第3話 レッスン室

 ホームルームが終わり教室をでると、廊下が人でいっぱいになる。じりじりと歩を進めながら、シュウは興味津々な面持ちで訊く。


「それからどうなったん?」


 オレは正直にありのままを話した。全てを聞き終わったシュウは、マジ? と目を丸くする。


「まだ一言もや?」


「うん。全く……」


「向こうから告ってきたんやろ? もしかして声も知らんのか?」


「いや、かをりと一緒に初めて顔を合わせた時に挨拶はしたけど……」


 よろしく、と挨拶すると、未歩はわずかに微笑み、かをりと顔を見合わせた。それ以来、昼休みや放課後には、音楽科の教室の近くにいるのに、近寄ってくるのは、かをりばかりだ。


「ほやけど、こんだけ男子がいる中で、何であんな優等生が梨九を選んだんやろなって疑問がわくわ」


 誰に言われなくても、それはオレ自身が一番疑問に思っている。しかし本人にそれを確かめる事も出来ず、自分自身で想像するしかない。


「まぁ、第一印象とか雰囲気とか、そういうもんやろ?」


「おぉ! オレもそう思ってた!」


「何やウルサイな。急にでかい声出すなや」


「きっとピンときたんやって、お前を見た瞬間!」


「まぁ、そう言われると、悪い気はせんけど……」


「あのコ、ああ見えて生粋きっすいのギャンブラーかもしれんな」


「おい、いい加減にせぇよ」


 シュウは大穴の競走馬でも見るような目付きでオレを笑う。


 渡り廊下に出ると、ブレザーの襟元から身体を洗うように柔らかな風が通り抜けた。左に曲がると購買があり、そこにかをりの姿があった。


明日あしたのコロッケパン待ってるんか?」


「違いますぅ。今まで友達と喋ってただけですぅ〜」


 かをりはシュウにからかわれて、嬉しそうな声を出す。


「それにしても、いつも二人一緒なんやね」


「あぁ、そこの角まで手繋いで来たんや。なぁ梨九」


 かをりはシュウの冗談に大袈裟おおげさに笑い、さり気なく横に並んで歩き始めた。

 オレが自然に後ろに下がると、何やらこそこそ二人で話し始め、後ろを歩くオレをチラチラと見る。


「何や、お前ら。何話してるん?」


 すると音楽室を過ぎた辺りで二人はピタリと足を止め、同時に振り向いた。


「じゃあな。あとはかをりに任せたし、うまくやれや」


 シュウはオレの肩をポンッと叩き、長い廊下の出口に向かって歩いて行った。


「何や、あいつ?」


 呆然あぜんとしてシュウを見送ると、センパイこっちです、とかをりがレッスン室の扉を開けた。


 開かれた扉から伸びる通路の左手には、さらに四つの扉があった。

 その二番目の扉に、1のG子井野という名札がかかっている。扉をへだてた向こう側からは、ピアノの音が微かに聴こえる。


「シュウセンパイから二人が話せるようにって頼まれたんやけど」


「いや、ちょっと待ってや。そんな急に……」


 レッスン室の周辺は、放課後の練習のために音楽学科の生徒がしきりに行き交っている。生徒たちは皆、オレの事を珍しい動物でも見るような目つきで、ジロジロとながめて通り過ぎていく。


「じゃ、いいですね」


 オレの返事も待たずにかをりはドアをノックし、シルバーの細長いノブを回した。


「未歩、ちょっといい?」


 オレの位置から未歩の顔は見えない。ただ高揚こうようのない声が隙間から途切れて聞こえてくるだけだ。


「梨九センパイ連れてきたよ」


 かをりはやけに楽しそうに部屋の中に向かって話しかけるが、反応は薄く、しんと静まり返っている。

 かをりは振り返ると、オレに目で合図をして、そのまま後ろに下がった。


 ドアに近づき、臆病おくびょうな小動物でも観察するみたいに、そおっと覗いてみる。すると、ピアノに半分身体を向けたままの未歩が、こちらを見ていた。


 たった2畳ほどの部屋は、窓もなく、無機質な白塗りの壁。黒く光るピアノはその角にピタリと収まり、未歩はその前の椅子に静かに座っている。


 オレという事を確認しても、その表情にはそれほど変化が無く、しんとなった部屋にはまだわずかに熱気が満ちている。

 今まで鍵盤を叩いていた指は、手持ち無沙汰に膝の上でそっと丸まっていた。


「どうも」


「こんにちは……」


「すごいね。毎日」


「いえ、そんなことないです……」


 それからしばらく見つめ合ったまま、固まってしまった。後ろから小さく、がんばって、とかをりの声がする。


「あ、オレ、もう帰るんやけど、いつも何時くらいまでやってるの?」


 オレは帰宅部だった。授業が終われば、ハイさようならだ。遅くなる時は、担任の山上に居残りを命じられる時くらいだった。


「その日によって違うけど、結構暗くなるまで……」


「そうなんや……。じゃあ、練習頑張ってね」


「はい……」


 記念すべき初めての二人の会話は三十秒と続かず、言葉に詰まり空白だらけだった。

 ぎこちなくドアを閉めると、少し離れたところに、帰ったはずのシュウが立っていた。かをりと二人してニヤニヤ笑っている。


「おい、盗み聞きはアカンやろ」


「分かったよ、怒るなや。じゃあ、オレもちょっとだけ喋っていいか?」


 いいよ、とも言ってないのに、シュウは勝手にこっちまでずかずか歩いてきて、ノックもせずに、もう一度ドアを開いた。


「ごめんね、練習中やのに。ちょっといい?」


 自己紹介もしないシュウに未歩は特に驚く様子もなく、はい、と返事をした。

 おそらくかをりを通して、こいつが誰だか分かっているのだろう。するとシュウはオレの肩を抱き、単刀直入に聞いた。

 

「ねぇ子井野さん。梨九のどこが気に入ったの?」


 シュウの遠慮のない質問に、未歩は困ったような笑いを浮かべた。

 そしてしばらく考えると、少し迷いながら答えた。


「えっと、第一印象っていうか……、雰囲気かな?」


 それを聞いたシュウは、ひゅうっと下手な口笛を吹いて、ビンゴ! と叫び、両手の人差し指を子井野未歩に向かって突き出した。


「ごめん! またね!!」


 オレは素早くドアを閉め、大相撲の突っ張りのごとく、シュウの身体を押しやった。廊下に出ると、お前ら通じ合ってるやん、とシュウはオレの背中をおもいっきり叩く。

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