九、絶叫ノイズ女と、のっぺらぼう少女
その晩、海子さんに電話をかけた。もうすがれるのは彼女しかいない。
「そうですか。それは大変ですね」
電話口で、彼女は気の毒そうに言った。
「幼児期から続くトラウマが原因では、なかなか治るというわけにはいきませんし」
「はい」
俺は、いつになく暗く言った。じっさい、無力感にとらわれて、テンションだだ下がりだった。
「なんとかできると思った俺が、浅はかだったかもしれません」
「しっかりしなさい。連れてきたあなたが落ちこんで、どうするんです」
言葉は厳しいが、言い方は柔かった。
「あなたは間違ってはいませんよ。そのまま放っておかれたほうが、その子のためにならなかったはずです」
「そ、そうでしょうか」
少しは気が軽くなった。
「ありがとう、少し楽になりました」
「しかし、困りましたね……」
その場はそれで終わったが、一時間もしないうちに、向こうから電話がきた。海子さんの声は変わりないが、どこかはずんでいるように思えた。
「和人さん、今度のライブに、彼女を呼んでもらえますか?」
「俺らのライブに、ですか?」
「ええ」
電話口で、にっこり笑った気がした。
「隠し球があります」
三日後の晩、俺たちオカリナ・カナリヤはパロロのステージに立っていた。最前列にうららの顔を認めると、海子さんはスタンドマイクにしゃべりだした。会場のざわめきはぴたりとやみ、ただ彼女の低く大人っぽい声だけが響いた。
「毎度のお運び、まことにありがとうございます」
寄席みたいなあいさつに、笑いが起きた。
「今夜は歌詞を用意してまいりました。わたくしのつたないものですが、ご清聴いただければ、アーティストみょうりにつきます。それでは一曲目――」
と、後ろの俺を振り向いて目で合図、またマイクにぽつりと、
「のっぺらぼう」
俺はいつものようにノイズを出したが、単発ではなくえんえん続くやつで、歌詞が聴き取れるように、ボリュームをしぼっていた。びゅるびゅる、じーじーと続く雑音の中から、浮かび上がるように彼女の声が聞こえてくる。だがやはり、正確には歌ではなく、といって叫びでもなく、しゃべりというか、朗読に近いものだった。感極まるでもなく、無感情でもなく、素直に直球で言葉を発している感じだった。
のっぺらぼう(作詞 風祭海子)
目を奪われ 耳を奪われ
口も鼻も奪われて、のっぺらぼう
だけど、のっぺらぼうにしか
見えないものがある
聞こえない音が 声がある
そして言えない言葉がある
体を奪われ 心を奪われ
生きた証はおろか死まで奪われ、
この世とあの世のはざ間で、のっぺらぼう
だけど、のっぺらぼうには
誰にも見えない体がある
誰にも分からない心がある
誰も生きられない人生と、
誰も真似できない最期の瞬間がある
進むにつれ、声は次第に力強く、いちだんとぶっとくなり、ホールを貫くぶっといビームか、あるいは一丸の風みたいになった。俺のノイズもギラギラとうねるように激しくなり、荒れ狂う海原になって、彼女を持ち上げる。言葉は客席にも俺らにもガラス片のように突き刺さり、体の奥深くまでえぐり、骨まで粉砕される気がした。それほどに鋭利な言葉と声だった。
目もない 耳もない 口もない
その無限の虚無から
お前の視線で、すべてをぶちぬき
お前の言葉を吐きちらせ!
いつしか絶叫になっていた。俺の音も、いつもどおりの轟音だった。彼女は、最後はマイクにつがみつき、何度も「のっぺらぼう!」「のっぺらぼう!」と食いつかんばかりに叫び、そのまま倒れてマイクを口に入れ、奥まで突っ込んだ。そして絞め殺されるようなうめきをあげて、うつ伏せに倒れたまま、全身を狂ったようにびくびくけいれんさせまくった。
いつもすることだが、今夜はいつになく猛烈なテンションで、すごみを帯びたエロさすら感じた。ある意味、AVよりエロかったかもしれない。歌詞の意味によってノリが増幅したのだろう。
なぜなら、俺たちもそうだったから。
気づけば残りの全員がいつものようにノイズをぶっぱなし、そしていつも以上に激しいパワーで会場を宇宙空間にした。いや、まばゆい超新星爆発にした、といっていい。
ここまですごいのは初めてだと思った。客はいつも以上に暴れて、警備員さんたちが抑えるのに苦労していた。
星の終焉のごとく光って狂いまくる客の中で、うららには何か届いただろうか。
楽屋に来ないんで、心配になった。もしや、なにか悪い影響を受けて、とんでもないことを……などと雄二が言うので、俺は笑った。
「だいじょうぶだよ。あの素晴らしい空間で、悪いことなんてあるわけないだろ。ねえ、海子さん」
振ると、彼女は苦笑した。自信はあったろうが、やはりどこかで心配だったかもしれない。
するとドアがあいて、うららが来た。目が思いっきり見ひらいていたが、感動のせいだった。うっすらと涙もあった。その生き生きした顔には恐ろしさなぞみじんもなく、ただひたすらきれいだった。
「えっと、あ、ありがとうございます」
言葉にしにくいのか、つっかえながら礼を言った。
「その、月並みですが、感動しました」
「いいえ、こちらこそ、ありがとうございます」
笑って頭を下げる海子さん。相手の年齢に関係なく丁寧な人だ。
「うららさん、でしたね。あなたのおかげで、よい歌詞が出来たんです。むしろ、勝手にネタに使ってしまって、ごめんなさい」
「あ、やっぱり、のっぺらぼうは私の……」
気がついたようだが、怒った様子はなく、また微笑む。
「ライブの最前列にいましたが、私、あの歌を聴いて、大泣きしました。胸が苦しくて、悲しくて……。あんな状態は初めてでした。周りにも泣いてる人、たくさんいましたよ。
でも、だんだん楽になって、嬉しくさえなって、気持ちよくなりました。胸の苦しさが熱さになって、興奮に変わりました。私はだいじょうぶ、ここにいていいんだ! と思いました。
最後やかましくなったとき、私もみんなと混じって、飛びはねて騒いでました。ほんと、あんなに楽しいことは、生まれてはじめて!
えっと、私、いま――」
ふいに黙り、うわ目でこっちを見た。
「こわい顔ですか……?」
「ぜーんぜん!」と雄二。
「かわいいですよ」と海子さん。
「そうだ、かわいい!」と俺。
「俺には劣るが、かなり相当かわいいぞ」
最後に女ズールが言い、「自信もちな!」とウィンクにサムアップすると、うららは両手で口を押さえて泣きだした。海子さんが行って肩を抱き、椅子に座らせた。
雄二がジュースを持ってきた。
「それじゃ、乾杯しよう!」
「まだ打ち上げじゃねえぞ」と紙コップを受け取るズール。「まあいいか」
当然、リーダーの俺が音頭をとることに。いきなりは困る。
「えーとそれじゃ、ライブの成功と、我々のさらなる飛躍を祝して――」
会社かい、と自分で思ったが、誰もはやさなかった。
「かんぱーい!」
「おつかれさまでしたー!」
じっさい、飛躍だったのだ。
うらら、そして海子さんのおかげで、サウンドに加え、言葉という強力な武器を得た。
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うららは数ヵ月後にアイドルデビューしたが、あの同じく目がでかい未来キャーコとよく共演し、一緒に心霊番組に出て各地のスポットを周ったりしている。
もう無理に人を怖がらすようなことはしていないようだが、長年染み付いたホラーっぽさは抜けず、むしろ彼女の武器のひとつになったようである。
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