◇◇ 第二話 四月十三日、あと23日・放課後(2)

 かくして──僕たちの『ゆーちゃん』が帰ってきた。

「おうおうネズミ野郎、アニメに大抜擢されてからずっと看板気取りだったじゃねぇか」

「やだなー、トカゲさんこそ離脱後もしぶとく大御所を気取ってたじゃないですかー」

 尾の燃える恐竜を代弁する翔に、発電ネズミを代弁しながらバトルをしていれば、

「はい、進化上手な襟巻きウサギちゃんも台頭しましたよー」

「ここでダークホース、最終形態オバケの登場だ」

 千亜希がそんな二人を追い越し、僕は僕で着実に駒を進めて、大作の歴史を振り返る。

「──え、ゆーちゃんそのお化粧、転校する前に覚えたの?」

「うん。前にいた高校が厳しめだった上に、私も体育会系だったから。都会に転校するに当たって、そろそろお洒落してもバチは当たらないかなーって」

「じゃあ今度一緒にお店行こうよっ。ちょっと一人だと敷居の高いお店があって──」

 話題はいつの間にか変わり、千亜希と化粧の話題で盛り上がったかと思えば、

「つーか、盲腸の痛みってどんなもん?」

「んー、前日の夜から鳩尾に違和感あって、朝起きたら脇腹を刺されてたみたいな?」

 翔が盲腸の体感について尋ねて、悠乃もいまさら恥じずに語って聞かせる。

 呆れるのは、救急車を呼んだ僕だ。

「その時点で病院に行くべきだろ。悪化させると命にも関わるらしいぞ?」

「いやー、転校初日で緊張してるせいだと思って、気合いで我慢しちゃった」

 ケラケラと笑う悠乃だった。この脳筋が病弱だと案じていた時間を返してほしい。

 時計の長針が進む。

 針が一周してもいないのに、一緒に過ごせなかった数年間が、瞬く間に埋まっていく。

「──そういえば、セージはどうしてセージなんだっけ?」

 ゲームの途中、悠乃が妙なことを言い出した。

「なんだ急に、僕はロミオじゃないぞ?」

「いや、私もジュリエットがしたいわけじゃなくてね」

 ポテチの残りを口へ流し込む悠乃に、バルコニーで悲恋を嘆く令嬢の役は向いてない。

「あだ名よ、あだ名。私は『ゆー』か『ゆーちゃん』、翔は名前を音読みして『ショウ』、ちぃちゃんは千亜希だから『ちぃ』か『ちぃちゃん』──なのにセージだけそのままなのは、なんでだっけ? いまふと気になって」

 何が言いたいのかと思ったら、あだ名の話をしていたようだ。

「あだ名か」

 あだ名──昔を思い出すと付箋のように現れる、呼んで呼ばれたニックネーム。

 単に名前を略したものから、なぜそうなったのか分からないものまで、人それぞれ。

 近頃の小学校はイジメ防止で禁止する向きもあるが、僕たちの間では呼び合っていた。

「そういえば、なんでハーブみたいな呼ばれ方してるんだろうな?」

「単に発音を崩しただけじゃね?」

 僕は記憶を振り返り、翔は適当に推測する。

「私、覚えてるよ?」

 そこで千亜希が、なぜか得意気に手を挙げた。

 幼馴染が四人もいると、誰かが忘れていても誰かが覚えているものらしい。

「カードゲームしてたの覚えてる? キッズ向けの漫画が原作の、召喚獣で戦うやつ」

 カードゲームという意外な単語が出てきた。

「男子たちの間で一時だけ流行ったあれでしょ?」

 千亜希の言葉が呼び水となり、悠乃も思い出してきたらしい。

「あー『シャーマン』とか『ウィッチ』とか魔法使い系のジョブを選択して、それぞれのデッキでバトルするやつだっけ?」

 翔に先を越された。

 そういう漫画とカードがあったのは覚えてるが、あだ名に結びつかない。

「そうそう。それで、誠治くんの使ってたデッキが『セージ』だったの。賢者って意味のセージね。名前と同じだからって、そればっかり極めようとして。だからセージくん」

「……それだ」

 Seijiせいじだからsageセージ……それが僕のあだ名だったのか。

 いままでずっと『賢者』と呼ばせてきたかと思うと、急に恥ずかしくなってくる。

「オレは覚えてるぞ? お前あの頃は勉強できるのが自慢の成績マウント小僧だったろ?ああいう頭使う勝負ではとことん負けず嫌いだったんだよ」

 ぐっ! と、僕は翔の追及で息が詰まる。

「そうそう、いっつもテストの高得点を自慢しちゃうところあったよね、誠治くん」

 ぐは! と、千亜希の追い討ちに胸を打たれた。

「そうだった。私も通知表を片手に勝ち誇った顔されたのよーく覚えてる」

 ぐおおお……と、悠乃の証言で慚愧の念に襲われ、頭を抱える。

 ああ覚えてる、覚えているとも。周りをバカばっかりだと思ってた当時の自分を!

「落ち込むなセージ。いま検索したけどsageって『かしこぶった奴』って意味もあるらしいぞセージ。正にお前のことだセージ。こりゃあ言霊ってやつだなぁ、セ・ぇ・ジ♪」

「いま僕をその名で呼ぶな……っ!」

 翔に肩を叩かれる。この幼馴染どもめ──それなら僕にも考えがあるぞ。

「僕も思い出してきたぞ。例えばショウは、高学年になっても『浣腸』を止めない悪ガキだった。授業参観の日に担任の女教師を奇襲したときはこいつアホだと思った」

「バカ蒸し返すなっ、あれ母親にクラスメイトの前で泣くまで叱られたんだぞ!」

 知らない人もいるだろうか、指を忍者みたいに構えて尻を狙うアレだ。

 悠乃と千亜希が白い目で翔を見ているが、お前らの話もちゃんとあるんだぞ。

「千亜希はあれだな、国語の授業の『本読み』を熱演するタイプだったな」

「ちょ、誠治くん!? そんな当人が忘れていたことをっ」

 小学時代、授業で教科書のお話を朗読会したことはあるだろうか?

 他の子が棒読みする中、たまに『なりきってるやつ』がいなかっただろうか。

「若い男の先生が高得点をくれるからって、周りとの温度差も構わず迫真の演技を──」

「はいあーんポッキー美味しいよっ!」

 千亜希が赤い顔で、僕の口にチョコポッキーを突き刺した。

 それを噛んで折りつつ、最後の標的である悠乃に顔を向ける。

「悠乃──僕はあの夏休みの日、背後から駆け寄ってきたお前に生きた蝉をズボンの中へ突っ込まれたことを忘れていない」

「…………うわ、それ私がやったやつだ! 私ひどい!」

 自分で言っておいてなんだが、闇に葬りたい出来事だった。

「っぷ、ごめん、あれは本当に……ぷっくくく……っ」

「ここで思い出し笑いとはいい度胸だな」

「だってあのとき……っ、必死にズボンを下ろしたセージが、お尻をこっちに向けながら転んで……真っ白なブリーフの真ん中で、ミンミンゼミが……みーんって……っ!」

 幼い僕の醜態を思い出してか、悠乃どころか千亜希と翔まで噴き出した。

「ああそうだった、そんな僕を見てお前ら爆笑してたんだよな」

「ごめんって。もうやめよ? 何が飛び出すか分からんよ」

 悠乃が降参の意を示すと、千亜希や翔も頷く。

「幼馴染が昔のことを暴露し合ったら、共倒れ間違いなしだよね」

「全員が滅ぶだけの核戦争だよな」

「まあ一通りの反撃も済んだし、このくらいで許してやるか」

 物語では重要なピースになりがちな『幼い頃の思い出』も、現実ではこんなもの。

 ただ昔を懐かしむだけの、何も生み出さない雑談だ。

 悠乃との間にあったぎこちなさが完全に解消されたこと以外は──何もなかった。


「あー遊んだ遊んだぁ。こういうのって高校生になっても楽しめるものなんだねー」

 悠乃が腕を上げて体を伸ばした。形のいい胸が浮いていたので目を逸らす。

「あ、ごめんね誠治くん、部屋を散らかしちゃって」

「いいよ、汚したわけじゃないし」

 殺風景だったはずの僕の部屋は、いまやお菓子の空き袋や飲み干したペットボトルに、ボードゲームやカードゲームが散らばっていた。

 なんてざまだ、まるでお片付けできない子供の部屋じゃないか。

「今日はお開きだな。まだ話し足りねぇけど」

「話なら学校でもできるし、また折を見て集まればいいさ」

 時計を見て惜しむ翔に、僕は体をほぐしながら言う。

 また集まる──自然と口をついた僕の言葉に、誰も異論は唱えなかった。

「ただいまー」

 一通りの片付けを済ませて部屋を出ると、玄関から聞こえる声。

 外出していた僕の母──相影が、ちょうど帰宅したところだった。

「あら、ショウくんにちぃちゃんじゃない! 遊びに来てたの?」

 母は、出迎えた息子よりも、その後ろにいた翔や千亜希に目を輝かせた。

「おじゃましてます、真奈美さん」

「どもーっす」

 幼い頃から知っている二人が気軽に答える。

 千亜希が母を名前で呼んだのは、子供の頃に母が「真奈美さんって呼んで?」と言い含めたからだ。きっと『おばさん』と呼ばれたくなかったのだろう、図々しい。

「やだもー二人とも大きくなったねぇ。それと──」

「あ、お久しぶりです」

 母の注目を受けて悠乃が会釈すると、母は悠乃の顔をしばらく見て、ハッとする。

「もしかしてゆーちゃん? うそぉ! こんなに綺麗になっちゃって!」

 驚いたことに、母は一目で悠乃を悠乃と見抜いた。

 すっかり成長した現在の悠乃でも、見れば気付くものらしい。

「はい、ご無沙汰してます……っていうか、真奈美さん? 若い……」

「やーねーこんなおばちゃん掴まえて。もう帰っちゃうの? それならちょっと待って、ちょうど遠出してきてお土産があるから」

 見れば、スーツ姿の母は片手に土産の包みを持っていた。

 僕たちを待たせて包みを開くと、中身を悠乃・千亜希・翔の三人分に分けていく。

「お待たせー、適当な紙袋で悪いけど三人とも持っていって? 特にゆーちゃんはママによろしく伝えてくれる? 後で電話するからって。番号変わってないといいけど」

「あ、はい、ありがとうございますっ」

 僕たちが幼馴染であったように、親同士も多少の面識はある。

 悠乃が戻ってきたのなら親御さんも来ているだろうし、母も旧交を温めたいのだろう。

「誠治、あんた送っていきなさい?」

「そのつもりだよ。見送りはいいから休んでろ」

 家の立地的に、悠乃の住むマンションが最も遠くなり、千亜希や翔と別れた後に一人で夜道を歩くことになる。近くまで送った方が紳士的だろう。

「真奈美さん相変わらずだなー、活力あるっつーか」

 家を出た後、翔が感心した様子で振り返る。

「誠治くん、『休んでろ』って言ってたけど、真奈美さん具合でも悪いの?」

「いや、遠出してきて疲れてるだろうからって意味だよ」

「あ、優しいんだー」

 千亜希の質問に答えると、悠乃が横から揶揄するように覗き込んできた。

「まだ夜は寒いな、さっさと行こう」

 こういうのは反応すると余計にからかわれるので、率先して歩き出すのだった。

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