第2話 休日出勤

 街クリスマスイルミネーションに飾られ、甘いクリスマスソングがそこら中に流れている。もう数時間でクリスマス、今年はイブが土曜日だから例年よりも街はカップルで賑わうだろう。田舎から都会の大学を卒業し、就職してもう三年、相変わらずのぼっちクリスマスを今年も迎えそうだ。恋人と迎えるクリスマスなんて、年齢=彼女いない歴の僕には、縁のない話だ。よりによって、クリスマスイヴの土曜日にクレーム処理で休日出勤とは、全く持ってついていない。

 

「おはようございまーす!」「牧くん、おはよう!」佐藤雪係長が挨拶を返してくれた。「あれ?課長は?」「昨夜の接待で二日酔いだって!今日は、私がピンチヒッター!」「係長が?」クリスマスイヴの奇跡か?思わぬ展開に心が躍る。

「自分から押し付けておいて、勉強になるから行ってこいだって!笑っちゃうよね!」「すいません。僕のミスなのに。」「いーのよ!ぼっちイヴだし!」

 

 佐藤雪係長は、美人で愛想も良く、社内でも人気が高い!猫のような大きな二重の目、鼻筋が通っているのに丸顔。上司相手でも、遠慮なく意見を述べるタイプで、強気な性格。何人もの男子社員がアプローチしているが、剣もほろろに討ち破れている。キレた時のヒジ鉄と突っ張りは、社内歴代最強らしい。因みに名前の「雪」は、父親が大の松本零士ファンで宇宙戦艦ヤマトに登場するヒロイン「森雪」から取ったと聞いている。


 地下鉄で座りながら、簡単に打合せをする。ドアが開き乗客が乗り込んできた。「ちょっと、もう少しこっちに座りなさい。」係長と肩が触れ合う近さだ。シャンプーなのかな?ほんのりと甘い香りがする。心臓がドキドキした。落ち着こうと息を深く吸い込んだ。

「ちょっと、ちゃんと聞いてる?」こちらに顔を向けて、眼鏡越しに大きな瞳が覗きこんでいる。ちょ、ちょっと近すぎ!やっぱり係長綺麗だなあ。

 駅を降りてクライアントの会社へ向かう。受付で会議室に向かうように指示された。担当者が来るまで立って待つ。

 コンコン、ノックがして担当者と上司らしい男性が入ってきた。「この度は、ご迷惑をお掛けして、真に申し訳御座居ません。」二人で深々と頭を下げた。

「いえいえ、こちらも説明不足があったようで…。」上司らしい男性が返した。「どうぞ!おかけになって…。」昨日、僕に激昂した若い男性の担当者は、もの静かだ。ほぼ、上司同士で話が進められていく。担当者から僕に細かい修正箇所の説明があり、担当者は次のアポイントの為に早々と席を立った。

 僕も緊張が緩んだせいか、トイレに向かった。会議室のドアをノックしようとすると、中から声が聞こえてきた。「もう、やめて!貴方とは終りにしたはずよ!」「なぁ、雪!」「触んないで!しつこいと奥さんに言うわよ!」

 わざとノックせずに入った!男性上司が伸ばしていた左手を慌てて引っ込めた。「じゃ、今回はこちらで。失礼します!」係長が立ち上がり、深く礼をして席を立った。

 機嫌が悪くなったのか係長は、前を歩いている。ヒールを打ち付けるように歩く足が速すぎる。「ちょ、ちょっと足が速すぎますって!転けますよ!」小走りに走って肩を掴まえた。こちらを向くと眼鏡の下の大きな瞳から涙が幾筋も伝っていた。「もう、バカぁ!こんな顔見られたくないのに!牧くんのバカぁ!」怒ったかと思ったら抱きついてきた。僕の胸に顔をうずめて、「君のクレームなんだから胸ぐらい貸しなさいよ!」初めて女性の細い肩を抱いた。嗚咽を漏らしながら、肩を震わせている。道行く幸せそうなカップルたちが僕達を見ながら通り過ぎていく。


 散々泣いた係長は、ぼーっとしたまま地下鉄に乗っていた。「会社に戻ります?」「そうね?」いつもは宴会盛り上げ役で、よく喋るイメージの彼女が俯いて黙っている。

 会社に戻り、課長に報告を入れた頃には陽が落ちて真っ暗になっていた。あとは事務的な処理とSEと打合せだ。

「さ、今日はこのへんで!」「あっ、はい!」「牧くん、今夜用事あるの?デートとか?クリスマスイヴだもんね!」「いえ、特には!」「じゃ、御飯食べに行こうよ!イヴだしさ!」係長は、僕の返事も聞かずベージュのコートをサッと右肩に乗せて、ヒールを鳴らしてエレベーターへと歩き始めた。


 歩きながら、スマホで電話をかけている。「急ですけど、今から二名って…。あっ、クリスマスコース?あっ、はい。それで!」タクシーを拾って、19時頃店に着いた。隠れ家的なオシャレなフレンチレストランだった。「ここ、高そうですね?」「大丈夫よ!牧くんのオ・ゴ・リ!」「えっ?」「冗談よ!ボーナス貰ったとこだし、今夜は、淋しい独身三十路女に付き合いなさい!」「係長三十って見えないですね!」「こらこら、口説かない!三十路は怖いぞー!」「牧くん、何で彼女いないの?」「いや、いたことないんで…。」「えっ、マジっ?」「ちょっと、引かないでくださいよぉ!」小声になった。「ひょっとして?」首を横に振った。これは、完全に遊ばれている。

ワインも二本目に突入しているし…。猫がネズミを弄んでいる光景が目に浮かぶ。

また小声で、「じゃ、素人ナンとか?」とりあえず頷いた。「あっハハハ、ハハハ。えー、可愛いじゃん!」

「よし!もう一軒行こ!」「ちょっと、係長呑み過ぎですって!」係長を置いて終電で帰りたかったが、あの時の涙が気になって帰れない気分だ。あの会社の男と何かあったんだろうけど、部下という立場からして聞きづらい。

深夜1時を回り、二軒目のバーも閉店となった。「おい、牧!うちで呑み直すぞ!」「はいはい、係長、住所は?」財布を渡してくれたので、免許証を見てタクシーの運転手に告げた。「グー…。」走り出して一分と経たないうちに僕の右肩にもたれて眠っている。


「すぐ戻りますから、5分だけ待ってて貰えますか?とりあえず、ここまでの分、おつりはいいので…。はい、すいません!」「今夜は、忙しいからね!5分だけだよ!」

 係長が起きない。仕方なくおぶっていく。「暗証番号は?」鞄から勝手に部屋の鍵を探して開ける。あー重たい!でも、思ったより、軽いなぁ。「お邪魔しますよ!」ドアの鍵を開けて部屋に入る。何とか靴を脱がして、ベッドに寝かせることが出来た。「じゃ、係長、帰りますから、月曜日会社で宜しくお願いします。今日は、ありがとう御座いました。」立って帰ろうとすると手を掴まれた。

「泊まって!」「えっ?」「そういう意味じゃないから…。泊まっていきなさい。」何だか淋しそうで、手を振り解けなかった。

「もう、どこで寝てんのよ!風邪惹いちゃうわよ!」目が覚めた。寒さで身体が震える。ベッドの横のフローリングの上で寝ていたようだ。「ほら、これに着替えて。」男物のスウェットだった。係長は、いつの間にかグレーのスウェットの上下に着替えていた。洗面所で着替えて部屋に戻った。「ほら、こっち!大丈夫よ!食べたりしないから!」「いや、でも僕はソファーで!」「つべこべ言わない!こっち来る!ソファーじゃ風邪惹くよ!」促されて、ダブルベッドに横たわった。係長の体温を感じながら、何だか幸せな気分で眠りに落ちていった。


 結局、今もあのことは聞けずじまいだ。


「課長、土曜日来ないから、牧と呑みに行って、うちに泊めたんですよー!僕、今夜は帰りたくない!とか、言い出しちゃってー!」「お前らやったのか?」「やったって、何ですかー?一緒のベッドで寝ただけですよー!だって、牧くんチェリーですよ!」


 ちょ、ちょっと、それセクハラというヤツじゃないですかぁ?皆が僕を見つめているし、女子社員は笑ってるし!会社でその話、何か話すり替わっているし、やーめーてー!「お前、佐藤とやったのか?」って、先輩方から聞かれるし、散々な一日だった。明日から、会社でどう過ごしたらいいんだろう。「穴があったら入りたい。」というある有名アーティストの曲のフレーズが頭をよぎった。


「牧くん!お正月うちで一緒に過ごさない?」係長からLINUが入った。


 「ほら、係長、雪!」「何、呼び捨てにしてんのよ!」顔を上げた。「ほら、雪ですって!」「あっ、ほんとだ…。」見上げた空からは今年初めての白い天使達が舞い降りてきた。

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