十四、エロ少女と公園と銭湯
今夜のライブに来るだろうか、と気をもんだ。来なかったら間違いなく俺のせいだ。
あれから三日たつが、こっちから連絡はしていない。電話口で告るなんて無理だ。といって、いきなり家に押しかける勇気もない。
あれから、すっかり気弱になっちまった。こんなことなら、なにもしなけりゃよかった、なんて思っても遅い。雄二は脈ありだと言ったが、そうじゃなかったら、今の三倍はダメージを食らって、もう……。
いや待てよ、そのほうがむしろ気あい入っていいか。
そうだ、○か×か分からず、宙ぶらりんだから不安なんだ。ダメだろうがなんだろうが、結果が分かれば、それはそれで、いっそすっきりするはず。そりゃ片思いなら落ちこむだろうが、少なくとも道はひらける。不透明だからダメなんだ。
俺はその日の朝から、何度もうちを出ようとしてはやめ、部屋のまんなかであぐらをかいてはイラつく、をくり返した。まったく、なんてヘタレなんだ。
そりゃ自分がダメなのは分かっていたが、これまでは、それを自分で受け入れて許してきたつもりだった。だが今は、海子さんという輝く宇宙の象徴に否定されるのが恐ろしくて、手も足も出ないカメ状態。これで、「やっぱ、つきあえません」ときた日にゃ、ひっくり返されて二度と起き上がれずに朽ちてゆくしかない。いや、いっそ殺してくれ、今すぐ。
「あーもう!」
頭ぐしゃぐしゃやって、気を落ち着かせる。恋なんて苦しいだけだ、って言う奴がいたが、本当にそうだ。
いや、これはそもそも解決してないんだから、苦しくて当然だ。やっぱり行こう。いま行かなきゃ、夜のライブにも来ない可能性があるし、待ってるあいだの嫌さかげんったら、なかろう。みんな俺のヘタレのせいです、おゆるしください。
気あい入れるつもりで、ぽんとかしわ手をうち、さっそうとドアをあけるや、後ろにひっくり返りかけた。
ウララうららが立っていた。
「すいません和人さん、大事な話があるんです」
「すまん、いま忙しいんだ。あとに――」
断ったが、指を組み、哀れっぽい顔で懇願するように食い下がるうらら。
「お願いです! ちょっとだけでいいんです!」
いま思えば、大事な話が「ちょっとだけ」で済むってのは、かなり不自然だが、そのときは気づかなかった。
俺は息を吐いた。
「わかった。で、なんだ?」
「ここでは、ちょっと……一緒に来てもらえませんか?」
近くの公園の噴水の前まで来ると、うららはくるりとこっちを向いた。今ごろになって気づいたが、やけに赤とピンクの多い服で、彼女には珍しく色気づいている。ピンクの花柄スカートは長くて、そう足を出してはいないが縁がフリフリ、まっかなシャツも、肩からそでから夢のようにフリルだらけ。ツインテ髪の顔も、小柄な体もロリだから、服色のどぎつさにより、やたら背徳的エロさが強調されている。といって今の俺に、それで興奮するような余裕はまるでない。
エロ少女を相手に、きわめて冷静に言った。
「さあ、話ってなんだ?」
「じ、じつは、ですね……」
いったんうつむくと、意を決したように顔をあげ、いきなり、しどろもどろに言い出した。
「へ、へ、へ、に、にいちゃん、い、いいケツしてんなぁ」
「はあ?」
あまりのことに固まる俺に、超棒読みで必死に続けるうらら。
「うっ、ひょっ、ひょっ、ひょ、い、いっぺん、さわ、らせろよー、このっ、このっ、すっ、すけべえ」
これは、あれだ。素人役者の異常に下手なセリフだ。そうか、きっと今度、映画かなんかに出るんだな。
俺はあきれながらも、しごく冷徹に言った。
「あのなぁ、演技の練習なら、あとでつきあうから、今は――」
「や、やらせろおおお――!」
「うわああああ――!」
叫んで、いきなり飛びかかるうらら、押し倒される俺。腰にしがみつかれ、「こらっ、離れろっ!」と頭を押しても、なかなか離れない。まるで変態のように息あらく、「うへへへ、痴女だあー! 痴女だあー!」と叫ぶばかり。
ふと、あおむけに見えた地上にすらりとした両足があり、その上に腰、胸、そして長い髪をたらした顔がある。それは眉をぐっと嫌そうによせ、般若のごとくキレていた。
「なに、してるんですか……」
「う、海子さん?!」
あわてて身を起こしたが、うららのやつ、今度は背中にしがみついた。這ったまま、「ち、ちがうんだ、これは!」と必死に言ったが、うららが背中で彼女に「見てくださーい、痴女ですよー、痴女が襲ってますよー」などとワケわからんことほざくので、海子さんは、とうとう背を向けて行こうとした。
手を出して泣き叫ぶ俺。
「ま、待ってくれえええ――! 誤解だあああ――!」
そこへいきなり、どこからか女ズールが飛び出した。海子さんの手を引っ張り、俺を指して叫ぶ。
「見ろ、たいへんだ! 女に襲われているっ!」
「襲ってますー」と嬉しそうに言ううらら。
「さっさと助けろ! こいつが変態に食われてもいいのかっ!」
「変態ですー。食べますー。愛欲のえじきですー」とうらら。
困惑の顔になる海子さん。
「く、食われようがなにしようが、べつに、私は……」
「なに言ってんだ、あんた、和人が好きなんだろ?!」
いきなり言われて、顔がぼわっと上気する海子さん。
(えっ、俺のせいで……?)
そして身を震わせ、すさまじく、挙動不審なほどに動揺しだした。
「ななななな、なにを言うんです! そそそそそんなこと、あああああるわけ、なななな」
「ぶっ壊れたボイス機能か?」とズール。「とにかく、愛してんなら、こいつを助けろ! おめえのダーリンが絶体絶命だぞ!」
とつぜん、すべてを理解した。
そうかこいつ、そういう魂胆で……
コンノヤロー。
俺はむくっと起き上がり、その殺気のせいか、うららが離れた。海子さんも気づいたのか、急激に落ち着き、般若に戻って、目の前の黒幕をにらんだ。
思わず握っていた手を離した黒幕に、俺と海子さんは、押し殺した声で言った。
「そうか……ぜんぶ、てめえの差し金か……」
「大事なお話があるというから、来てみれば、こんな……」
二人に迫られ、さしものズールもビビったようだ。
「ち、ちがう、これはだな、その……」
隣に来て、言いわけしだすうらら。
「み、みんなズールさんの命令でやったの! うらら、なにも悪くないもーん」
「て、てめえだって、賛成したろうが!」
「……覚悟はできてんだろうな……」と指を鳴らす俺。
「……次は、女性に転生できたらいいですね……」と氷の笑みをたたえる海子さん。
にじり寄る俺らに、「わあああー! バカップルに殺されるううー!」と叫んで逃げ出す二人。
俺らはえんえん追いかけたが、ズールが男に戻ってうららを抱えてダッシュしたので、とうとう逃げ切られた。
俺たちは肩で息をして、近くの小さな公園に並んでいる二つのベンチに、それぞれ座りこんだ。もう真昼で、誰もいない。
俺は、はあはあ言いながら、ベンチの上にあおむけに倒れた。すると海子さんが来て、なんと俺の上に倒れてきた。
「うっ、海子さんっ――?!」
彼女は、驚く俺の顔面に、もろにはあはあ甘にがい息を吐きかけながら、あえぐように言った。
「こ、こっちのほうが、寝るには、柔らかいから――」
そ、そりゃ、そうだろうけど――。
彼女は、間近でじっと俺を見つめた。全力疾走したせいで、お互い汗まみれで、息がはあはあと野獣のように荒い。そのふっくらと柔らかい胸や太ももが体に押しつけられるのを感じ、心臓がどくどくして、破裂寸前だ。
それは向こうも同じみたいで、上から押しこむような力強い鼓動が、どんっ、どんっ、と俺の奥深くまでねじこむように伝わってくる。今にもキスしそうな距離で俺を見つめる瞳は、きらきらと漆黒に輝いている。はたから見れば変なことをしていても、彼女はあくまで生真面目だった。この真剣なまなざし。
しばらく互いの顔に荒い息を吐きかけあってから、彼女はぐっと息を飲み込み、唇が動いた。
「あれ、ほんとうなの……?」
一瞬、わからなくて黙っていると、彼女はまた唾を飲み込んでから、言った。
「ま、前に言ったこと。ほら、その――わたしのことが、す、す――」
「す、好きです」
さっき動きまくった勢いか、素直に言葉が出た。左の二の腕に乗る彼女の指に、ぐっと力が入った。それに、うながされるように続ける。
「おれ、海子さんのこと、好きです。メンバーとしてとか、尊敬とかじゃなく、その――
女として、好きです!」
ついに言っちまった。壮絶な羞恥に襲われ、ただでさえ火照った体が、とろけるまっかな鉄のようになった。
すると、彼女は目を横にそらせて言った。お互い、息はかなり静まっている。
「私、授業のあとで告白されてから、いろいろ考えました。それまで思いもしなかったんだけれど、あなたのことを考えると、実はずっと以前から、あなたを意識していた、と分かったの。
授業であなたに相手役を頼んだとき、『私があなたを好き』っていう設定にしたのは、どうしてだろう、って思ったら――」
そこで目を閉じ、伏し目がちになって続ける。
「なんの気なしのはずが、じつは無意識に、わざとやっていたんだわ。和人さん」
俺の手を握り、うるんだ瞳で見つめる。思わずその宇宙のように広大な黒に吸い込まれて、落ちていきそうになった。
「ライブで、私の後ろでノイズを出してくれるあなたを感じたとき、一緒にやって息がぴったりあう、あの天にものぼる嬉しさを感じたとき……。
私きっと、何度も、何度も、あなたのことが好きになっていたの。もちろん、メンバーとしてとか、尊敬とかじゃない。男として、よ」
「う、海子さ――」
今度は俺が不意をつかれた。
彼女は俺に唇を重ね、離して、うっとりと言った。
「好きよ、和人さん」
「俺も好きだ、海子さん」
俺は答え、彼女を抱きしめてキスし、その唇をむさぼるように求めた。
身をおこし、抱きあったまま座る。胸に彼女の頬のぬくもりを感じ、しばらくしあわせを満喫した。
ふと彼女が顔をあげ、言いかけた。
「あの、今さらですけど……」
ですます口調でなくてもいいのに、と思うが、元お嬢さまだから癖なのだ。
憂いにゆれる上目づかいが可愛いと思いながら、見下ろしてうながす。
「なに?」
「や、やっぱり、私なんかをなぜ好きになってくれたのか、聞かないと不安です……」
「うーん、なぜったって……理由なんかないよ」
「では、私のどこが好きなんですか?」
「どこって、ぜんぶとしか……」
「なら、なんでもいいから、目についたところを教えて」
目についた、っつっても……。
でも考えた。
「そうだなぁ。たとえば、海子さんがステージで暴れおわってこっちを見たとき、そのドヤ顔が元気な少年みたいで、可愛いと思った」
「しょ、少年って……」
顔を離し、俺の腕の中で困惑したように見上げたが、すぐ真顔になって言った。
「その言葉、そっくりそのまま、あなたにお返しよ?」
俺たちは大笑いした。
汗びっちょなので、「そのへんで、シャワーあびていきたいわねえ」と言われてぎょっとしたら、間の悪いことに、目の前に銭湯があった。
「あら、ここでいいわ」「ははっ、そうっすねー(涙目)」の会話のあと、入りぎわに、彼女が言った。
「そうだ、ねえ、賭けをしない?」
「いいけど、なんの?」
「あとから呼び捨てで呼んだほうが、ごはんをおごる」
「よ、呼び捨て……」
「さん」づけをやめよう宣言、か。
たしかにもう恋人だし、そんな距離がある呼びあいをする必要はない。で、先に「さん」抜きで呼んだほうが勝ち、ってわけ。
まるで勝つ自信ない。てか、あと半年はダメなんじゃなかろうか……。
だって海子さんを、いきなり「うみこ」なんて呼べるかよ。
また気弱になる俺を残し、「うみこ」さんは、さっさと女湯に入ってしまった。
「やったなあ! 俺のおかげだぜ! 感謝しろよ!」などとサムアップしたり、「よかったねえ、まあ僕の助言のおかげだねえ」とにこにこする、バカと悪友を尻目に、パロロのホールにいる俺たちは、いつものようにライブの準備にかかった。
俺たちがデキたことは、楽屋に入って数秒でバレた。「海子、エフェクター、どこにあったっけ」「そこの棚にしまったはずよ、和人」などという会話を聞いて、二人の関係を悟らない奴はおるまい。
しかし、ズールはやはり、ただ者ではなかった。「よーし、今夜は婚約記念のパーティだな!」などと言い、「婚約はしてねえっ!」「こんどこそ、再転生したいの?」などと二人で顔をまっかにして怒らねばならなかった。こういうのを、のろけというんだろうか。たぶんちがうな。
今夜は予定どおりどころか、そのはるか上をいくクオリティのステージになった。俺と海子のタッグが、かつてないほどのタイミングとテンションで最高だったのにくわえ、雄二の初ドラムが予想以上に素晴らしかったからだ。
オカリナはキーボードなしになったかわりに、生ドラム入りの本格的なロックバンドに変身した。
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