十一、好き好きズール先生

 野々宮図売(ののみや ずうる)。俺と同じ高校で最強の不良として名を轟かせ、卒業後、趣味の女装が親バレしそうになり、ベランダに隠れて足を踏み外し、落ちて死んだ。彼のぎんぎんに女装した死体を見たとき、両親はなんと思ったろう。


 俺たちは前世の話はいっさいしないが、ズールがたまに親を思い出してその話をすると、最後に必ず「ざまーみろ」と言う。だが、あんな不良でも、親に嫌われてはいなかったようで、彼の不満は、そのたぐいまれな名前のことだけだった。それは、昔イギリス軍と戦った南アフリカのズール族とは、なんの関係もないらしい。


「親父は漫画家になりたくて挫折したそうで、だから絵を売るって意味で、俺に『図売(ずうる)』と名づけたんだ。それを聞いたとき、もちろんぶん殴った。なめてるにもほどがある」


 などと言うくらいだから、ズールと呼ばれるのを最初は嫌がっていたが、今ではバンドのみんながズールズール呼び、海子さんも『ズールさん』と言い、彼もそう気にしなくなったようである。




 ズールは住んでいた廃倉庫を撤去され、しばらく女の姿で「甘えんぼうの俺の姪」と名のって俺の社宅に居そうろうしていたが、実は男だと店長にさっさとバレて、仕方なく雄二の住む宮殿に移った。

 俺の部屋を出るとき、女の姿で目に涙をためてハンカチを振り、大声で「手紙かけよー!」などと言いながら、すーっと後ずさってドアの向こうに消えた。意味わからん。


 しかし雄二も彼には手を焼いたそうで、暇だからと壁をこぶしでぶちぬくわ(もちろん男の格好で)、彼を持ち上げて「飛行機だ! ぶーん」と振り回すわ(酔ったお父さんか)、一日で困り果てて俺に泣きついてきた。

 破壊行為をとがめると、「金持ちだから直しゃいいだろ」と言うだけで、あとはしれっとしていた。これで人の数倍の量のタダ飯をたかって、ふかふかのベッドで高いびきで眠るんだから、まさに人間のクズである。

 だが、なぜか雄二には、俺にやったみたいな少女化アンド強制ラッキースケベみたいなことはしなかった。「やると、お前とちがって、なんかわりぃから」と言うが、破壊行為は悪くないのか。


 俺との三者会談のとき、雄二に「出て行け」と言われ、「わかった、そんじゃ海子さんと同棲してくる」などと荷物をまとめるので、俺が本気で怒って「バッキャーロー! 仕事さがせ!」とぶん殴ると、しぶしぶ探しに行った。

 一時間もしないうちに戻ってきた。


 信じられないことだが――

 学校の先生になった、と言った。




 ズールはモジックの腕だけはプロ級だが、独学なうえ高慢ちきなので、一般人を教えるには度量が足りなすぎる。そこで、彼いわく「すげえ親切な」職安の職員は(すげえ親切というよりは、たんに怖がっていたんだろうが)、彼にぴったりの教職を紹介した。子供相手である。モジックの初歩の初歩を、初心者の子供たちに分かりやすく教えるというものだが、一見、そんな繊細そうなことは、この偏屈&バイオレンス男には、ほぼ不可能に思える。


 だが、職員は彼の肩をたたいて保証した。

「だいじょうぶです、最近のガキ――いえお子様は、とくにモジックを身につけたがるようなワガマ――いえ、勉強熱心な子は、素直で大人しい子がほとんどでして。あなたのような、有無を言わさぬ凄み――いえ、包容力のある方こそが、ふさわしいのです。推薦状を出しますので、よろしければ、今すぐ面接にうかがってください」

 あまりに急いでいるのでかなり怪しいが、この包容力さんは気にもしなかった。行くと即決で採用だった。よほど困っていたと見える。




 翌日の午前中、奴の仕事ぶりがどんなかを見にいった。いちおうリーダーだからというのもあるが、どうせすぐ問題を起こして首にでもなる可能性は高いし(本人が「おう任せとけ」と胸を叩けば叩くほど、周りは不安がつのる)、そうなったら、また問題は振り出しだからだ。


「ズールさん、ちゃんと勤まるかしら」

 隣で一緒に歩きながら海子さんが言った。俺は「どうでしょうね」と言ったきりだった。辞めたら、また考える。その繰り返しでも仕方がない。ああいう奴だ。ただ、彼が本当はやるときはやる男なのは、分かっているつもりだ。


 で、なぜ今、海子さんが一緒に歩いているかというと、昨日ズールが血迷って「海子さんと同棲する」とほざいて荷造りしだしたとき、手鏡かなにかをモジって電話にして、彼女にかけちまっていたらしいのだ。



 奴の職が決まって、俺が社宅に帰った直後に、彼女から俺のところへかかってきた。彼女の話では、帰宅したら留守電にズールの伝言があり、それは「緊急事態だ。変なことするから、よろしく」という、ワケのわからないものだった。

 この「変なこと」とは、どうも同棲のことだったらしいが、モジがすぐ切れてケータイが元の手鏡かなにかに戻ったようで、折り返してもつながらなかった。それで、仕方なく俺に電話した、とのことだった。

 迷惑を拡散しやがって、つくづくしょうがねえ奴だ、とは思ったが、バンドメンバーだから、こういういざというときに頼られまくるのは、まあ仕方ないか、とも思った。


 ことのしだいを説明し、心配だからあした勤務先の学校へ見に行くと言うと、海子さんは「私も暇だから、ご一緒していいですか」と言ってくれた。断る理由もないので、オーケーした。



 だが次の日、煙草屋の角で待ち合わせしていて、ふと「あれ、これってデートみたいじゃね?」と思い、変な意識が芽生えて恥ずかしくなった。ちょうどそこへ彼女が来てしまい、わりと気まずいまま歩き出した。

 普通に会話してたら体温も下がったが、アホなことを思ったもんだ。二人で遊びに行くってんじゃない、メンバーの仕事の視察、という重要任務だ(任務じゃないけど)。


 若い女性と会うというのに、無神経な俺は、ただの黒の上着に黒パンツという、よく言えばゴスっぽい、悪く言えば超地味な真っ黒けルックだったが、海子さんは白シャツのうえに、肩掛けのついた茶色のチェック柄のつなぎスカート(あとで知ったが、ジャンパースカートというらしい)を着て、頭は赤いベレー帽といういでたちで、めっちゃかわいかった。とても普段ステージでのたうちまわってゲロ吐いてる人とは思えない。


「きょ、今日のベレー帽、ステキですね」

 女を誉めなれていないので、やや必死に言った。

「あ、ありがとうございます」

 こっちを向いて微笑むその顔は、春の日差しにきらめいて、死ぬほど美しかった。思わずガン見しちまった。失礼すぎる。

 思わず「す、すいません」と言うと、気がついたように「あ、いいんですよ」と返して、また前を向く。その横顔は、やたら機嫌よさそうに見えた。

 自分の神々しさが分かってんだろうな。まあ当然だよな。元お嬢様といったって、実態は、あれほどの狂乱のパフォーマンスをするワイルド姉御だ。あんがい、恋人なんかうじゃうじゃいたりして……。

 頭をぶんぶん振る。いかん、考えると失礼なことばかり浮かぶ。考えるのやめよう。



「和人さん、恋人なんています?」

 いきなり向こうから振られて、どぎまぎした。今いないどころか、母親以外の女と縁ができたことすらない。

 世間的には、かっこ悪いことなんだろうが、もうここは世間じゃない、異世界だ。もちろん、ここにだって世相も偏見もあるが、以前は世間が死ねと言えば死ぬほどの世間奴隷だったから、ここではぜんぶ無視して生きると決めたんだ。それに、すぐバレるようなウソを言ってもしょうがない。


「え、えっと……いません」

「そうですか」

 答えた顔が、さらに前より嬉しそうに見えたのは、俺の妄想による幻覚である。

 ところが、案外そうでもないこともなくないような事態が、いきなり発生した。

「私もです」


 その言葉に驚いて見ると、その横顔は伏し目がちで、なにか寂しげだった。

「ずっと箱入り娘で、お屋敷から出してもらえなくて、やっと自由になっても、一般人と縁ができないような場所にいましたから」

 たしかに、部屋でノイズばっか作っていれば、合コンもクソもない環境である。ようするにオタク。なんだ、俺とおんなじじゃん。

「俺だって、女どころか……」と、さみしい笑みが浮かぶ。「友達とわいわいやるような生き方をしてこなかったから、そもそも人間と縁ができませんでした」

「そうですよね」

 彼女も、うっすらと笑った。

「縁ができるのは、エフェクターみたいな機械とか、非人間ばかり。それも楽しいことでしたが……」


 たしかに楽しい。でも、もともと人づきあいが嫌いなわけじゃなく、環境で仕方なくそうなった人間としては、やはりいつもひとりでいることは、言い知れぬ寂しさがともなう。

 いや「寂しい」というより、引きずるような重苦しさだった。意識するほどじゃないが、どこかで必ずひそかに感じている、世界や自分自身に対する違和感、決して消えないもの。それに慣れきっているうちは、あきらめていたが。


「今は、和人さんたちとご一緒できて、何倍も楽しくすごせていますよ」

 そう言って顔を少しかたむけ、俺に流し目を向けた。切れ長の目に、黒く澄んだ瞳。そんなエロいような目を向けられると、俺が脳で勝手な意味を作って、勝手な意思を読み取りそうで、怖い。ねつ造というやつだ。はっきり聞けば、そんなことはしなくて済むんだろうが、そんなこと無理だ。


 ――海子さん、俺のこと、どう思ってますか。


 アホか。ズールじゃあるまいし、そこまであっけらかんと聞けるかっ。

 そこへちょうど、前からそのあっけらかんさんの声が響いてきた。



「いいかあー! まず杖の持ち方からだ! こらあ、そこお! まだ触るんじゃねえ! おめーらはモジシャンにゃ、百年はええんだよ!」


 すぐ先に、「たのしいモジック学院」なる学習塾があるはずだが、ズールは今、そこの庭で講義しているらしい。聞こえる声からして、かなりのスパルタだ。

 垣根のすきまから二人でのぞくと、平行に並べられたいくつもの長机に、十歳くらいの子供が五、六人ほどずつ座っている後姿が見え、向かいには黒板を背にして立つズール先生のお姿があった。

 ここからは見えないが、彼の怒号からすると、机の上には、ひとり一本ずつ杖が置いてあるらしい。ちなみに、いつもの女の子の格好ではなく、ゴツい美形男のナリだ。少女でやると舐められると踏み、涙をのんで、こうしたのだろう。服は学蘭ではなく、どこで借りたのかクールビズの黒い背広だ。



 ズール先生は黒板を平手でバンと叩くと、目を細め、眉間にしわをよせた怖い顔で、幼い生徒どもにハッパをかけた。ちなみに見たところ、札付きの悪ガキしかいないせいか、男の子ばっかだ。

「いいか野郎ども、モジックをなめると、下手すりゃ命取りになるぞ。真剣にやれ! モジを笑うものはモジに泣く、だ!」


「でも、せんせえよぉ」

 最前列の左端にいる悪ガキそうな子が、手もあげずに抗議した。

「ずーっと話ばっかじゃん。いつになったら、人を豚に変える技、教えてくれるんだよ。俺、ガッコのつええ奴らを豚にして、番はりてえだけだからよぉ。そんだけやれりゃ、あとはいいからさぁ。とっとと教えてくんな」

 とても小学生のセリフとは思えないほどすさんでいるが、やはり、こういう柄や育ちの悪いのが、無駄に便利なモジックなんぞを身につけたがるようだ。いい子だったら、ちゃんと大人の言うことをきいて、魔法なんかに頼らず、汗水たらして正直に生きるはずだからだ。


 ちなみに、いま作者が考えたわけではないが、このヤパナジカルでは、十五歳未満は法律でモジック禁止になっている。また、いま思いついたわけでもないが、高齢で思考能力が衰えたり、素行が悪すぎる者も、同じくモジ禁の憂き目にあう。

 だが別に免許制ではないので、もし禁止の身で使ったとしても、問題が起きて捕まりでもしないかぎり、バレなければ赤子でも使えるから、ザル法である。



「バッキャーロー!」

 最前列のガキどもが、まとめて吹っ飛びかけるほどの怒号をかけるズール先生。

「おめえらは十歳だから、使っちゃいけねえと、何度も言ってるだろうが! ただ、やり方だけ将来のために覚えておけ、ってだけだ。番はりてえだの、寝言は実力ではってから言え! 分かったか?!」

 言われて、文句たれたクソガキは、うなだれて「はい」と言った。

「いいな、ええと、カチューだったな、てめえ(カチューうなずく)。おいカチュー、次の講義までに、てめえの学校で番はってこい! いいな?!」

「ええっ、無理っすよー」と涙目のカチュー。「はれたら、こんなとこに来ないもーん! わーん、せんせえがいじめるー!」


 泣き出したので、舌打ちして言うズール。

「あっもう、分かった、分かった!」

「えっじゃあ、番はらなくていいの?」と泣き止む。

「いや、無理だったら、俺が加勢しに行く」

「ほんと?!」

 躍りあがって喜ぶカチュー。

「やったー! せんせえがやってくれたら、百人力だー!」

「あー加勢はするが、」と腕組みするせんせえ。「それは、おめえがさんざんボコられて、負けそうになったら、の話だ」

「そ、そんなあ」

 蒼くなるガキの周りで、ほかのガキどもが大笑い。見ながら、俺たちは顔を見合わせて苦笑した。


 こんなこったろうとは思ったが、やはりさすがはズール教諭、彼独特の教育法を使っておられる。ガキはいいかもしれないが、これを知った親から苦情がきそうだ。あ、ここへ子供をやるようなら、民度が低いからいいのか。


「えー、そもそもモジックなる言葉は、もともとは外来語のマジックから来ており――」

 先生が話しだすと、「それ、初日にやったよー」と声がした。

「復習だ! 今日やることと関係あるからな。……えーそれで」と、黒板にチョークでいろいろ書きだす。

「俺らが転生前にいた世界の用語で、魔法を意味するマジックという語があるが、それに、『擬似的』『にせ物』『まがいもの』『インチキ』という意味のmock(モック)を頭につけたのが、モジックだ。


 みんなも知ってると思うが、モジックはかけても長続きせず、時間がたつと消える。中には、モジで作った橋が一年もったという記録があるが、これは最高位のモジシャンによる記録で、完全に例外だ。だいたい偽の橋がそんなに持ったら、忘れたころに落ちるから、危なくてしょうがねえ。もって一時間か、長くて一日くらいがちょうどいい。

 つまり、いくら神秘の力で形を変えようが、すぐ元に戻っちまうんで、誰かが『こんなもん、インチキだ』と言い出し、いつしかこの技は、『えせマジック』という意味で、モジックと呼ばれるようになった。

 また、俺が転生前にいた――いちいちめんどくせえからアトランタで行くが、俺がアトランタにいたころに……」


 これも、いま考えたようで悪いが、このヤパナジカル以外の世界、つまり我々の世界のことを呼ぶ場合、「あっちの世界」とか「転生前の世界」とか言うが、最近は煩雑だというので、新しく考案された「アトランタ」なる呼び名が浸透しつつある。

 これは、こっちの世界では、アメリカはジョージア州の州都の名前だが、転生組のある学者がそこの出身者で、「あっち、あっちじゃ分かりずれえから、いっそアトランタにしちまおうぜ」と言い出し、あんまりアトランタアトランタうるさいので、現在、徐々にヤパナンじゅうに広がりつつある。これは語感が、失われた大陸を意味する「アトランティス」と似ており、彼らテンちゃんには、どこかロマンチックな響きがあるから、そのせいかもしれない。

 なぜ最初から浸透していないのかというと、そのほうがあとあと面白いからで、決して最初の章の会話を今から書き直すのがめんどくさいからではない。



「で、マジックに『にせ物』『まがいもの』という意味の「モック」をくっつけて、モジックと呼ぶようになった。

 俺がアトランタにいたころ、記録映像を意味する『ドキュメンタリー』の頭に、モックをつけた『モキュメンタリー』ってのがあったが、これはドキュメントに見せかけたフィクションのことで、擬似ドキュメントという意味だった。いかにも記録したような事件のシーンや、人物の証言映像が出てくるが、ぜんぶ嘘でヤラセだ。心霊番組に、このたぐいが多かった。

 ちなみに、モジックという語について補足すると、日本語の『魔法』の場合、読みが『モホウ』になり、これも真似を意味する『模倣』と同じなので、たいへん語呂がいい。……そこ、寝んなああー!」

 いきなりの絶叫で、右腕がゴムのようにびよーんと伸びて、最後列左端のガキの頭にげんこつを食らわした。ワンピースである。「すっげー! 杖もないのに!」「やるなあ。さすが先生だなあ」などと賞賛のざわめきが起き、ズールはまんざらでもない笑みを浮かべたが、きっとまた背中に杖をさしてるんだろうなー、と俺だけが分かった。


 とはいえ、なかなか勉強になったし、大丈夫そうなので、帰ろうと俺たちが身を引きかけたとき、中から先生の怒鳴りがして固まった。

「入ってこい! 和人! 海子さん!」


 あわてて二人でまたのぞくと、奴は超ドヤ顔で、こっちをびしっと指さしていた。もろに目があった。気まずいより驚いたが、隣の女性もそのようだった。

「そこにいんのはバレバレだぜ! おめーら喜べ! ほんじつはスペシャルゲストを呼んだ! ラッキースケベ先生と、絶叫ノイズ先生だあー!」


 拍手かっさい。逃げるのはあきらめたが、ラッキースケベ先生ってなんだよ。たしかにアパートではそんなんあったが、いま男のバージョンに、それも大勢の子供らの前で言われると、かなり複雑な心境だ。


「……行きましょうか」

 苦笑して言う海子さんと、近くの戸から入った。

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