#33

――屋敷を飛び出したラシュは、町へと向かっていた。


だがすぐに走るのを止め、足取りが重くなる。


それは母ディーリーへの感情――どうしてわかってくれないんだと、怒りよりも悲しみがラシュの全身に重く圧し掛かっていたからだった。


「初めて母さんにバカとかいっちゃった……」


少しだけ後悔しながら、彼女がトボトボ歩いていると、前からザザが向かって来ていた。


ザザはニカッと歯を見せると、ラシュに声をかけてくる。


「よう。ジェフのヤツにはお前が遅れるっていっておいたぜ。つーかあいつはホント人がイイよな。オレがあいつに何をしたのかもう忘れてるみてぇだ」


足を止めたラシュにそういったザザは、すぐに彼女の異変に気が付いた。


そして、彼が屋敷で何かあったのかと訊ねると、今にも消え去りそうな声で、ラシュは落ち込んでいる事情を話した。


「母さんはどうしてそんなことをいうんだろ……」


しばらく黙って話を聞いたザザは、側にあった木に寄りかかるラシュの横に並ぶ。


それから彼は、彼女の母であるディーリーが何を考えて国を出るといったのかを話し始める。


「お前の母さんは 人がどれだけバカな生き物なのかよくわかっているんだよ。実際に人間は最低だ。特に王族やら貴族なんて連中はな。誰もがお前やジェフみたいなヤツじゃねぇ」


その話は実体験からか。


ザザもディーリーと同じ意見だと言い出した。


人間は自分よりも弱い者には強く、そして見下している相手には何を言っても何をしても許されると思っていると。


ラシュのように打ち倒した相手を仲間に誘ったり、ジェフのように自分のされたことを忘れるような人間は一握りだと。


彼はいつもの荒っぽい口調ながら、まるでラシュをさとすように言葉を続けた。


「賭けてもいい。このまま鋼の抱擁カレス オブ スティールがプログ王国にいても必ず迫害はくがいされるだろうよ。そういう連中なんだ 人間てのはな。奴らが泣いてすがるのは自分が苦しいときだけだ。平和に慣れればすぐさま文句いって悪いところを探し始める」


英雄の座はすぐに追われる。


勝った直後は感謝しても、誰も下賤げせんの生まれに輝かしい地位にしてほしいとは思わない。


それが人間という生き物なのだ。


ディーリーはそう言いたかったのではないかと、ザザは優しくラシュに伝えた。


「でも! 今ザザだっていったじゃん!? ジェフみたいな人だっているって! 王さまだってわたしたちのことッ!」


「わかってんだろ? ジェフのヤツは特別だ。だからお前もかれたんだ。それと、プログ王はたしかに鋼の抱擁カレス オブ スティールを気に入っているとは思う。なんせ団長だけじゃなく部下にまで爵位しゃくいをやるくらいだからな。だが、それでもたった2、3人の感情で国なんてものは制御できない、どうしようもないってことを、お前の母さんは知っているんじゃねぇかなぁ」


ザザの言葉には、ラシュにも納得できることが多かった。


たしかにジョフは特別だということと、人が多ければ多いほどその集まりはまとまらなくなる。


母ディーリーの判断は間違っていない。


そう考えたせいか、彼女は何も言い返すことができずに、うつむいてしまっていた。


好きな人を引き合いに出され、落ち着いて考えてみればわかる。


鋼の抱擁カレス オブ スティールは、どこにも居場所のなかった人間たちが集まってできた傭兵団だ。


その中には元犯罪者として故郷こきょうを追われ、断罪だんざいされそうになって逃げていた異教徒なども多くいる。


そのことをよく思わない者がいるのも当然だろう。


さらにディーリーが口にしていたように、鋼の抱擁カレス オブ スティールの出世を気に入らない者がいることもわかりきっている。


突然現れた荒くれ者の集団が王宮に出入りするようになり、国の政治に意見できる立場になるなど、面子めんつを大事にする貴族や騎士たちからすれば、たまったものではないだろうということを。


母が自分たち団員――家族を守るために、国を出ようといったことは正しい。


だが、それでもラシュは――。


「失礼。あなたがラシュ様ですね。実はあるお方に、あなたにこれを渡すように頼まれましてね」


ラシュがうつむいていると、そこへ一人の男が現れた。


その男は背負っていた大きな荷物を彼女に差し出すと、名も名乗らずにその場から去っていく。


ザザがいぶかしげな視線で去って行く男の背中を見ている横では、ラシュが渡された荷物の中身を確認し始めていた。


気分を変えたかったのもあったのだろう。


手早く荷物におおわれていた布を取る。


「おい、ラシュ。なにいきなり開けてんだよ? 危ねぇもんでも入ってたらどうすんだ?」


「心配しすぎだよ、ザザは。こんな町中で危ないものを渡すはずないじゃん。なんか手紙と絵画かいが? みたいだよ」


ラシュはザザにそういうと、中に入っていた額縁がくぶちに入った絵を抱きながら手紙を読み始めた。


気をつかったザザがラシュの傍から離れようとすると、彼女が身を震わせながら声をかけてくる。


「ザザ……。ちょっと、見てよ……」


「おいおい、人さまから送られてきた手紙を、そうそう他人に見せるもんじゃねぇぞ」


「いいから見て!」


一体何事だと手紙を覗き込んだザザは、その内容を見ると、絵画のほうを見た。


その表情は、先ほど声を張り上げたラシュと同じものになっている。


「こ、こいつは……マジなのか……? だってお前は団長の娘で……だがこの傷はッ!?」


狼狽うろたえながら絵画を見ていたザザが思わず後ずさっていた横で、ラシュの目が、次第にきびしいものへと変わっていった。

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