三十、正義の聖者の正当防衛のつれションライブ(エピローグ)

 近所の居酒屋で打ちあげをやり、そこそこ飲んでトイレへ行ったあと、ふと廊下を逆に進んで、裏口から外へ出た。冷たい空気がほしくなったからだが、裏は腰までの高さの塀の向こうを流れる広い河川の先に、キラキラした夜景が見える、けっこういいところだった。

 あとで海子を呼んだろうと思ったら、先客がいた。彼はこっちに背を向けて塀にひじをもたれ、夜景をながめていた。金色の髪が逆光で色濃く見えた。


「やあ、君か」

 高塚愛音は俺に気づくと、振り返ってそう言い、薄笑いした。といっても、いつものバカにしたような感じはまるでなく、きっと俺と同じで、いい心地なんだろう。ライブ後なので、元の黄色シャツとジーパンの普段着に戻っている。



「来てたのか。知らなかった」

「ああ、先にいちばん奥の部屋に入ったからな」

 そして、ふたたび夜景を見て「やれやれ、負けたな」と伸びをした。「タッチの差だったが、届かなかった」


「歌のせいだよ。あれは、はっきりいって反則だった」

 俺はそう言い、並んで塀にひじを置いた。

「本当はやらないほうがよかったんだが、あのときのテンションで、ついな」

「いいや、あれも立派なノイズだ、気にするな」と首をふる。

「歌詞があると邪道だって、海子も言ってたんだがな」

「そういうまじめなとこが、いいんだ」

 そして、妙にケモノのような目でこっちを見る。

「今でも海子のことは、あきらめてない。いつか横取りするから、覚悟しとけよ」

「まったく、なんでそう、あきらめが……」


 俺はあきれて苦笑し、なにげに夜景を見た。

「まあ、わかるけどな。海子に惚れない男なんていない」

「そうそう、あんないい女、この世にふたりといないよな」

 そのさわやかな笑みに、なにか温かいものを感じた。同志の気持ちってやつか? 同じ女を好きなもの同志。

 こいつは、海子が好きだ。

 そして、それはおそらく、俺と同じように、だ。


「まあ、あいつがお前を選んだのもわかる」と夜景を見て続ける高塚。「俺にないものを、お前は持ってるからね」

「へえ、なんだ、そりゃ」

「海子に聞けよ」

 しばし沈黙があり、川の流れる音と遠くの喧騒が支配した。



 そのうち、俺が口をひらいた。

「海子がお前を嫌ってるのは、性格がどうとか、お前が嫌な奴だから、ってんじゃないと思う。そのう、だから……」

 言葉につまったが、なんとか言った。

「気にすんな」

 とたんに、げらげら笑う高塚。

「お前、おもしろい奴だな。敵に塩を送って。それも無意識に」

「い、いいだろ、べつに」


 なにか恥ずかしくなって目をそらしたが、奴がにやにや笑いを続けてるのはわかる。

「知ってるよ。海子はたぶん、俺が芸術のためならなんでもするのがイヤなんだ」

 また遠くの街の灯りをながめる高塚。

「だが、それを変えるつもりはない。ここじゃ、あっちの世界のときよりは、あるていど気をつかうようにはなってるがな」


「ああ、ケーキのライブか。あっちじゃ、本当にガラスとかを投げてたんだろ?」

「もちろん、客にぶつけたりはしないよ。奴らが見てる前で、床にたたきつけたり、削岩機でぶっ壊したり。

 それで喜ばれると、もっとやらにゃあ、みたいに強迫観念みたくなってさ。顔面を骨折したり、チェーンソーで足を切って、救急車で運ばれたりした」


「なんだって、そこまで……。

 芸術のためか?」

「それは、半分はいいわけだったと思う」

 遠くを見る目になって続ける。

「どこかで、一線をこえたかったんだ。死ぬような場所を飛びこえれば、きっとなにかが見える、つかめるはずだと……」

 自分の手をじっと見て、ふたたび苦笑する。

「まあ、しまいには本当に死んだわけだがな。そしたら、たいしたことなかった、と。


 だって、いきなりまっしろな空間で、変な天然の天使がブリブリしゃべってきて、それがまた、もんのすげえバカでさぁ。これが俺の考えていた死なのか、としばらく悩んじまったよ」

「はははは」

「笑うな、本当に深刻だったんだぞ。

 チャチャリーナのやつ、音楽の覇者になりたいっつったら、いきなり爆弾は出すわ、断るのに大変でさ」

「俺も、ラフレスさんに最初に出会ったときは面食らったけどな」


 俺は思い出して、妙にたそがれた。

「気持ちは、そんな明るいもんじゃなかった。なんせ、いきなり死んだって聞かされたんだから」

「おいおい、死んだことには、俺だってショックうけたんだぜ。人を昆虫みたいに言うな」


「あ、そうそう」と、こっちを向く。「机のこと、ありがとうな」

「なんだ、いきなり。あ、投げなかったことか」

 ライブの終わりに、元国防大臣の刺客に机を渡されたときのことを思い出した。

「まあ、危なかったな。鼻ピアスが見えなきゃ、やっちまってた」

「あれ、決まってたぜ」とニヤニヤする高塚。「指さして、『音楽以外のバカで勝つつもりはねえ!』ってやつ」

 そして虚空をびっと指し、俺のポーズをおおげさに再現して、またニヤニヤ。とたんに体温があがって、目をそらせた。

「よ、よせ、恥ずかしいだろ!」

 だが、やめない高ちゃん。

「つもりは、ねえええー!」

「やめろー!」



「そういや気になってたんだが」

 ふと、俺は奴を向いて聞いた。

「お前、本気でヤパナジカルを支配する気はないんだろ? それで、なんで大臣を騙してまで騒いだんだ?」

「ここへ来たときは本気だったんだよ。今の国王はぬけてそうだから、軍部を掌握して、あわよくば、俺が次の国王に……なんて、ほとんど本気で考えてた。

 そりゃそうだ。ほんとは客もろともカッコよく自爆したかったのに、俺だけが死んでこっち来ちまって、あっちに未練たらたらだったし。ちくしょう、それじゃあ、ここを俺のモンにしてやる! みたいになっても、おかしくないだろ?

 ところがさ……」


 まくしたてて急に黙りこみ、塀の上で組んだ腕にあごをのせて、薄笑いで続ける。

「城内で戦車を作ったりして、準備してるときに、偶然見た新聞に、パロロのチラシがはさまってた。出演者を見て、心臓がとまりかけたね。『風祭海子』って、はっきり書いてあるんだ。まさか、あいつも死んで、それもここへ来てるなんてな!


 こりゃあ、どう考えても偶然じゃねえぞ! って頭が吹っ飛びそうなくらいハイになって、もうクーデターとか、一気にバカらしくなって、すぐにでも会いにいこうと思ったんだ。

 ところが調べたら、あるだっせえ名前のバンドに入ってるばかりか、つきあってる男がいる、って知ってさ。地獄から極楽、また地獄、みたいに落っこちたんだが、それでも気分は異様に高揚しだした。こりゃあいい、こいつからぶんどってやれ、って、はっきりした目標ができたからな。


 で、国防大臣のライエルパッパには信用されてるし、クーデターも同時進行でやっときゃいいか、と。ヤパナジの支配者になれば、少しは海子も見直すかもしれないし。それに、戦車部隊を使えば、お前らを脅すには、うってつけだと思った」


 俺はあきれた。

「とんでもない奴だな、お前。いい加減なんだか、前向きなんだか……。

 あとでヤバいことになる、とか考えなかったのか?」

「ライエルパッパは、もともと裏で脱税やチョンボし放題の、閣僚じゃ最低の大臣だから、あとでブタ箱おくりになっても、ぜんぜんかわいそうと思わなかったな。


 俺はただ、お前から海子を奪えれば、それでよかった。ライブで監禁するときに、お前が泣いて『自分だけ助けろ』なんて言わなかったのは、まあ予想どおりだったがな。当然だ。海子が、そんな薄らクソバカを好きになるわけない。

 はっきりいって、平山和人、俺はお前のことが誇らしい」


 いきなりこれは、かなり恥ずかしい。思わず手でさえぎるようにして言った。

「な、なに言い出すんだ! 俺とお前は敵同士だろ!」

「あの海子さまが選んだ男だぜ。もしお前が少しでも、自分をくだらねえとか、ダメだとか思ってるなら、大間違いだ。自分を誇りに思え」

「あ、ありがとうな……」


 どう返していいかわからず、とりあえず礼を言うと、愛音はニヤけた。

「ほめたわけじゃない、事実を言っただけだ。

 ふざけて言ってるんじゃないぜ。この顔じゃ、そう思われても仕方ないが、人を舐めくさるのは癖なんだ、気にしないでくれ」

(気にしないでくれ、ったってなぁ……)

 なんかおかしくなって、つい笑いだした。奴もつられてか、ニヤけのまま笑い声をたてた。

 と、いきなり塀から離れた。

「さてと、メンバーが待ってるから、もう行くぜ。お前の歌姫もご登場のようだし」


 あごで指すので、見れば、続く塀の先に人影があった。街の逆光で黒いが、風になびく長い髪と細いシルエットで、すぐわかる。

 宇宙一かっこいい女。

 俺だけの女神。


「おい高塚」

 出口へ向かって歩きだす背に呼びかけた。

「前に、とんでもなくひでぇこと言って、悪かった」


 彼は振り向き、にやりと笑った。

「なんのことだ。嫌なことは忘れるんでね。今夜は楽しかったぜ。口から出すのはクソだけじゃないって、わかってもらえたようだし」

 しっかり覚えてるじゃねえか。


 お互い手をふり、奴が消えると、女神さまが来た。

「ずいぶん長いトイレね」

「つれションだったんでな」


「今の、高塚でしょ。なにかあった?」

 心配そうに言う海子。

「ああ」

 俺は笑って言った。

「俺も、あいつのことが誇らしいよ」

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