第6話

 十年前。

 シャノンは、姉と父と三人で暮らしていた。森小屋の暮らしは不便なことも多いけれど、家族三人の生活がシャノンは好きだった。

「シャノン、今日は狐を狩ってきてくれ」

 ある朝、父は言った。前の晩、少し離れたところにある集落の人たちと酒をたくさん飲んだらしく、まだ酒臭い。

 父は時々、獲物の指定をしてくることがある。肉や木の実は自分たちで確保できるが、それ以外の日用品を揃えるには集落の人々を頼らなければならない。必要なものを狐の毛皮と交換してもらうのだろうと、シャノンは考えていた。

 狩りは、シャノンの仕事だった。姉は家事を、父は集落とのやり取りを担っている。

「分かった。帰りは遅くなると思うけど、心配しないで」

 父と姉に、シャノンは笑顔で告げる。

 狐は、賢いうえに人間の気配に敏感だ。狙って狩るとなると、ほかの獲物より時間がかかる。

(でも、お姉ちゃんは狐の肉が嫌いみたいだ)

 狐を狩った日の晩は、その肉を食べる。独特の臭みがあるからシャノンもそこまで好きではないが、嫌悪感はない。

 でも、父が狐を狩るように言うとき、姉の表情が強張ることにシャノンは気づいていた。姉は狐の肉が嫌いなことを、父に隠そうとしているようだった。

(今日こそは、お姉ちゃんを喜ばせるぞ)

 決意を胸に、懐にナイフをしまい、弓と矢筒を背負ってシャノンは小屋を出た。


 目についた獲物を弓を使って狩りをするのが、これまでのシャノンのスタイルだった。それが、父に教わったやり方だったからだ。でも、成長するにつれて必要な獲物の量も増えて、それだけでは駄目だと気づいた。

 この数年、獲物の習性や行動、縄張りを観察して、獲物の探し方を覚えた。道具も、弓だけではなく罠を使って仕留められるようにした。

(頑張って練習してきたから、きっと上手くいくはず!)

 シャノンは草むらに隠れながら、森に残された獣の痕跡を探す。地面に残る足跡や糞。その中で、目標である狐のものを見極めて、痕跡を辿った。木々のざわめきと、鳥の鳴き声だけが聞こえた。

 やがて、遠目に茶色の毛におおわれた小さな獣が視界に現れた。穏やかな歩みで、シャノンの潜む方角に進む。狐だ。まだ、シャノンの気配には気づいていないようだった。

 音を立てないように細心の注意を払いながら、シャノンは弓を引いた。静かに息を整える。

「…………」

 シャノンの目は、注意深く狐を観察していた。焦ってはいけない。矢を放った瞬間に気づかれて獲物を逃す経験が、これまでに何度もあった。

 息を潜めて待つことしばし、狐が背を向けた。その瞬間、シャノンは矢を放つ。空気を引き裂く甲高い音を立てて、矢は狐の背中に命中した。短く鳴いて、力尽きた狐は地面に倒れた。

 シャノンは弓を下ろして狐に近づくと、その毛皮に触れた。目を閉じて、その命に対し感謝と哀悼を祈る。

 正直、シャノンにはこの行為の意味が分からなかった。獣は既に死に、意識はない。

 それでも祈るのは、姉の教えによるものだった。すべての命には尊厳があり、理由があるとしてもそれを奪うなら、最低限の礼儀を示すべきだと。

 シャノンは手早く血抜きを済ませると、毛皮と少量の肉を包んで狩猟用の入れ物にしまった。

 あとは、罠をしかけた場所を辿りながら小屋に帰るだけだった。狐を狩るのがいつもより早かったから、罠にかかってなくとも兎や鹿を狩る時間は十分にあった。

 姉の喜ぶ顔が、楽しみだった。姉に、褒めてもらいたかった。

 シャノンの足取りは軽い。喜びと期待が胸にあふれていた。


 新しい狩りの仕方を身に着けて、賢くなった気分でいた。

 姉の身体に、痣があったこと。姉が、もう長いこと、父を父と呼ばないこと。狐を狩って帰ったとき、姉が暗い表情をしていた理由。

 いったいどれだけのことを、見逃してきただろう。

 いったいどれだけのことに、気づかなかっただろう。

 無知は罪だ。

 父の想定よりも早く帰ったその日、シャノンはそれを思い知ることになる。 

 すべての命には、尊厳がある。そして、生きているときでさえ、その尊厳を容易く奪われることがあるのだ。

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