第7話 再会
ビーエモに向かうオレの手には、かをりに託された手提げ袋がぶら下がっている。
中身はマネージャーセットに加えて、かをりがシュウのために買ったオールドファッションドーナツがひとつ。
歩くたび、手提げ袋の内側で、カサリカサリと音を立てる。
一緒に行こう、としばらく説得したが、かをりは頑なに応じなかった。
あんなに楽しみにしてたのに、べそをかいた後の子供のような顔をして、これだけはお願い、とその袋をオレに手渡した。
かをりは今まで、こんなふうにシュウの気持ちをつなぎ止めてきたのだろう。
未歩の一発KO的な告白とは正反対の、軽めのジャブ。
ある意味、無鉄砲な未歩に比べ、慎重なかをりの人間臭さが大人に思えた。
本当なら、このまま一緒にビーエモに行き、その帰りに未歩の誕生日プレゼントにスイーツを買う予定だった。なのにオレは今、シュウとかをりを繋ぎ止めるキューピット役を
自分の恋愛すらままならないのに、人の世話をしている場合だろうか?
告白された当初から、オレは異性としての未歩の可愛らしさに惹かれていたが、最近、ある変化が起きた。
一緒にいる時間が欲しいと願いながらも、未歩がピアノに向かう、そのひたむきさを応援したい気持ちになったのだ。
さらに自分自身も、のんびりしていてはならないと思う。
その心は、「未歩にとってふさわしくありたい」という、愚かしくも、愛しさにあふれた気持だったりする。
「君は絵が上手だね!」
小さな頃から色んな人に言われてきた言葉だった。オレにだって、人に譲れないものがあるのだ。
しかし絵を描くことは好きでも、何故か今ひとつ、本気になれない自分がいた。
オレは毎日、あれやこれやと理由をつけて、そんな現状を
その間にも未歩は、我が船を悠々と漕いでどんどん先に行ってしまう。オレの船はただ海面を漂っているだけだ。
これでは、ふさわしくありたいという想いも、無理な背伸びへと姿を変えてしまう。
それほどの差がある二人の付き合いが成り立つのは、この学園が「港」だからだ。登校すればとりあえず会える。
未歩は自分の未来のために、学園生活のほとんどの時間を費やし、オレはそんな未歩に触発されて、自分がやるべきことを見出す。
それはそれで、素晴らしい付き合い方なのかもしれないが……。
納得したつもりでいたのに、シーソーみたいに考えが揺らいで、マイペースな未歩に自分ばかりが合わせてるような気持ちになる。
しかし、こんなのっておかしいんじゃないだろうか。
未歩がオレを選んだというのに。
Emotional・Beat・Factoryと掲げてある電光看板が目に飛び込んできて、軟弱な思考は中断された。
オレは看板を眺めたまま、しばらく立ち止まる。
この手に伝わるわずかな重みに、なんとも言えない心地悪さを感じ、改めてかをりに託された任務の重大さに気付く。
万が一、ビーエモの扉を開けて、シュウと小菊がイチャついていたら、今さら何と言ってこの袋を手渡せばいいのか?
決心して地下に続く階段をおりていくと、ライヴの告知やバンドメンバー募集の張り紙で階段の側面が埋め尽くされていた。入口に近づくにつれ、低いベースのような音が際立ってくる。
短い廊下のすぐ先に、今度はカタカナ書体の店名のロゴを貼り付けたドアがある。
ノブに手をかけようとしたら、偶然内側から扉が開く。
「あれ?」
思わず声を上げた。
「え?」
向こうもポカンと口を開けている。
肩まであった髪は少し短くなり、鼻筋から頬に散ったそばかすは、薄い化粧で隠されている。
その正体は、オレの憧れだった恭子センパイだった。
「ごたぁいめぇ~ん」
奥にいたシュウがふざけた調子で言った。
「梨九~、久しぶりやね!」
「センパイ……!」
「お前、可愛いネェちゃんがいるっつったら、ソッコー来たな」
自慢のギターを膝にのっけたシュウが鼻で笑う。
「うるせぇわ。恭子センパイやったら、最初っからそう言えや」
「私もびっくりしたわ」
「オレからのサプライズです」
シュウは根っからこういうことが好きな奴だ。
「恭子センパイって、最初っからここに就職したんでしたっけ?」
「ううん。前の会社はすぐ辞めちゃって、こっちに来ちゃった」
「へぇ、知らんかったなぁ」
束の間、昔話に花を咲かせると、恭子センパイは店長に呼ばれ、スタッフルームに引っ込んでしまった。
「おい、シュウ。さっきここへ小菊ちゃんが来んかったか?」
「手塚が?」
シュウはウソかホントか、驚いた様子だ。
「十五分、いや、二十分ほど前かな」
「二十分前っていうと、ちょうどトイレ借りて入ってたわ。おっきいほうしてたんやけど、まだ臭う?」
シュウは自分の身体の周りをクンクンと犬のように嗅ぎだした。
「別に臭わねぇよ」
どうやら、手塚小菊とは入れ違いになったようだ。
「ところで入ってきた時から気になってたんやけど、その袋、何?」
シュウはめざとく、椅子に置きっぱなしの小さな手提げ袋を指さした。
「あぁ、すっかり忘れてたわ」
かをりに頼まれたと言って手渡すと、シュウは、マジ? と目を輝かせた。中からペットボトルを取り出し、さっきのオレみたいに、不思議そうにながめている。
「マネージャー志願らしいわ」
シュウは小首を傾げてしばらく考えていたが、やがて何度か頷いてニヤニヤ笑った。
スタッフルームから戻ってきた恭子センパイが、感心したようにつぶやく。
「へぇ。やるじゃん」
「こいつは気が多いだけなんすよ。このコも騙されちゃって」
オレが茶化すのも構わず、シュウはペットボトルのフタを開け、その液体をひと口飲んだ。
「冷たっ」
その声に、満足気な響きがある。
ここ、飲食禁止やで、と恭子センパイが軽く注意すると、シュウは肩をすくめ、チラリとオレを見た。しかし、怒られて嬉しがる子供のような顔で、ペットボトルを手提げ袋に戻した。
「これ、学校で渡されたんか?」
「いや、さっきそこで。もしかすると、まだ駅にいるかもしれんな」
それを聞いたシュウは、手提げ袋を乱暴に掴み、慌ててビーエモを飛び出して行った。
「ちょっと行ってくる!」
「おい、ギターは!?」
オレの声も聞こえないのか、階段を駆け上がる音が遠のいていく。
「キャーッ!」
恭子センパイはドラマのワンシーンみたいなシュウの行動に、照れたように頬っぺたに手を当て、わざとらしい歓声を上げた。
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