◇◇ 第二話 四月十三日、あと23日・放課後(1)

 日没と同時に親睦会が終わり、参加者は宵の町へと解散していく。

 僕と帰路を同じくしたのは、千亜希と悠乃と、通学用の自転車を引く翔の三人。

「そういえば、悠乃はいまどのあたりに住んでるんだ?」

「前に住んでたマンションだよ? 部屋は変わったけど」

「なら、僕たちと同じ方向だな」

 悠乃と言葉を交わして先導する。

「つうか話し足りねぇな。二次会やらね?」

 翔の提案だ。僕も同じ事を感じていたので、他の二人にも目を向ける。

「僕はいいけど、千亜希と悠乃は大丈夫か? 疲れてるなら……」

「疲れてはないけど、できればお店以外がいいかな。お小遣いがちょっと」

「食べ過ぎもよくないしねぇ」

 千亜希と悠乃も、この面子での二次会に問題はないようだ。

「ならセージの家でどうよ? 昔は何かと集まっただろ?」

「まあ、大したもてなしもできないけど、それでよければ」

「んじゃ、途中でお菓子とか買っていこう。場所代だからセージのはオレらのおごりな」

「なら、僕は先に戻って片付けておくよ」

 翔の提案を採用して、久々に幼馴染たちを家に招くことになった。


 自宅に戻った僕は、出迎えの準備を始めた。

 部屋にテーブルとクッションを並べ、私服に着替えた頃、呼び鈴が鳴らされる。

「うわぁ……なんもないね」

「悠乃、そこは『意外と片付いてるね』とかが無難じゃないか?」

 僕の部屋を見た悠乃の反応は、正直いまいちだった。

 机にPC、本棚とベッド、円盤形の掃除ロボットなど、必要なものはあるはずだが。

「お前この本棚……ほとんど教科書系じゃん。昔はもうちょっと漫画とかあったろ」

「受験の時期に思い切って売った。以降はタブレットで電子書籍だな」

「部屋は人の心を表すなんて言うけど、誠治くんの心にはゲーム機すらないんだね……」

「そんなかわいそうな人みたいな反応するところか?」

 翔や千亜希からすると、この部屋は心の廃墟らしい。

 心はさておき、友人を招いてトークだけというのもあれだ。間を持たせる小道具くらい出すべきかもしれない。なにか無いかと部屋を見回すと、押し入れに目がとまる。

「そういえば、親戚のおじさんに譲られたボードゲームがある。例のモンスターのやつ」

「っ、誠治くん! それ見せてもらってもいい!?」

 千亜希が目を輝かせたので、出してやることにした。

 押し入れから引っ張り出したのは、小さなテーブルほどの広さがある浅い箱。

 表面には、長きにわたってボール型の捕獲器を投げられてきたモンスターたちと、少し前に引退が話題となったアニメ主人公のイラストがある。

「わぁ、なんかアンティークっていうか……」

 悠乃が絵柄の古さに感心すると、隣で千亜希と翔が愕然とした。

「これ、アニメの先代主人公が駆け出しだった頃だよっ!? 地元も制覇してない頃のっ」

「マジの『第一世代』じゃねぇかっ。性格も特性も無い時代の骨董品かよっ」

 携帯可能な据置型ゲーム機で遊んでいる世代からすれば、もはや古典だ。

 箱を開けると、双六の盤面と、モンスターが描かれた紙のチップ、複数のサイコロ──電子機器の類は見当たらない。

「……これ、どうやって遊ぶの?」

「双六と同じでいいんじゃないか?」

 目を丸くする悠乃と僕に、翔が続く。

「オレはこの感覚を知っている。曾祖父さんの周忌で行ったド田舎で、黒電話を目撃したときと同じ気持ちだ……」

 レトロを前に困惑する僕たちは、さながらパソコンを前にした中世人だった。

 僕たちの中でこういうのに強いのは、先ほどからスマホで写真に撮っている千亜希だ。

「え? この中にマスターの座を目指さない人、いる?」

「分かった、やるから」

 かくして、僕たちはレトロゲームに興じるのだった。

 僕から見て正面に千亜希、左右に悠乃と翔という配置で、小机を囲んで座る。

「で、ゆーは引っ越した後どうだった?」

「どうって?」

「引っ越し先はどんなとこで、なにしてたのか、とかだよ」

 買ってきたお菓子を口に放り込みながら、翔が悠乃に報告を求めた。

「えっと、とりあえず引っ越した先は広島ね。結構、山奥の田舎な感じで……」

 クッションの上に正座している悠乃は、斜め上を眺めるように故郷を振り返る。

「田舎? ここいらよりもか?」

 翔の言う時小海は、都会とも田舎とも言えない閑静な住宅街だ。

「そりゃもう、学校は小中高で一つずつ、方言もちょっと強めだったなー」

 どうやら悠乃は、結構な田舎で暮らしていたようだ。

「方言っていうと、広島弁か……つい任侠映画のイメージが先に出るな」

 僕の中で、仁義なさげな広島弁と、悠乃の見た目が一致しない。

「喋ってみてとか無しよ? こっちに来てから必死にアップデート中なんだから」

 僕の視線を勘違いしてか、悠乃が先手を打って断る。少し圧のある笑顔だ。

「じゃあ……そうだ、部活はなにしてた?」

「ゆーちゃん運動神経よかったから、スポーツ系?」

 僕の質問に、サイコロを振った千亜希が続く。

「中学はバドミントン、引っ越す前はこっちで地域クラブやってたし。たしか誠治くんも通ってたよね?」

「ああ、あったな。僕は中学になってから辞めちゃったけど」

 ちょっとしたお稽古のつもりで通っていたバドミントンスクール。この場の面々では、僕と悠乃だけの思い出だ。

「ゆーちゃん背が高いから強そうだね。高校でもやってたの?」

「んー、いまはやってないけど……」

 千亜希の言葉に、悠乃は言葉を濁す。

「それは、健康上の理由で?」

 理由を聞いてみると、悠乃は目を瞬いた。

 ここなら教室ほど衆目もないし、探ってもいいだろう。

 今後、悠乃と親しくする上で、二度目の救急車を呼ぶかもしれないからだ。

「……今朝から感じてたけど、もしかして私、病弱な子だと思われてる?」

「え? 違うのか?」

 さっきの妙な間は、病気になったのを隠す意図かと思ったが……

「そりゃあ、手術で遅れてきた転校生って聞いたらなあ」

「救急車の件も誠治くんから聞いてたし、割と大半のクラスメイトがそう思ってるかも」

 翔と千亜希が証言を追加する。

 すると、悠乃は口の端をぴくぴくと動かし、頬に冷や汗を伝わせた。

「……ごめんなさい、全然そんなことないんです。ほんと、ちょっとした手術なんです」

「いや、そんな申し訳なさそうな顔しなくても」

 いたたまれない様子の悠乃を落ち着かせていると、翔が口を開く。

「ははーん、さてはあれか? 痔とか泌尿器とかか?」

「ショウくんお黙り! コーラでも一気飲みしてて!」

 無神経の手本みたいな発言をした翔が、千亜希の怒りを買っていた。

「……もうちょうです」

 顔を赤くした悠乃から、蚊の鳴くような声が聞こえた。

「盲腸です、ただの盲腸。ちょっと手術したら治るだけの、あの盲腸です」

 正式名称、虫垂炎。猛烈な腹痛に襲われるというあれだ。

「盲腸ぉ? あれって暴飲暴食してるオッサンがなるやつじゃねぇの?」

 翔のイメージには同意するが、むしろ若者ほど発症率が高い病気だそうだ。

「はい、そうです。野菜嫌いを治さずに脂っこいものばかりドカ食いしてたら盲腸やったオッサン系女子です……始業式の日に発症して入院しました」

 悠乃の白状を聞いた僕たちは、呆気にとられて顔を見合わせた。

「あっ、ゆーちゃんもしかして、あのお弁当も?」

「手術してから、お母さんが食生活に厳しくなって、腸内環境にいいものを片っ端から」

 千亜希が言うには、悠乃のお弁当は病院食さながらだったという。

「内臓を痛めたってそういうことか……」

 僕が脱力すると、悠乃は涙目で小さくなっていく。

「なんか臓器の移植とか必要じゃなくてごめんなさい……心臓の疾患で余命を宣告されてなくてすみません……田舎じゃ風邪も引かない体力バカやってました。食生活を見直したいまは健康優良児ですぅ」

「ああいや、悠乃が悪いわけじゃ。というか、なんで隠してたんだ?」

「誠治くん。ほら、盲腸って、その……」

 涙目になった悠乃にあせっていると、千亜希が何か伝えようとして言葉に詰まる。

 代わりに気付いたのは翔だった。

「あー、そういや便秘が原因でも盲腸になるって、健康番組で聞いたことあるな。それと盲腸っつったらあれだ、手術後にオナラするまで退院させてもらえないんだろ?」

「はい2リットル、ぐぐっと飲み干してね?」

「え、マジでやんの?」

 悠乃が真っ赤な顔を手で覆い隠し、翔は千亜希にコーラを出されて青ざめる。

「っぷ」

 その絵面がおかしくて、思わず噴き出した。

「誠治くんっ、笑わないの!」

「はっはっはっは、そりゃ教室では言えねぇよな!」

 僕が我慢しても翔が笑い出し、釣られた僕も堪えきれなくなる。

「じゃけぇ言わんかったのに──っ!」

 顔を上げた悠乃が、慌てて口元を押さえる。

 どうやら、咄嗟に方言が出てしまったらしい。

「アップデートが中断されたみたいだな」

「えー、でも可愛いよ?」

 僕と千亜希の感想を聞くと、悠乃は床を睨むように視線を逸らした。

 よほど恥ずかしかったのか、顔の赤さが耳にまで届きそうだ。

 やがて悠乃は、我慢の限界を迎えて──


「っ、もぉぉ! みんな意地悪っ! せっかく転校したけぇ、田舎者じゃ思われんようにキャラ作っとったのにぃ!」


 爆発した。

 僕も、千亜希も、翔も、一瞬だけ驚いて、また笑い出す。

 かんしゃくを起こすような怒り方と、台詞の子供っぽさ。

 その様子が、あまりにも、幼い頃に何度も見た『ゆーちゃん』だったから。

 月日を経て変化はしても、僕たちの知る彼女は、消えてなんかいなかったのだ。

「そうか、そういう計画だったんだな」

「ゆーちゃん、なんだかおかしいと思ったら……」

「あー、田舎娘を卒業して都会もんになろうって算段だったのか。脆いメッキだったな」

 僕も千亜希も翔も、色々なことに得心がいった。

「だって……普通思わんじゃん。転校先の教室にみんなが勢揃いしとるのぉんてぇ」

 悠乃が頭を抱えて、今朝からのことを振り返る。

「セージやちぃちゃんが声かけてくれんさったときもう嬉しさでメッキ剥がれる寸前じゃったし。ショウとか顔が昔のまんまだけぇ感覚が子供返りしそうになるし。気ぃ付いたら難病を患うとったみたいな扱いになるし!」

 悠乃の、僕たちに対する呼び方が変化していた。

 千亜希の『ちぃちゃん』はそのままだが、僕は『セージ』で翔は『ショウ』と、以前のあだ名呼びに戻っている。

「もう私の転校計画、初日から綱渡りよ? 隙あらば表に出ようとする方言と昔の血を抑えこみながら、どうにか病名を明かさず病弱疑惑を解こうとしとった苦労が分かる?」

 テーブルに突っ伏して涙する悠乃。

 どうやら僕たちとの再会は、悠乃の転校デビュー計画を狂わせてしまったようだ。

「もう、ゆーちゃんってば、普段通りでよかったのに」

 千亜希は楽しそうに悠乃の頭を撫でている。

「体験談も込みで言うと、いきなり素の自分と違うことしても上手くいかないぞ」

 中学時代、何を血迷ってか生徒会長をやってしまった僕の切実な助言だ。

「だいたい無理があんだよ、あのガキ大将だったゆーが線の細い薄幸美少女とか。むしろドカ食いで腹壊して屁こいてる方がオレらの知ってるゆーらしい──」

「たいがいにせぇよ?」

「いや待てっ、あれだっ、守りに入るのがらしくねぇって言いたかったんだ!」

 額に血管を浮かせた悠乃が笑顔で脅すと、翔は暴言を撤回した。

 取り戻したガキ大将の貫禄に広島弁が加わり、迫力が増している。

「でも、そっか。うん、初日で分かってよかったかも──」

 悠乃はコホンと咳払いして、口調を整える。すると、翔の前にあったコーラのボトルを手に取り、グラスにどばどばと注ぐと、酒豪のように音を立てて飲み干した。喉が強い。

「っぷは!」

 悠乃が大きく息を吐くと、その雰囲気が一変した。

 足を崩し、背筋を軽く曲げ、声音や表情から作為が消えていく。

「優等生、やーめた」

 顔の横に上げた手でサイコロを踊らせながら、彼女は悪童の笑みを浮かべるのだった。

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