十、雄二大先生の勇気

「うわああああ――!」

 俺は往来にもかかわらず、一キロ四方にまで聞こえそうな、素っ頓狂な叫びをあげた。


 そりゃそうだ。街を歩いてて、ある書店の店先に、やけに大量に平積みにされている本がたまたま目に入り、よく見ると、目をこすり、さらにこらしてよく見れば、表紙にでかでかと出ている写真の顔が、まさにそいつだと知ったあげく、あわてて手にとって中をめくれば、今度はそいつの記事が何ページにもわたってずらずらと載っていたのだ。

 読み終わり、本を持つ俺の手は震え、足はがくがく、気がついたら前述のように、店頭で思いっきり絶叫していた次第である。周りが見ようが知ったこっちゃない。

 俺は、ただちに回廊宮へ行った。


 正直、うららの一件が済んだその日の晩から、どうしようかと悩んでいた。それでもライブやら打ち上げやらで疲れて眠いので、あした考えようと寝ちまい、翌朝、仕事は夜だし、それまでにいい案が浮かぶかもしれん、と町に繰り出した直後だった。異世界につながる回廊がある宮殿、回廊宮に、奴が住んでいる。


 くっそう、俺がなにか思いつく前に、あいつらは先手を打ちやがった。俺の手には、さっき買ったその雑誌が握られている。

 ヤパナン一のゲスな写真週刊誌――

 マイルドスピークの最新号だった。




 ドアを激しくたたくと、向こうから「カギあいてるよ」と無感情な声がしたので、俺は一回転しかねない勢いでブンとあけ、中に入った。しかし、さすがに気まずくて雑誌を後ろに隠しちまったが、机についていた雄二が、丸椅子でくるりとこちらを向くと、思いっきり醒めきったジト目で俺を見た。


 俺は仕方なく、背に隠していた雑誌を出した。その表紙に写っている雄二は、まさに今の彼とまったくおなじ顔をしていた。すると座っている雄二も、机に置いてあった一冊の本を取り、顔の横まで持ち上げた。その表紙には、俺の本とまるで同じ雄二の写真が、でかでかと載っている。

 大小、二つの醒めたジト目が横に並び、俺を遠近法で軽蔑してきた。


 完全にバレたと知った俺は、どう言い訳しようかとあれこれ考えたが、今さらなにも浮かばなかった。バカな俺は、書店であせったまま、ここへ直行してしまい、いいわけなんか何も考えてこなかった。

「あ、あのう……」

 いいや、まて。


(そうだ、うららだ!)

(うららのせいにしよう!)


 卑劣な俺は、うららに自分の罪をなすりつけようと必死になった。

「いや、ちがうんだ。たしかに嘘は言ったが、それはそのう、うららを先に助けたくて、ついごまかしちまって。その。だから――

 すまんっ!」


 いきなり深々と頭をさげて謝罪すると、彼の「はあ」という溜め息が聞こえた。これは、たいてい怒りが一段落したときに発せられるが、今回は分からない。「スキャンダルの件は、ぜんぶもみ消した」なんて調子こいて、あれだけ喜ばしちまったのに、あとでデカデカと自分の顔をバラされたのだ。殺されてもしょうがないかもしれん。


 それでも俺は頭を下げたまま言った。

「こうなったら、俺がなんとしてでも、お前の写真を回収してやる! マイルドスピークに潜入して、ネガを取ってくれば、もうあいつらは何もできねえ! そして、雄二が二度と写真を撮られないように、体を張って守ってやる!」

「いいよ、もう」

「で、でも、それじゃ、お前のプライバシーが……」

 まだ怖いので、上目でおずおずと言うと、雄二はどういうわけか、いきなり笑いをこらえだした。

「うん。てゆうかさ……ひひひひ」


 俺は背を正して狼狽した。

「ど、どうしたんだ?! 怒りのあまり、ついにオツムが切れちまったのか?!」

 本気でビビり、あわてて救急車を呼ぼうと電話を探しだすと、雄二がはちきれたように爆笑した。面白そうにきゃらきゃら笑い続けるので、これはどうもおかしくなったわけではなく、たんにおかしいだけなんだ、と気づいた。


「ど、どういうことだよ?! なにがおかしいんだ?!」

 わけ分からず叫ぶ俺に、雄二は目じりの涙を指でふいて言った。

「くくくく……いや、ごめんごめん」

 さっき自分に謝った奴に謝る作家先生。

「君があんまりうろたえてるもんだから、おかしくてさ。いやぁ、笑った笑った」


「もうおかしいのはいいから、わけを聞かせてくれよ!」

「だからもう、いくら写真を撮られてもかまわないんだよ」

「はあ? あ、分かった! なんかモジックでも使ったな! さすがは、ありすが――」

「なんも使ってません」

 そして椅子から降りて、こっちに歩いてきた。その顔はもうふざけてはおらず、真剣そのものだ。

「今朝、記者会見してきた。僕の顔は、もうヤパナンじゅうが知ってるよ」

「な、なんで――」

 信じられなかった。

「だって、あんなに嫌がってたろ!」


「うん、今までは、世間に顔をさらすなんて、恐怖以外のなにものでもなかった。でも昨日、うららちゃんの輝くような顔を見てて、思ったんだ。なんだ、顔バレみたいなささいなことでおびえるなんて、バカバカしい、って。

 思えば僕も、のっぺらぼうみたいなものだったんだ。名前はみんなが知ってても、顔がないんだからね。でも顔がバレたらイメージが崩れるような作風でもないし、隠してる意味がないんだよ。

 それに考えたら、なにも恐れることなんてない。外出のときに変装するのがウザい程度でさ。住所までバラすわけじゃないし、なんてことないんだ」

「でも、今までは怖かったんだよな?」

「そりゃあね」


 彼はうつむき、目をふせた顔に暗いかげりがさした。そして薄目をあいて続けた。

「和人もそうだろうけど、生まれ変わったからって、中身は前となにも変わらない。生きる場所が変わったってだけだ。でも、それは環境を変えようと遠い外国に引っ越すのとはワケがちがう。前に生きていた世界には、もう戻ろうったって戻れない。あの惨めで苦しいだけだった世界から手を切って、永久に無関係になれたんだ。その素晴らしい希望と幸福は、和人にも分かるだろ?」

 俺がうなずいた。

「だからこそ、ここでもまた惨めになるんじゃないかと、いつも不安だった。売れっ子作家にはなれたけど、誰でも名前を知ってるほど有名になると、絶対にケチをつける奴が出てくる。じっさい、僕の作品を嫌いだっていう声もないわけじゃない。

 そんなところに平気で顔を出したら、また酷い目にあわされるかもしれない。また前と同じことになったら、また同じようにいじめられて泣くようなことになったら、ここへ来た意味がまるでないじゃないか。


 また死んで、もっとマシなところへ転生しようとするの? どこへもしなかったら? もし出来たとしても、どうせ、そこでもまた酷い目にあうだけだったら? 安住の地を求めて、無数の世界を永遠にさ迷うの? そんなことを繰り返すなんて、地獄そのものだ。

 そう思うだけで、恐怖に震えたもんだよ。

 でも……。


 急にアホらしくなった。そんなことにおびえるのは、くだらない。そう思えるように、やっとなれた。

 作家になれたから、ってだけじゃないよ。ここで和人や、ズールや、海子さんたちと出会って、一緒に音楽やって、人前でライブしてるうちに、もしかしたら、今の僕は、前みたいにいじめられても、だいじょうぶかもしれないな、って思うようになったんだ。

 そう、みんな君らのおかげなんだ。とくに、強引に誘ってくれた和人のおかげなんだよ」


 雄二はこっちを見た。黒く美しい瞳に、優雅な微笑み。人としてパーフェクトな顔だと思った。

「だから決めたんだ。もうこそこそしない。顔ぐらい見せちまえ、ってね。虚勢はってるんじゃない。今の僕ならきっとできる、って素直にそう思うんだよ。

 だいたい、見せなきゃもったいないくらいに可愛い顔だもんね」

「そりゃあな」

 俺たちは笑った。



「でもほんと、だましたのは、すまなかったな」

 書斎でお茶しながら俺がぽつりと言うと、雄二は苦笑した。

「もう、いいってば。そうだ、そんなに言うなら、埋めあわせしてよ。新しいキーボード、買って」

「ええっ?! い、いや、いいぞ、買ってやる」

 俺の反応に、またジト目になる。

「今、『なんだよ、金あるんだろ、自分で買えよ』とか思ったでしょ」

「お、思わない、思わない」と、汗ジトで両手を振る。本心丸分かり。

「やれやれ……そういう和人の丸出しなとこ、好きだけどね」と肩をすくめる。

「それ、誉めてるの?」

「というかね、今月はほかに出費があって」


 そのとき、宅配がきた。でかい箱が十個以上、いちばん奥の部屋に置かれた。そこは広く、物置として使われている。雄二は売れっ子だから、住む部屋にも小部屋が無駄に多い。

「な、なに買ったんだ、これ?!」

「なんだと思う? ふっふっふ……」

 不気味に笑い、奴は箱の一つをあけた。するりと出てきたのは、なんと銀ピカのスネアドラムだった。


「ど、ドラム買ったのか?!」

 驚く俺に、雄二は別の箱をあけながら言った。

「やっぱ、キーボードのドラムじゃ、味気ないからさ……」

 そして二本のスティックを取り出し、感慨深げに見つめる。じつは、俺もわりとそう思っていたので、もんのすごく嬉しくなった。

「雄二先生! ありがとうございますうう!」

 叫んで飛びつくと、また顔を真っ赤にしてわめいた。

「わーっ! だから君ってば、ほんとにもう!」

 そうは言っても、そう嫌そうではなく見えた。


 ただ、彼がドラムをやるとなると、キーボードはなくなるわけだ。

 それを言うと、雄二大先生はドヤ顔になった。

「だいじょうぶ、モジックで腕を四本にすれば、ドラムをたたきながら、同時にキーボードも弾けるから」

「それだと体勢が苦しいんじゃ……。

 いっそ二人に分裂して、それぞれがやったほうが、いいんじゃないか?」


「はっはっはっは!」

 いきなり腰に両のこぶしをあて、豪快に笑って言った。

「そんな、すごいことはできない!」

「いばるなよ!」

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