第6話 駅前

 約束の日、かをりとバスに乗り、駅前に向かった。

 洋菓子屋の件と、シュウが最近通い始めたギターの練習スタジオに内緒で行きたいのだという。


「シュウセンパイ驚くかな?」


 かをりはシュウに会いに行くために、オレに付き添ってもらうと未歩に断ったらしい。


「梨九センパイも一緒にバンドやるんやろ?」


「まあね」


「楽器買ったの?」


「いや。親戚の兄ちゃんが昔やってたベースをもらったんやけど……」


 バンドをやり始めたのは、正確に言うと一年の終わりごろだった。


 しかし始めてすぐ、ボーカルとドラム担当が、原付バイクのニケツが見つかり、停学を食らう。

 そいつらは停学が明けても先生に目を付けられたままで、オレたちのバンド活動自体も困難になってしまった。

 

 つまり、精一杯カッコをつけて言えば、オレたちのバンドは「活動休止状態」だ。


 それ以来、オレは家でひとり練習を重ね、シュウはたまにスタジオを借りて、アンプを通した爆音でギターをかき鳴らし発散している。

 

「楽しみやねぇ」


 そんな状態だとはつゆ知らず、かをりはわくわくした様子で、身体の隅々からきらきらと何かをき散らしている。


 かをりは未だにシュウからはっきりした言葉をもらってないらしい。

 だけど二人はいつも一緒にいて皆の公認となっている。そしてこんなふうにシュウのやる事にいちいち興味を示す。


 バスが駅前に着くと、かをりは意気揚々と歩き出した。

 放送会館前の歩道から地下道に入り、勝本かつもと書店を左手に曲がると、この街のシンボルでもある、路面電車が真ん中を走る大通りに出る。


 勝本書店入口前の横断歩道を渡った先には「フルーツの松田まつだ」があり、その隣には「梅木屋うめきやレコード店」があった。

 ビーエモはこのレコード店の地下にあり、二つの建物の間に挟まれるような形でその入口がある。


 オレたちはその前を行き交う人をながめながら、信号が青に変わるのを待った。


 信号機のカッコウのメロディーが、レコード店の入口のスピーカーと、開け放たれた店内から聴こえる別々の音楽と重なり、ごちゃまぜになって聴こえてくる。


 もう少しで信号が青に変わるという時、通行人の奥に見覚えのある顔を発見した。


「やっべ、高林たかばやしや」

 

 ずんぐりと大きな身体に、げじげじの眉毛の下の鋭い眼光。どこの学校にも存在する黒い噂のある教師。ネクタイもせず、シャツのボタンを開けて煙草をふかしている。


「逃げよ」


 かをりはすぐにオレの声に反応した。さりげなく身体の向きを変え、駅に向かって歩き出す。寄り道は禁止されてないが、堂々とお店に入るには勇気がいる。そしてどうせ早く帰れ、と注意され、後々目を付けられるだけだ。


「振り返ったらあかんぞ」


 かをりにくぎを刺し、見えなくなるくらいまで歩いてようやく立ち止まる。そろそろと振り返ると高林はまだレコード屋の前にいた。


「あかん、動いてないわ。どうする?」


「じゃあ、そこ入ろ。ちょうど喉も乾いてたし」


 かをりは少し先のミスドを指さす。


「そうやな。三十分くらいはいいか」


 店に入ると入口に近い窓側の席を確保し、オレは窓に背を向けて座り、かをりが監視役となった。

 仮にシュウが早々とギターショップを出て駅に向かって歩いてきても、この席なら分かりやすい。


「あぁ、涼しい! 天国や」


「生き返るわぁ」


 オレたちはしばらく無言になって、注文したバニラシェイクを喉に流し込んだ。


 「もぉ~。ウソ言わんといてってぇ」

  

 かをりは教室でのシュウの態度を知りたがり、オレはオーバーに盛って話す。


 未歩と付き合ってからというもの、結局オレは、かをりと一番多く喋っている。かをりはシュウといる時と変わりなく、くだらない冗談にケラケラと笑う。


 オレは友達の彼女を笑わせることは出来るが、自分の彼女を笑わせることは出来ない。


 オレは未だに、未歩が本気で笑った顔を見たことがなかった。


 付き合った当初、オレは勘違いをしていた。

 きっと未歩は恋に恋してるのだと。オレの前で自分を出せず、ただ恥ずかしがるしか方法を知らないのだと。


 しかし、思い返せば、レッスン室で初めて話した時も、恥ずかしがらず、落ち着いてオレの言うことに答えていた。そして最近では、昼休みに二人きりで話せるようにもなった。


 だけどまだ、話している途中で、パッと弾けるような笑いが起きるわけではない。じゃあオレは未歩に対して、どういう態度を期待しているのか? かをりみたいに大口を開けて笑い、はしゃぐ姿が見たいのだろうか?

 でもそれは、未歩のキャラからして真逆だ。


 学食の四人がけの席に、並んで座るバカップル。休み時間も廊下の壁にもたれ、楽しそうに話している。


 そのフタリノセカイに何故かこっちが遠慮を覚える。周りの人間に居心地の悪さを提供しながら、人目にさらされることでお互いの存在を確認し合う。 

 イラッとするが、ちょっと羨ましくもある。それほどオーバーな態度でなくてもいいから、オレだけに分かるちょっとした親密さが欲しい。

 オレがこんなふうに思うように、未歩もオレのことを考えたりするだろうか?


 いや、たぶん今、この瞬間も、流れる音符に全身全霊を傾けているに違いない。


「じゃあ〜ん」


 かをりが銅鑼どらのような声をだす。

 テーブルの上には、白いビニール袋に包まれた謎の物体。


「何これ?」


 興味を示すと、かをりは嬉しそうに中身を取り出してみせた。


「シュウセンパイに差し入れしようと思って」


 その物体の正体は、半分凍らせたスポーツドリンクだった。ペットボトルをハンドタオルで巻いて、輪ゴムで留めてある。

 おまけに半透明の小さなタッパーの中には、レモンの蜂蜜漬はちみつづけが入っていた。


「いやいや、サッカー部じゃないんやから」


「そうなの! 私、運動部のマネージャーに憧れてたんやって」


 かをりはほがらかに笑って返す。


「どうや、カッケーやろ?」


 いつだったか、お前にだけやぞ、とシュウが買ったばかりの真新しいギターを見せてくれた。


 頼んで紛れ込ませてもらったんや、と音楽学科の楽器を収納する棚から、うやうやしくケースを引っ張り出す。

 そっと開くと、黒いボディーのそれは、指紋でところどころ白く濁っていた。

 ケースの中で横たわる愛器を大事そうに取り出すと、シュウは感慨深げに、ひと通りの感想を述べた。


 やっと買えたわ、これ。

 前のは無名のメーカーやったからなぁ。

 ジャクソンジョーカー?

 お前よく覚えてんなぁ。

 でも今は、こいつがオレの相棒や。

 何っ、ギブソンじゃねぇって?

 買えるわけないやろ、高校生やのに。


 すねたように言って、ストラップを首にかけると、足を開いて低く構え、ジャラ〜ンと弦を鳴らした。


 お前もそろそろ楽器持って来いよ。

 駅前に梅木屋ってあるやろ。その地下の……。

 違うわ、ビーファクじゃねぇよ。ビートファクトリーの前に、エモーショナルって、ちっさく書いてあるやろ? 

 

「エモーショナル・ビート・ファクトリー」


 逆さに略してビーエモや。

 あぁ、またみんなでやりてぇよな。

 実はな、ここだけの話やけど、そこで働いてるネェちゃん、色っぺぇし、めっちゃ可愛いんやぞ。


 大通りに停車した、この街の象徴とされる路面電車が発車時刻となり、動き出す。

 高林の姿は、もう何処にも見当たらない。それを機にオレは席を立った。

 

「じゃあ、そろそろ行こっせ」


 つられて腰を浮かせたかをりだったが、そのまま静止画のようにピタリと止まって、窓の外をながめている。


「どした?」


 かをりの目線の先に、うちの学校の制服姿の女子2人組がいた。

 二人は梅木屋レコードの前で立ち話をしている。


 新入生が入学してしばらく経った頃、かをりがそのコをオレたちに紹介した。


「このコ、私のコーハイで、手塚小菊てづかこぎくちゃんて言うのよ」


 それ以来、手塚小菊は、ちょくちょくシュウと廊下で話すようになった。

 そのあっけらかんとした悪気のない態度に、かをりも最初は気にしていなかったが、今では、二人が付き合っているという噂が流れる始末だ。

 

 手塚小菊は一緒にいた友人にバイバイと手を振り、梅木屋レコードのショーウィンドウの前で前髪を整えると、ビーエモの電光看板が掲げてある階段を降りていった。


「うそでしょ……」


 かをりは糸の切れた操り人形みたいに脱力して、窓にへばりついていた身体を、椅子の背もたれにあずけた。


恋敵こいがたきか……」


ぼそっとつぶやくと、


「そんなんじゃないわ」


と、つんとした声で返された。


 そう言ったきり、かをりは力なくうなだれて、廃人のようにぼんやりとしている。


牽制球けんせいきゅうくらいは投げておかんとな」


 かをりはオレの言葉に無反応だったが、しばらくするとピクリと体を震わせ、うつろな目で尋ねる。


「それ、どういう意味?」


 すっかり弱りはてた今のかをりには少々酷かもしれないが、警告の意味を込め、オレは最近英語の授業で習った言葉でかをりを奮い立たせた。


「小菊にリードを許したらアカンぞ。イニシチアブをとらんと!」


「梨九センパイ。それを言うなら、イニシアティブです」

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