 男たちは、短ランにボンタン姿。女は丈の短いセーラー服の、不良のファッションに身を包んだやからだ。不良たちはダラダラと歩きながらオレたちに近付き、金網越しに声をかけた。


「さっき茶髪の女がここ通らんかった? あんたらの学校の」


 赤毛の女がその風貌に似合わない、甲高い声で言った。男たちはポケットに手を突っ込み、オレたちをジロジロ見ているが、喧嘩をふっかけてくるような雰囲気はない。


「さぁ、見てねーけど。てか、オレらの学校のモンに、何の用?」


 シュウが返すと赤毛の女は、いや、知らんのやったらいいわ、とぶっきらぼうに言い、その場を通り過ぎていった。


「おい、見たか、今の」


 オレは三人の後ろ姿を見送りながら、少し興奮して言った。


「横の奴やろ? 今どき、めっちゃ綺麗なリーゼントやったな」


「いや、そうじゃねぇ……」


「じゃあ、何?」


「手に持ってたやろ、スカーフ。あれうちの学校のやつじゃねぇ?」


 赤毛の女はその拳にぐるぐると白いものを巻いていた。最初は包帯かと思ったが、よくみるとそれは白いスカーフだった。

 

「もしかして、最近流行ってるスカーフ狩りってやつか?」


「たぶんな。それと今の女、自分の制服のスカーフ無かったやろ」


「そうやったっけ?」


「お前、リーゼントに気を取られすぎや」


「しょうがないやろ、昔の床屋のポスターみたいにキマってたんやから」


 シュウは煙草に火を点けて、半分馬鹿にしたように笑う。そして、あぁ、そうか、そういう意味か、とひらめいたようにオレを見た。


「自分のスカーフが無くて、それでうちの学校の女子、探してるってことは……」


「ほうや。たぶん、ミイラ取りがミイラになったっていうことやろな」




 この公園に来た本当の目的は、今の時期にしか見られない絶景と言ってもいいほどの、貴重な景色を見ながら一服するという他愛ないものだった。

 ここに来る道すがら、今日を逃すと天気の都合もあって、いつ見られるとも限らないとシュウは言ったのだ。


 しかし、三本目の煙草を吸い終わる頃、シュウがぼそりと言った。


「わりぃけどオレ、これ吸ったら帰るわ」


「えっ、何で?」


「いや、すっかり忘れてたんやけどさ、今日親父が帰って来る日やったわ……」

 

 話によるとシュウの親父は親父は単身赴任で、滅多に家に帰ってこないらしい。

 

「帰って来た時くらい一緒にご飯食べてやらんとな」


 シュウは父親の話をするのが恥ずかしいのか、犬の世話でもするような言い方をする。


「梨九も帰るやろ?」


「いや、せっかくやし、もうちょっとゆっくりしてくわ」

 

 空は淡く茜色に染まりかけ、もうすでに美しい景色を予感させる空気に満ちている。


 するとシュウは、せめてもの罪滅ぼしだと言って、残り少ない煙草とジッポライターをオレに渡した。


「サンキュー」


 オレが喜んで手を伸ばすと、シュウは油断ならないといった目で睨み、ジッポーはちゃんと返せよ、と慌てて言った。


 じゃあなと手を振って煙草とジッポーをポケットに入れると、さっそく足場を頼りに、土管のてっぺんに登った。


 自分の身長程の高さがある土管のてっぺんは、辺りの景色が一変する。

 道路を挟んだ向こう側は、見渡す限り水田が続いていた。山の稜線りょうせんに浮かんだ夕日は雲を茜色に染め、キラキラ光る水田に映し出され、ゆっくりと流れて行く。


 確かに噂だけのことはある。これほど寂れた公園の土管の上からこんな景色が見られるなんて、誰が想像するだろうか? 


 水田をながめてしんみりした後、ふっと力を抜き、土管の上で仰向けになった。

 空に浮ぶ千切れ雲が、色を付けた綿菓子わたがしのようにふわふわと右から左へ流れて行く。

 

 オレはせっかく貰った煙草を吸う事も忘れ、その流れる雲を目で追った。

 しばらくながめていると、まるでこの土管の遊具の上にいる自分が、あてもない何処かに流されているように錯覚する。

 

 そんな浮遊感を味わいながらオレは自分でも気が付かないうちに、浅い眠りに落ちていった。


 どれほどの間、眠ってしまったのだろう。カチカチ、という耳障りな音で目が覚めた。辺りは薄暗くなり、さわさわと雑草の揺れる音が大きくなっている。オレはゆっくりと身体を起こした。


 しかし身体を起こしてしばらくすると、音は聞こえなくなった。特に気にも留めず、ポケットから煙草を取り出し、口にくわえる。そしてジッポライターのふたに指をかけた瞬間、思わず息をのんだ。


 たすけて……。


 くわえたはずの煙草がポロリと落ちて、土管の上を踊るように転がっていく。


 小さな声だが、はっきりと聞こえた。

 辺りを見回したが、速度を増す夕暮れに静まり返った遊具が見えるだけだ。するとまた、カチカチ、と石を打ちつけるような音。そしてすすり泣くような声が、土管の中から聞こえはじめた。


 マジかよ……。


 オレはまた辺りを見回した。しかし土管の周りは薄暗く、音がどこから鳴っているのか、正確な位置もつかめない。

 オレは落ち着きを取り戻すために、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。


 シュウが戻ってきて悪ふざけをしている? いや、そんなはずはない。

 でもきっと、誰かのいたずらに決まってる。


 そう思うと、怖いことよりも、正体をハッキリさせたい気持ちのほうが勝ってしまった。テレビで見る怖い話の主人公の心理は、案外そういうものかもしれない。


 土管の周りをぐるりと歩けばその正体を突き止める事が出来る。しかし、ばったり出くわすのはゴメンだ。

 

 オレは身体の向きを変え、ざらざらとした土管の凸凹に足をかけた。意を決して、そのままゆっくりと足を下ろしていく。


 二歩、三歩と下がっていき、最後の窪みに足をかけたその瞬間、全身に衝撃が走った。潜水艦の窓を形どった穴から白い手がにゅっと突き出し、オレの腕を掴んだのだ。


 「ひっ!」


 やけにひんやりしたその手を反射的に払いのけた。その拍子にバランスを失ったオレは、今までしゃがんでいた雑草の上に派手に転ぶような格好で尻もちをついた。


「イテテ……」


 軽いショック状態で、その態勢から動くことができない。すると今度は、乾いた笑い声が上から降ってきた。


 ハッとして見上げると、土管の真上に、腕を組んだ制服姿の女子が仁王立ちになっている。 

 夕暮れの空を背に、その立ち姿は神々しささえ感じるほどだ。


 「せーの、よっ」


 彼女は土管を蹴って勢い良く跳ねた。


 その瞬間はスローモーションのようだった。


 宙に浮いた身体はゆっくりとオレめがけて落ちてきた。スカートが風でふわっと膨らんで、白く形の整った生足があらわになる。


 しかし顔面めがけて落ちてくる靴底に、目を開けたままでいることが出来ない。


「おわっ!」


 ドスッという大地を揺るがす振動に、オレは思わず叫んだ。

 

 一瞬しんと静まり返ったあと、仰向けになった頭の上で、砂利を擦るような音を立てて気配が遠のき、土埃の匂いが鼻腔びこうの奥を刺激した。


 恐る恐るかざした手の隙間から固く閉じた目をゆっくり開くと、その視界の先に逆さになった女のコの顔が見える。

 すると彼女はすぅっとしゃがみこみ、オレの顔を覗きこんだ。

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