十五、うらら、うらら(パートⅡ)

 そこそこ人気が出て知名度があがってきているとは言っても、じつは我らがオカリナ・カナリヤは、一度もワンマン・ライブなるものをしたことがない。これは早い話が、いつもは二時間弱のあいだに四バンドくらいが順番に出る構成のライブを、一つのバンドのみで最初から最後まで通すことで、まさにそのバンド(あるいは歌手、ミュージシャンなど)が、ハコを一晩「ワンマンで」使えるという、夢のような状態である。


 これは、あたりまえだが、それなりに人気のあるバンドでないと出来ない。チケット売り上げにあまりこだわらない、このパロロでさえもそうだ。

 たしかに、客がゼロの状態で二時間以上もの長丁場をやるのは、いくら自腹でチケット代を払ってるからって、空しいだろう。ふつうの複数が出演する構成なら、誰も見に来なくても、ほかのバンドのメンバーが客がわりに座って観てくれるのでまだいいが、ひとつのバンドだけではそれがないわけだから、まるで無駄に貸切りにして練習でもしているというか、リハーサルだけを二時間やって終わるかのようで、やる意味があまり見出せない。だから店長も、客がある程度は確実に来る見込みがなければ、そう簡単にワンマンはさせない。


 で、ウチはどうかというと、じつを言えば、ワンマンくらいは楽にできるほどの客はついている。ふつうはメンバーが多いと、たとえば五人いた場合は、チケットノルマが五倍になり、そこそこ客が入ったくらいでは、ノルマの達成にはとても足りない。五人で売り上げを分けるわけだから、ひとりあたりスズメの涙、ってのがふつうである。

 だが、よそのハコでもちょくちょくライブをやり、アングラの世界では名前が徐々に浸透しつつあるオカリナなら、ワンマンをやっても、トントンどころか、黒字すら出るだろう。

 それでもやらないのは、やってるのがノイズで、曲にバラエティがあまりないこともあるが、そもそも俺たち全員に、そんなに長くやる気がないから、ってのがでかい。「ライブの時間は、短いほうがインパクトがある」と海子はいつも言っていて、俺たちも同意している。


 海子がひとりでやっていた頃のライブの構成は、三十分のうち、まず冒頭に短いノイズの連打+海子の絶叫&暴れが数分、次に長時間のノイズえんえん垂れ流しを二十分ほどやり、最後にフィナーレ的に、また短発ノイズと絶叫のたうちを数分やって終わる、というのがデフォルトだったが、バンドになった今も、構成じたいは、そう変わっていない。ただ、キーボードまたはドラム、それにズールによる別のギターが加わっているので、途中の長いパートでテンポが変わったり、メロディが出たり、その日の気分に応じて、自由に好き勝手にやっている。

 演奏そのものが実験みたいなところがある。即興ばかりだと飽きるからと、雄二が楽譜を持ってきて、そのとおりにやってはみたが、ズールが全然できなくて、結局メチャクチャになったことがあるが、それなりに有意義な時間だった。俺は相変わらず海子のためにノイズぶっぱなすだけだったが。


 俺らのライブは、暴れて叫んで弾きまくってスカッとするためのスポーツみたいな面と、なにか新しいことをやろうという実験的側面が、バランスよく共存している。気がむけば「のっぺらぼう」みたいな歌詞のあるのもやる。これは客にも人気があるが、海子はあまりやろうとしない。勝手にネタにしたうららに申しわけないからか、と聞くと、首をふり、「言葉の意味で興奮したり、させたりするのは、なにか安直な気がする」からだと言った。


 たしかに、ストレートで意味がよく分かるうえに、恨みのような負の感情を刺激する歌詞だし、だからこそ客に受けやすいわけだが、それだからこそ、安易だと思うのだろう。このまじめさには、けっこう感動した。彼女と一緒にいれば、感動することばっかなんだけど。




「今夜は、よろしくお願いしまーす!」

 うららの元気な声で、ホールは花が咲いたようになった。初CDが出たというので、ツアーの一環として、今夜はこのパロロが選ばれたのである。


 浦賀うらら(芸名、ウララうらら)は、もともと女優志望だったが、最近は歌もうたうようになり、アイドルとしても、そこそこ知名度があがっている。だが、やはり今は大ヒットしたホラー映画の悪霊役と、心霊スポットに潜入してルポをする心霊アイドルのイメージが強い。それで事務所としては、イメチェンをかねてアルバムを出すことにし、ラブソングなど、きわめて普通の歌のつまったデビューCDを発売、このツアーで売れ行きを一気に伸ばそうという魂胆だ。


 パロロは一般には知られていないものの、アングラの世界ではホールの音、出演アーティストの質ともにナンバーワンを誇る老舗のライブハウスだし、また、うらら自身の強い希望もあって、今回、ツアーに組み込まれたらしい。

 またここは、うららが自分を取り戻した記念碑的場所でもあり、思いいれがハンパないようだ。楽屋でも、ここで売っている我がオカリナのバッジを見せびらかして、「うーっ、海子さんと同じステージに立てるなんてええ!」と、テンションマックスで武者震いしていた。

「あんまり興奮して、歌詞わすれるなよ」

 段取り等の打ちあわせを終え、俺はそんな冗談を言って部屋を出たが、そのとき、彼女と一緒にいたバックバンドのメンバーたちが、ふっと深刻そうな笑みを浮かべたのが、妙に気になった。



 さすがはそこそこの人気アイドル、チケットは発売二日で完売した。小さいハコなので椅子が足りず、物置から十個は持ち出したが、当日は、そこいらに立ち見ができた。フリフリピンクの可愛い衣装のうららがステージに現れると、客は拍手と歓声でむかえた。それはいいが、前に俺に襲いかかったときと同じ衣装なのが気になった。あれしか持っていない、ってことはなかろうが。そのあとの、あのめくるめくような展開を思い出し、恥ずかしくなって困った。

 ライブはアイドルらしく大盛り上がりで進んでいった。

 ただし、最初の三曲までは。


 四曲目はアップテンポで、ギターのでかい暗めの曲調だった。彼女が立ちマイクに向かって歌いだすと、驚いた。俺たちの歌詞のある唯一の曲、「のっぺらぼう」のカバーだったのだ。

「目を奪われ、耳を奪われ、口も鼻も奪われ、のっぺらぼう」というこの怨念のナンバーは、以前ここでやっただけで、音源を発売してもいないし、歌詞も公開していない。だが、うららは寸分たがわず完璧に歌いこなしている。おそらく事前に海子に許可をもらい、歌詞も教えてもらったのだろう。そんなことは、打ち合わせでもひとことも言わなかった。まったく、びっくりさせる奴だ。


 また、元はただの朗読と叫びだったのが、これにはポップで聞きやすい歌メロがついて、ふつうのハードなロックナンバーに変ぼうしている。といって、決してパワーダウンはしていない。むしろ上手い演奏ときっちりした歌で、元のうるさいのとはちがった味わいの、カッコよさが出ている。

 CDには入っていないはずで、ファンたちは知らないはずだが、そのシビアな内容にドン引くどころか、ペンライトをさらに激しく振って彼女の名を叫び、大ウケである。

 俺は、自分たちの、それも彼女のことを元にして作らせてもらった曲を、彼女自身が、こんなふうにステージで披露してくれたことは、すごくうれしかった。



 ところが、曲の終盤で事件は起きた。

 サビの連呼が海子さんばりに絶叫になり、突っ立ったまま感極まったかと思うと、いきなり客席にダイビングしたのだ。それだけならまだしも、そこにいた男性客の額に思いっきり頭突きし、そのまま伸びてしまったのである。

 むろんライブは中止。

 あわてて飛び出した俺は、思い出していた。うららの死因は衝動的飛び降り。遠足で、山道から川に飛び込んで死にかけた話。そうだ、うららは思ったら突発的になんでもしてしまう、危ない性格だったのだ。


 頭突きされた男性は、彼女を抱えてあたりをコマのように走り回り、周りの客の喧騒をつらぬく声で、「医者だあああー! はやく呼べえええ! でなきゃ、人工呼吸するぞおおー!」と、額から流血しながら叫んでいた。

 ケガだから、人工呼吸の必要などない。

 そんなアホをわめくやつは、一人しかいない。

 野々宮図売(ののみやずうる)だった。



 打ち合わせが終わって楽屋を出るときの、俺の「歌詞わすれるな」の冗談への、バックバンドのメンバーの苦笑の意味があとで分かった。本当に歌詞を忘れるとか、そんなことではなかった。

 今までもツアー中に、うららは衝動的にとんでもないことを何度もやらかしていた。が、ダイビングは初めてだった。というか、いつかそれくらいはしそうだと、メンバーもマネージャーも懸念してはいたが、今夜、いきなりそれが現実になったのだ。思いいれがハンパない歌だったのがわざわいし、ステージで歌ううちにのぼせあがり、ついに体が勝手に飛び出したのである。



 前から三列目の、まんなかあたりにいたズールは、周りが全員スタンドしてライトを振っていても、かまわず座席にふんぞりかえったままだった。それでは周りの人垣でステージが見えないはずだが、ライトなんか振りたくもないし、まあいい、聞けりゃいいんだ、と気にしなかったそうだ。いかにも奴らしいひねくれっぷりであるが、それが最大級の危機を呼ぶとは、予想だにしなかったろう。


「のっぺら」を熱唱するうち異常興奮したうららだったが、まだわずかな理性はあった。飛びこむなら、けが人が出にくい、誰もいないところにしよう、と前方を見たとき、移動式の照明が照らしたある位置に、ぼこっと穴のあいたような部分があった。

(よし、あそこなら、人がいないから、ダイビングにもってこいだ)と確信し、そこへ一気に飛んだ。

 じつは、人がいないわけではなかった。百人ほどの客のうち、たったひとり座っていた、とある偏屈野郎の席だった。そこは人垣に埋没しているので、ステージから見ると、あたかも誰もいないように見えたのだ。

 かくして頭から飛びこんだ新人アイドルが、女に変身するヤンキーと、猛烈にごっつんこする事態となってしまった。


 もっとも、うららの判断も、かなりおかしかった。誰もいないからといって、そこへ頭からダイブしたら、床にぶつかって無事にはすむまい。それを、ただ「人がいないから、きっと大丈夫」などと瞬時に判断したことが、考えなしの彼女の危なさをよくあらわしている。

 だが最大の謎は、なぜあのズールが、アイドルのライブに来ていたのか、ということだ。



 ズールとうららが共謀して、俺と海子をくっ付ける猿芝居をしてくれたあの日のことを、のちに奴は赤ちょうちんで自慢げに語ってくれた。それによれば、うららをお姫さまだっこして、激怒して追った俺と海子をまいたあと、奴はさすがにへとへとになって、目についたベンチに座った。背をもたれて、しばらくはあはあしていると、うららも隣に座り、背をもたれてはあはあするので、カチンときた。

「おめえは、ぜんぜん走ってねえじゃねえか」

「あっ、そうだった」

 息をきらす必要がないと分かって普通の呼吸になり、ふと前を見て、ズールに注意した。

「ここ、バス待ちのベンチですよ。座ってたら、バスが誤解して停まっちゃいます」

 そう言って目の前に立つ時刻表を指したが、それであわてて立つようなズールさまではない。

「こんなとこに椅子を置いとくのが悪い。休めって言ってるようなもんだ」

「ひどい、ひどいとは思ってたけど、ほんとサイテーですね」と眉を吊り上げるうらら。「海子さんたちをくっ付ける計画は素晴らしいと思ったけど、わたしのかんちがいでした。乗りもしないのにバス待ちのベンチに座るなんて、そんな悪逆非道なことを、よくもまあ平気で――」


 ちなみにバスといっても、もちろん車両ではなく、馬が引くタクシー馬車のでかいやつである。普通の馬車だと二匹のところを、三から四匹以上の馬が引き、車体も十人乗り以上の幅広いサイズである。二階建てもある。


「ベンチぐらいで、うるせえなあ」とズール。「てか、おめえも座ってるじゃねえかよ」

「じゃ、立ちます」と立って、横に移動するうらら。が、連れの悪逆非道は、ふんぞりかえって微動だしない。

「ズールさんも、どいたほうがいいですよ」

「来たら、手で『しっしっ』て追い払うから、心配ねえ」

「どうしたら、そこまで図々しくなれるの?」と、あきれる。「バスの運転手さんの気持ちとか、考えないの? 誰もいなければ通過するところを、あなたがいるせいで、わざわざここまで来て、乗るかと思えば、手で『しっしっ』。深く傷つくよね、ぜったい。そんなひどい仕打ち、人間のクズにしかできないよ……」

 しゃべるうち、とじた目じりに涙まで溜まっているので、ズールはあわててベンチから立った。

「わかったから、泣くんじゃねえ!」と、自分のポケットをさぐりハンカチを探したが、ないので、着ている青いTシャツの腹の部分を「むんっ」と引きちぎった。

「な、なにするの、いきなり?!」

 驚くうららの涙を、その切れはしでふくズール。

「ほかのとこも、あとで破いとくから、全体のバランスならだいじょうぶだ」

「ほんっとに、なーんも考えずに生きてんのね……。あ、ありがと」

 ジト目で見ながらも礼を言うと、ズールは少々むっとした。

「俺だって、少しは考えて生きてるぞ。これでも学校の教師だからな」

 それを聞いて、宇宙が吹っ飛んだことに気づいたかのように、ものすごく驚くうらら。

「えええええ――?! うそだあああ――!」


「ほんとだ。モジックを習いたいなんていう、クソガキ悪ガキどもが相手だがな」

「なあんだ、それなら、なっとくだわ」と、ほっとする。「普通の学校だったら、避難しようかと思った。万物の終わりだから」

「どういう意味だ、それ。まあ、ともかくだ」と、いきなりドヤ顔で右手を出し、ウララの右手をぐっと握る。「今日は、わざわざ和人を騙して襲ったりして、ご苦労だった。礼を言うぞ」

「あ、どうも……てか、すごい礼の言い方だね」と握りかえして振る。


「しっかし、おめえの超ウルトラ・ヤラしい服装のセンスは、素晴らしいな。さすがはアイドルだ」

 そのひとことでカチンと来たらしく、いきなり顔をまっかにして怒りだすうらら。

「なによ、その言い方! それに私、アイドルじゃなくて女優だから!」

「なら、なおいいじゃねえか。女優なら、ヤラしいこともしないとオマンマが食えねえぞ。もっと変態と化すんだ」と真顔。まじめなアドバイスのつもりだったが、相手には通じなかった。

「変態は、あんたじゃん! もうやだ。あたし傷ついたからね。二度とゆるしてやんない」と、むくれて横を向く。


「驚いたり怒ったり、いそがしい奴だな。わかった、今日はよくやってくれたし、なんか埋めあわせする」

「それじゃ、ライブに来て」

「来るもなにも、今夜はオカリナのライブで、ステージにあがるから、そこでは嫌でも来てるぞ」

「あんたのじゃなくて! 私のよ。ほれ」

 

 そう言って、どこからか出したチラシの上半分に、「ウララうらら、ライブコンサート」の文字が横書きの明朝体ででっかく書かれ、まんなかには彼女の笑顔、その下にライブ会場の名前が、いくつか箇条書きになっている。彼女は、そのひとつを指した。まさにズールが今夜出演するハコだった。

「パロロか。なんだ、コンサートなんかして、やっぱアイドルじゃねえか」

「ま、まあね。事務所が今度、私のデビューCDだすの。それのツアーで。

 で、どうなの?」

 背を向けて流し目で聞く。

「来るの? 来ないの?」

「おう、チケットただでくれんなら、喜んで行くぜ!」

 無駄に力強い返事に、うららは脱力したようだった。オーケーと聞いて、一瞬うれしかったのかもしれない。

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