第7話
「たっだいま〜!」
「……ふわ〜あ。おかえりにゃさい」
教会に戻ると、オリヴィアは火に近い長椅子でうたた寝していたようだった。舌が回っていない。瞼も閉じたままだ。
そんなオリヴィアにシャノンは走り寄って、自分の指を見せびらかした。
「ねーねーねーねー、指輪! 見て!! イザベルが作ってくれたの!!」
「ほえー」
寝起きが弱いオリヴィアはしばらくポヤポヤしていたが、やがて、にへらと笑った。
「きれいですねえ」
「でしょ、でしょ!」
シャノンが大声ではしゃいでいるせいか、オリヴィアも段々意識がはっきりしてきた様子だ。
「なんかね、魔除け的な力も込めてくれたんだよ! 指輪の内側に、魔法で文字を刻んでくれてね、すごいでしょ! いま見せる!! 外すからちょっと待ってて」
「恥ずかしいからあんまり見せびらかすな」
イザベルがシャノンを諌める。頬が熱く感じるのは、寒さのせいだけではなかった。シャノンはしまりのない笑顔を浮かべている。
二人の仲の良さを、微笑ましそうにオリヴィアは見ていた。そして、ハイテンションなシャノンとは裏腹に、オリヴィアはしんみりと呟いた。
「すごいですねぇ。本当に、すごいです」
俯きがちに、オリヴィアはゆっくり呟いた。
「イザベルさんは魔法を使えて、いろんなことを知ってて……シャノンさんも狩りがお上手で……尊敬します。私には、得意なことなんてないから」
寂しそうに微笑むオリヴィアに、シャノンは言う。
「私にとって狩りは、ただの練習だからなあ。大したことじゃないよ。そんなことより私は、イザベルみたく賢くなりたいし、オリヴィアみたいに優しくなりたいよ」
「練習?」
まずい、とイザベルは思った。しかし、イザベルが口を挟むより早く、シャノンは朗らかな笑みで、いつもと変わらない口調で、宣った。
「お姉ちゃんを殺した奴を、殺す練習」
焚き木の爆ぜる音が聞こえた。場の空気が、一瞬で張り詰めた。その中で、ニコニコと笑顔を浮かべるシャノンだけが異質だった。
「どういうことですか」
オリヴィアの声は、震えていた。
「おい、シャノン」
「ああ、言っちゃ駄目だったんだっけ。ごめんねえ、うっかりしてた」
イザベルは眉の皺を深くして、大きく溜息をついた。
「聞かなかったことにしてくれ、と言っても無駄だろうな」
「イザベルさん、知ってたんですか。知ってて、どうして止めないんですか」
オリヴィアが立ち上がって、まくし立てるようにイザベルを問い詰める。イザベルは嘆息をもらした。
「シャノン自身が始末をつけるべき問題だからだ。それに――」
半ば確信を持って、イザベルはオリヴィアに問いかけた。
「お前も知っていたんじゃないか? マリアから私たちの事情を聞いて、殺人をやめさせるために教会に戻ってきたんだろう」
イザベルの言葉に、オリヴィアは言葉をつまらせた。
初めて会った日、オリヴィアは『冬支度が進んでいない』と言った。しかし、イザベルの目には、そもそも冬支度などしていないように見えた。
イザベルたちがはじめ教会を無人だと勘違いしたのも、冬を迎えるための物資がほとんどなかったからだ。比較的最近まで人が暮らしていたことは周囲の建物との違いで分かったが、その住人はなにかの理由で住む場所を変えたか、あるいは死んだのだろうと思っていた。
でも、オリヴィアは教会で暮らしていると言った。
それを聞いて、イザベルは気づいた。この少女は、ここではない場所で冬を越そうとしていたのだと。その予定を覆してわざわざ戻ってきたのは、何故か?
以前訪れた集落でも、シャノンは旅の目的を明かしてしまった。集落を発つとき、世話になった老婆に次の行き先をそれとなく伝えていた。そして、オリヴィアは、その老婆から自分たちの話を聞いていたらしい。
一つ一つは些細なことで、それらすべてを合わせてもオリヴィアの目的を証明するには足りない。けれども、狼狽した今のオリヴィアの態度が、イザベルの推測が正しかったことを示していた。
(分かっていても、トラブルを回避する方法までは思いつかなかったんだから意味ないが)
場の空気の重さもイザベルの心中も知らないシャノンは、暢気に説明を続ける。
「はじめにイザベルが見せたでしょ、人相書き。あの男、お姉ちゃんを殺したの。ただ殺すだけじゃない。尊厳を奪って、殺した。だから、私もあいつを殺さなきゃ、おかしいじゃない?」
「縁があるって、返さなければいけないものがあるって……」
「借りを、返さなくちゃいけないでしょ。私だけが奪われるなんて、ずるいよ」
「私を騙したんですか!?」
「イザベルは、嘘なんてついてない。オリヴィアが誤解しただけだよ」
「でも……!」
感情的に捲し立てようとオリヴィアは、けれど目を閉じて、一呼吸置いた。
再び開かれた目には、静かな決意が宿っていた。
「それが本当なら、あなた方に旅を続けさせるわけにはいきません」
オリヴィアの言葉に、シャノンの表情はスッと冷めた。そして、素早い動作で懐からナイフを取り出すと、オリヴィアの喉元にそれを押し当てた。
朗らかさの欠片もない低い声で、シャノンが言う。
「『続けさせるわけにはいかない』って、何様のつもり?」
怒りに歪んだ顔で、シャノンはオリヴィアを睨みつけた。オリヴィアは、怯えながらもシャノンから目を逸らさなかった。
「法律、だっけ。それがあった旧文明と違って、こんな終わってしまった世界じゃ、誰も、何も、あいつを裁かない。だったら、私がやるしかないでしょ! お姉ちゃんが受けた理不尽を、私があいつに返さなきゃ……じゃなきゃ、私が救われない!」
感情を剥き出しにして叫ぶシャノンの頬には、大粒の涙が伝っていた。きっと、ずっと前から、イザベルが出会ったときより前から、シャノンの心はずっと泣いていた。
イザベルがシャノンに寄り添うことはできても、彼女の心にある喪失を埋めることはできなかった。悲しみは、怒りは、苦しみは、恨みは、楽しい日々にあっても変わらず、消えることはなかった。人は、誰かの代わりになれない。イザベルは、シャノンの生きる理由にはなれなかった。
張り詰めた空気の中、口を開いたのはオリヴィアだった。
「どんな理由があろうと、人が人を殺すことなど、許されません」
シャノンのナイフを握る手に力が入ったのが分かった。オリヴィアが、ぎゅっと目をつぶった。
しかし、ナイフが血で汚れることはなかった。涙でぐしゃぐしゃの顔で、シャノンは子どものように叫んだ。
「やだよお! オリヴィアを殺したくなんてないよお! 止めないでよ、殺させないでよ、お願いだからあ〜!」
オリヴィアは、呆然と目を見開いた。シャノンから、さっきまでの殺気は消えていた。
オリヴィアを殺してでも、復讐に行きたい。
オリヴィアを、殺したくない。
どちらも、シャノンの本心なのだ。どちらも本心だから、ああして駄々をこねるしかなかったのだ。
「なあ、オリヴィア。冬が終わるまで、忘れてはくれないか」
オリヴィアの視線が、イザベルに向く。
「ナイフを当てられても説得を続けたということは、それはお前にとって決して曲げられない信条なんだろう。でも、それはシャノンにとってもそうなんだ。どれだけ説得されても、あいつの意志は変わらない。だから……せめて、冬が終わるまでは、見逃してくれないか。春になったら、また、話し合おう」
最後の言葉は、嘘だった。きっと、オリヴィアにも見透かされただろう。
それでも、オリヴィアは何かを諦めたように、長く重いため息を吐いて、微笑んだ。
「構いませんよ。まったく、しょうがないですね」
初めて会った日より、ずっと親愛のこもった微笑みだった。
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