第6話 牽制球
カランとドアを開く音がして、隣のテーブルに座ったのは近くの女子校の三人組だ。オレたちを恋人同士と勘違いしたのか、席に着くなり、あからさまな好奇心を隠そうとしない。
濃い眉毛をしたおかっぱさんは、どんぐりまなこでじっとりと粘りつくような眼差しだ。
能面はもはや能面ではなく、突き刺さるような視線を送ってくる。
「いいなぁ~」
ちっこい三つ編みのおさげが呑気な声を出した。能面がキッ、とおさげを睨む。
「じゃあ〜ん」
かをりが圧迫した空気を切り裂くように、
テーブルの上には、白いビニール袋に包まれた謎の物体。
「何これ?」
興味を示すと、かをりは嬉しそうに中身を取り出してみせた。
「シュウセンパイに差し入れしようと思って」
その物体の正体は、半分凍らせたスポーツドリンクだった。ペットボトルをハンドタオルで巻いて、輪ゴムで留めてある。
おまけに半透明の小さなタッパーの中には、レモンの
「いやいや、サッカー部じゃないんやから」
「そうなの! 私、運動部のマネージャーに憧れてたんやって」
かをりは
表紙にはでかでかと、「GUITAR」の文字。写真は大きな口を開けて熱唱するジミ・ヘンドリックスの白黒写真だ。
「シュウセンパイから借りちゃった」
宝物を自慢するように、パラパラとページをめくる。
確かにあいつはここのところ、古い洋楽にかぶれていて、このジミヘンというギタリストがいかにすごいのかを、オレにもしつこいくらい聞かせるのだった。
しかしオレたちがコピーしているのは、テクニカルなジミヘンのスリーピースバンドじゃなく、日本のパンクバンド
「オレ、ジミヘンの生まれ変わりかもしれん」
シュウの
「でもこの人と誕生日も一緒なんやで」
ついでに左利きっていうのもやろ? とオレは付け加える。
どれもこれも、シュウの自慢話だった。そういった偶然は珍しいのかもしれないが、大抵の場合、単なる偶然というのがオレの持論だ。
大体本当の生まれ変わりならば、そのギターテクがとっくに開花していてもいい。
「どうや、カッケーやろ?」
いつだったか、お前にだけやぞ、とシュウが買ったばかりの真新しいギターを見せてくれた。
頼んで紛れ込ませてもらったんや、と音楽学科の楽器を収納する棚から、うやうやしくケースを引っ張り出す。
そっと開くと、黒いボディーのそれは、指紋でところどころ白く濁っていた。
ケースの中で横たわる愛器を大事そうに取り出すと、シュウは感慨深げに、ひと通りの感想を述べた。
やっと買えたわ、これ。
前のは無名のメーカーやったからなぁ。
ジャクソンジョーカー?
お前よく覚えてんなぁ。
でも今は、こいつがオレの相棒や。
何っ、ギブソンじゃねぇって?
買えるわけないやろ、高校生やのに。
すねたように言って、ストラップを首にかけると、足を開いて低く構え、ジャラ〜ンと弦を鳴らした。
お前もそろそろ楽器持って来いよ。
駅前に梅木屋ってあるやろ。その地下の……。
違うわ、ビーファクじゃねぇよ。ビートファクトリーの前に、エモーショナルって、ちっさく書いてあるやろ?
「エモーショナル・ビート・ファクトリー」
逆さに略してビーエモや。
あぁ、またみんなでやりてぇよな。
実はな、ここだけの話やけど、そこで働いてるネェちゃん、色っぺぇし、めっちゃ可愛いんやぞ。
そう言ってまた、覚えたてのコードをジャラ〜ンと鳴らした。
「ほやけどこれ、正直よく分からんかったわ」
かをりは軽くため息をつき、ウッドストック特集と
確かにそれは、ジミヘンが全盛期だった頃の伝説的なロックの祭典だが、オレたちの生まれる遥か前の出来事なのだ。
流行りのアーティスト雑誌ならいざ知らず、普通の女子高生のかをりには、ピンとこなかったに違いない。
「でも不思議な縁、感じちゃったわ」
「不思議な縁?」
「うん。ほらこれ、私の好きな……」
そう言って引き寄せたサブバックの肩掛けに、小さなキーホルダーがぶら下がっている。
「スヌーピーのウッドストックってキャラ。私、ラッキーカラー、黄色やから」
スヌーピー……、黄色……、ウッドストック!
いつかの
「何笑ってんの?」
「いや、なんでもない」
「変なの」
それを縁というのは多少強引に聞こえるけど、好きな相手とはどんな
頑固さも、恋となれば純情。しかしその一途さは、
大通りに停車した、この街の象徴とされる路面電車が発車時刻となり、動き出す。
高林の姿は、もう何処にも見当たらない。それを機にオレは席を立った。
「じゃあ、そろそろ行こっせ」
つられて腰を浮かせたかをりだったが、そのまま静止画のようにピタリと止まって、窓の外をながめている。
「どした?」
かをりの目線の先に、うちの学校の制服姿の女子2人組がいた。
二人は梅木屋レコードの隣のマックの前で立ち話をしている。
「しゃら子……」
新入生が入学してしばらく経った頃、中学のときの後輩だと言って、かをりがそのコをオレたちに紹介した。
「このコ、私のコーハイで、
それ以来その後輩は、ちょくちょくシュウと廊下で話すようになった。
そのあっけらかんとした悪気のない態度に、かをりも最初は気にしていなかったが、今では周りの生徒の間で、二人が付き合っているという噂が流れる始末だ。
「もう! 何なのよ、今日は」
かをりは何度も行く手を
「何でしゃら子っていうんやったっけ?」
オレは無言になるのが怖く、その場を
「がむしゃらのしゃらで、しゃら子……」
ずいぶん雑なネーミングだ。しかしその命名通り、手塚小菊は生命力にあふれた顔付きをしている。
「なんやろ、あれ。釣竿みたいなやつ」
二人とも、棒のようなものが入った長細い袋を肩からかけている。
「
「へぇ。あんなもん持って帰ってどうするんやろ。庭で振り回すんかなぁ」
かをりはそれには答えずに、無言で窓の外を凝視している。
仕方なく、オレも黙ってかをりと一緒に窓の外を眺めた。
すると手塚小菊が一緒にいた友人に、バイバイと手を振る。そして友人を見送った後、梅木屋レコード店のショーウィンドウの前で前髪を整えると、手塚小菊はビーエモの電光看板が
「うそでしょ……」
かをりは糸の切れた操り人形みたいに脱力して、窓にへばりついていた身体を、椅子の背もたれにあずけた。
「
ぼそっとつぶやくと、
「そんなんじゃないわ」
と、つんとした声で返された。
そう言ったきり、かをりは力なくうなだれて、廃人のようにぼんやりとしている。
「
かをりはオレの言葉に無反応だったが、しばらくするとピクリと体を震わせ、
「それ、どういう意味?」
すっかり弱りはてた今のかをりには少々酷かもしれないが、警告の意味を込め、オレは最近英語の授業で習った言葉でかをりを奮い立たせた。
「しゃら子にリードを許したらアカンぞ。イニシチアブをとらんと!」
「梨九センパイ。それを言うなら、イニシアティブです」
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