十三、甘味屋の先生

 アトランタ(我々の世界)からヤパナジカルに来る、いわゆる転生組の大きな特徴は、生まれ変わりではあっても、生前と死後とで能力も性格もなにも変わらないばかりか、生前の記憶も変わらず覚えていることである。だから転生というよりは、こちらへの移動、ぶっちゃけ引っ越しみたいな、たんなる移住に近い。つまりルーツ(土着の民)から見れば、俺たちは外国から来た移民のようなものだ。


 だが、普通の「移住」と決定的にちがうのは、一度こちらへ来ると、それまでいた世界とは完全に縁が切れ、決して戻れないことだ。

 以前雄二が、「こことあっちの関係は、時間の流れみたいなもの」だと言ったことがある。つまり、生前、俺たちがいた向こうの世界は、完全な「過去」であり、「終わったこと」なのだ。時を戻ることができないように、こっちからアトランタに戻ることは不可能。ただひたすら、向こうから死んだ人間が送られてくるのみである。

 俺がここへ降りてきた長い回廊の上に、天使がいる出口がある。俺が死んで目覚めたとき最初にいた、雲の中のような、担当天使のラフレスさんがいた、あの場所である。そこは「出口」であり、決して「入り口」ではない。向こうからは来れても、その逆はありえないのだ。


 生前のことは、いま現在の俺たちとは、完全に無関係になる。だから容易に人生のやり直しができる。俺が今やっているのが、それだ。それは、以前のみじめで恐怖と不安に満ちた地獄の生活とは真逆の、努力があるていどは実り、やれば、わりと夢がかなうという、しごくあたりまえの、ふつうの人生である。

 まともな人間にとっては、地味でつまらない生き方だろうが、俺ら落伍者、人生の敗残兵にとっては、以前の地獄と正反対の極楽なのだ。

 俺らにとっては、あたりまえの人生こそが、はるか上流の、ぜいたく極まる王侯生活であり、喉から手が出るほど欲しい宝なのである。



 移民のような転生組は、この世界に来てからも以前の知識やノウハウを覚えているので、ここが生まれてから、それらが大量に持ち込まれるのに、そう時間はかからなかったという。今では中世ヨーロッパの町並みを、かろうじて保持しているのは首都のヤパナンだけで、アトランタにあったのとそっくりの店や建築が、国じゅうにあふれている。「かろうじて」と言ったのは、俺の住むヤパナン十三通りにも、かわら屋根の日本家屋がちらほらあり、通りぞいには、すし屋やそば屋まであるからだ。どれも日本からの転生者が作ったものだ。


 この雑多な文化が混在する状態は、俺のいた東京を思わせて、けっこう嫌な気持ちになる。ルーツからも批判が出ていて、古くからのレンガづくりの家屋と城、宮殿などを守ろうと、新しい転生者による異文化持ち込みを拒否する動きも出ている。

 だが今の国王が寛容なので、街はごらんのとおり、明治時代の文明開化かと思うような和洋ごった煮が進んでいる。過去を思い出したくない俺は、できればゲームみたいな剣と魔法の世界を守ってほしいのだが、そうもいかないようだ。



 もっと郊外へ行けば、スーパーやデパートもあり、テレビや洗濯機のような電気製品も売っている。パソコンはまだないが、いずれは作られるだろう。異世界の意味、まるでねえ。

 郊外では、たまに車すら見かける。が、信号がないので、事故につながるから、ノロノロ動いている。ここでの移動手段はもっぱら馬と自分の足だが、それもいずれは車に取って代わられるだろう。

 かんべんしてくれ。馬、いいじゃねえか。馬車、ばんざーい! この揺れ、サイコー!

 などと言うと、雄二が得意の白い目を向けて、「進歩には逆らえないよ」と、非情におしるこをすすった。


 俺たちは今、ヤパナンの東はずれにある甘味屋にいる。店の向かいには円形競技場があって、かっちゅうの騎士がヤリで殺しあい、その右隣の神社では、着物の婆さんが真っ赤な鳥居をくぐってお参りしている。メチャクチャだ。

 この甘味屋も、畳に木のテーブル、うるしの茶碗などはたしかに懐かしいし安心もするが、同時に、母親がそのへんからわっと出てくるような恐怖を感じる。ガキのころ、奴によくこういう店に連れて行かれたからだが、じゃあなんでそんなところに来ているのかといえば、雄二の行き着けだからである。どうやら、いじめっ子に甘味屋に引きずり込まれてボコられた経験はないらしい。



「で、なんの話だっけ?」

 雄二はしるこの茶碗をおき、やっと本題に入る気になってくれた。彼は出会ったときから、この白布を巻いて白マントをつけたローマふうの衣服で、それ以外の格好は見たことがない。ここの生活にあわせて、ルーツっぽくしているそうだ。ちなみに、顔が世間に割れているのでグラサンで変装してここへ来たが、今は個室なのでかけていない。

 俺はここへ来てもう半年にもなるが、変わらずズボンやシャツで暮らしている。こだわりとかではなく、たんに着慣れているからだが、転生組と一目で分かると絡まれることもあるので、ふつうは長くなると、ここの定番衣装の布きれルックや、黒を基調にしたゴシック・ファッションになる。


 ちなみに、ズールと海子さんもアトランタ・ルックのままだが、とくに女性の転生者は、ここの服を嫌って生前の格好で通すことが少なくないという。たしかにローマ服は変に薄くて露出度が高かったり、色も白一色でつまらないので、最近は逆にルーツ女性が転生者の経営する洋服屋で、アトランタのファッションを買うこともある。

 なんせ、ファンシーショップから呉服屋まである。ゴスロリやロココ調のドレスと、かんざしをさして帯をしめた和服が一緒に道を歩いている。コスプレ大会だ。



「えっと、だから、その……なんだ」

 なんの話だと振られても、俺はきまり悪くて切り出せない。

 すると、雄二がいきなり言った。

「どうせ海子さんのことでしょ」

「な、なんで分かった?! エスパーか?!」

 驚く俺に、「ぶーっ!」と飲みかけたお茶を吹いて驚く雄二。

「えーっ、そうだったのー?!」

「あっ、きったねえなー」

 大惨事の卓を手ぬぐいで拭く。しるこの皿にも、もろに注がれて、黄色いのがたっぷんたっぷん揺れた。あー食っといてよかった。


「だって柄にもなくモジモジしてるからさぁ。もしや女のことかと思ったけど、いや、まさか、そんなことはあるまい、と完全に冗談で言ったのに。ほんとにそうだとは……」

「悪かったな。そうだよ、海子さんのことだよ」

 雄二がアホしてくれたおかげで、すっかり緊張がほぐれたので、一部始終を説明した。終わると彼は腕ぐみし、少し考えてから言った。

「つまり、君は彼女に告ったわけだね」

「ま、まあ、そうなるな」

「そしたら、顔色を変えて逃げた、と……」

 また考えて、急ににこにこしだした。

「なら、だいじょうぶじゃない?」

「な、なんでだよ。どう見てもショック受けてたぞ。あんなまっさおになって……」


 彼女の最後の悲痛な顔が浮かび、いたたまれなくなった。だが、俺の一番の親友の悪友は、さわやかな笑顔を変えない。

「そんなに動揺してたってことは、彼女の中で、君の存在がすごく大きい証拠だよ。きっと和人のことが、どこかで気になっていたはずだ。ただ、いきなり告られたんで、心の整理がつかなくて、混乱しちゃったんじゃないかな」

「そ、そんなもんかなぁ」

「僕はこれでも作家だからね。いろいろ人間心理も調べてるのさ」

「ま、まぁ、先生がそうおっしゃるんなら、まちがいなさそうっすね……」

 俺がぽつりと言うと、雄二は笑って俺の頭をぽんぽん叩いた。

「ちょっと、いきなり先生って、恥ずかしいじゃん! よしよし、ええ弟子じゃのう」などと頭をなでるので、俺のほうが恥ずかしくなった。


「おりを見て、また話せばいいよ」と椅子にもたれる先生。「でも、次はちゃんと好きって言わなきゃ」

「そ、それはもちろん」

 一気に気が楽になり、顔がゆるむと、雄二がうっすらと笑って言った。

「よかった。元気になったね」


 泣きそうになったが、彼はそれを察してか、いきなり身を引いてビビった。

「は、ハグするなよ!」

「いや、そこまで元気じゃないから」

「……」


 ありがとうな、雄二。

 言いたいのに、声が出なかった。

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