第11話

 翌日、明け方。

 まだ薄暗い教会で、イザベルとシャノンの二人は物音を立てないように荷物をまとめていた。オリヴィアは、まだ眠っている。

 二人は外套を羽織り、鞄を背負った。イザベルは、教会を見渡す。

 たかが数か月の滞在だったが、ずいぶん思い入れの深い場所になってしまった。オリヴィアには随分と迷惑をかけたが、彼女はそれを飲み込んでくれた。

 だから、ちゃんと別れを告げないままここを発つのが、心苦しい。

 それでも、二人は決めていた。シャノンとオリヴィアの諍いがあったあの日、オリヴィアは自分の信念に妥協してイザベルのついた嘘に騙されてくれた。話し合いを、冬が終わるまで先延ばしにするという、見え透いた嘘に。

 だから、イザベルたちはオリヴィアを騙しとおすことにした。オリヴィアは騙されていたから、イザベルたちが旅立つ日を知らなかったから、シャノンの復讐をとめられなくても仕方がなかった。その大義名分をつくることが、彼女の良心のために出来る最低限の礼儀だと信じて。

 忘れ物はないかと、イザベルは目で問いかける。シャノンは、こくりと頷いた。

 足音を立てないように注意深く歩いて、イザベルは教会の扉を押した。冷たい風が吹きつける。最低限開けた隙間からイザベルが外へ出て、続いて出てきたシャノンが扉を閉めた。

「あれ、なんか落ちてる」

 入り口近くにあった紙を、シャノンが拾う。上に石が乗っていたあたり、故意に置かれたものだろう。

「なんて書いてある?」

 シャノンが、イザベルに紙を手渡す。イザベルは不慣れな筆致で丁寧に綴られたメッセージに目を通すと、シャノンに分かるようそれを音読する。

『あなた方の誓いに立ち会えたことを誇りに思うとともに、私まで幸せな気持ちにさせてもらいました。この冬を、あなた方と過ごせて、よかったです。

 それでも、やはり私は、復讐を肯定することはできません。だから、せめて、これだけ覚えていてください。

 教会は、過ちを犯した者を受け入れます。罪の告白を、聞き届けます。もし罪を犯して、その罪の意識に苛まれることがあれば、思い出してください。私は、いつでもお待ちしています。

 あなた方の旅に、祝福があらんことを』

 二人の間には、しばし沈黙が流れた。彼女の思いを、受け止めるための時間だった。

 冬ごもりの間、イザベルはオリヴィアに乞われて文字を教えていた。生活や布教活動のためと言われて納得したしそれも嘘ではないだろうが、たぶんそのときから、この手紙を書くことを考えていたのだろう。

「……ばれてたな、出ていくこと」

「ばれてたねえ」

 二人は、顔を見合わせて苦笑した。

「この紙は、お前が持っておけ」

「……うん」

 イザベルは、手紙を再度シャノンに渡した。シャノンは受け取った手紙を大事にたたんで、外套の内ポケットにしまった。

「私も、文字教えてもらえばよかったなあ」

「私は何度も言ったぞ、覚えたほうがいいって」

「そうだけど~」

 イザベルは、いじけたような表情のシャノンと手を繋いで、歩き始めた。繋いだ手に指輪が触れる感触には、まだ慣れていなかった。

 他愛もない話をしながら、二人は整備の行き届いていない道を進む。

 おいしかったご飯の話、旅の最中に出来るおしゃれについて、オリヴィアの寝起きが悪かったこと、シャノンの元気がよすぎてこれまで駄目にしてきた道具のこと、裁縫で指を何度も刺すからイザベルはもう針仕事をしないでほしいというシャノンの訴え。

 イザベルは地図をにらんで、立ち止まる。

 そして、繋いでいた手をほどいた。

 イザベルがシャノンに向き合って、告げる。

「ここでお別れだ、シャノン」

 イザベルは、聖杖の主を探すため、西へ旅をした。

 シャノンは、復讐相手を探すため、東へ旅をした。

 旅の途中に偶然出会った二人は、この三年間、行動をともにして人探しに励んだ。そして、ここら一帯のうち汚染されていない土地の捜索が済んでしまった。

 だから、先へ進まなければならない。

 イザベルは、さらに西へ。

 シャノンは、さらに東へ。

 来た道を戻ることはない。もう、会うことはないだろう。

「浮気は許さないからね」

 シャノンの言葉に、思わずククと笑いをかみ殺す。こいつなら、どれだけ遠くにいても野生の勘のようなもので嗅ぎつけられそうだし、殺されそうだ。

「ああ」

 共に生きることは叶わなくても、永遠の愛を誓った。それが、生きる理由になるかは分からない。けれども、これから始まる旅は、一人でも寂しくはないだろうと、イザベルは思った。

「イザベルに会えて、よかった。愛してる」

「ああ、私も」

 イザベルの返答に、イザベラは少し不服そうに睨みつけて、

「私も、何?」

「……私も、愛してるよ」

 身体が締め付けられる感覚に遅れて、シャノンに抱きしめられていることにイザベルは気づいた。

 温かい。やわらかい。嗅ぎ慣れた、花のような甘い匂い。

 当て所もない旅ならばよかった、とイザベルは思う。このまま二人で旅を続けられたら、どんなに幸せだろう。同じ景色を見て、同じものを食べて、苦しみを分け合い、喜びを分かち合い、彼女の隣で愛しつづけることができたなら。

 もしかしたら杖の主は旅をしていて、行き違いになっているかもしれない。だから、彼女が行く道を自分の道にしたっていいんじゃないのか。そんな考えがイザベルの心に湧き上がってくる。

 そんな自分の甘えを理性で握り潰していく。こんな世界で長距離を移動する人間など滅多にいない。まだ見ぬ土地に行くべきだ。

 イザベルは、シャノンを抱き返した。強く、強く、彼女の形を、温もりを、魂に刻みつけるように。

 この旅は、杖の主を探すという使命は、イザベルの人生そのものだ。やめてしまいたいと思ったこともあるけれど、いま選択を迫られたら、イザベルは自分の旅を続けることを選ぶ。その選択ができるのは、シャノンに出会ったからだった。

 どれだけかけがえのない人だとしても、それぞれの道が、偶然、ほんのわずかな時間、重なっただけなのだから。だから、もうお別れだ。

 イザベルが腕の力を弱めると、少しの間をおいて、シャノンの腕が離れた。

 イザベルは一歩下がって、

「これからは、通りすがりの人を脅したりするなよ」

「分かってるよ〜」

「狩りのついでに女の子を捕まえたりするなよ」

「しないってば〜!」

 シャノンの膨れた顔が可愛くて、愛おしいと思った。愛しつづけることを誓ってよかったと、頼りない口約束の心強さを、イザベルは心のなかで噛みしめていた。

「じゃあ、元気でな」

「うん。元気でね」

 シャノンに背を向けて、イザベルは歩き始めた。雪解け道はぬかるんでいて、ブーツが泥に沈むような感触が煩わしい。

 歩いて、歩いて、そして、イザベルは一人きりになった。足音が一人分しか聞こえないのが、やけに新鮮に思えた。

 冷たい向かい風に、コートの裾が翻る。

 太陽の穏やかな熱を背中に感じながら、イザベルは旅を続ける。

 冬は、もうすぐ終わろうとしていた。

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旧文明には、永遠の愛を誓う儀式があったらしい 常磐わず @GreenInThePast

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