#32

――屋敷でのうたげが終わった後。


ラシュが目覚めたのは次の午後だった。


うつらうつらと窓から外を眺め、陽が落ち始めているのを見た彼女は、慌ててベッドから飛び出す。


「なんで誰も起こしてくれないのッ!? 今日は朝からジェフと出かけるつもりだったのにぃぃぃッ!」


一人廊下を走りながら、わめき散らすラシュ。


そんな白いシャツ一枚だけで駆けていく彼女を見て、団員たちが一体何事だと小首をかしげていた。


ラシュが昨夜パーティーをしていた玄関前の広間に辿り着くと、そこには片づけをしている団員たちの他に、ディーリー、クスラ、ルーニー三人の姿があった。


皆、散らかったゴミや皿を回収し、壁や天井に付けた花のかざりを取り外している。


盛大に散らかされているのもあって、見るだけで嫌になるほど時間がかかりそうだ。


「あッラシュ、やっと起きたんですね」


ルーニーがラシュに気が付くと、クスラがムッと顔をしかめ、彼女のいるほうを見る。


「遅いんだよ! いつまで寝てんだ! 稽古けいこも掃除もサボりやがって!」


「ごめん! でも、起こしてくれればよかったのに……」


ラシュが申し訳なさそうにクスラにいうと、彼女は首だけを動かして、ディーリーのことをあごで指した。


どうやら彼女が、ラシュが自分で起きるまで眠らせてやろうと言ったようだ。


そして、苛立つクスラがラシュに説教を始め出すと、ディーリーはそれを止めに入った。


「そんなに怒るな、クスラ。いいじゃないか、今夜にはもう国を出るんだ。最後の夜の余韻よいんくらいひたらせてやっても」


「え……? 母さん、今なんて……?」


「うん? 起きたばかりで呆けているのか? 今夜には皆で国を出ると言ったんだ」


母の言葉を聞き、ラシュは寝起きのだるさも寝坊した申し訳なさも吹き飛んでいた。


今夜このプログ王国を出る?


一体どうしてなのだと、考えても理解が追いつかない。


「なんで……なんでこの国を出るの!? わたしたちは貴族になったんだよ!? 母さんなんて将軍になったんだよ!? 王さまや国の人たちに認めてもらったのに、なんでここから出る必要があるのッ!?」


ラシュはディーリーに喰ってかかるようにうったえ、頭の中でうごめく疑問をぶつけ始めた。


それを見たクスラは、先ほど彼女の説教していたとは思えぬほどひるみ、ルーニーを含めた団員のすべてがうつむいている。


その様子からして、ラシュ以外の者たちは、なぜこの国を去らなければいけないのかをわかっているようだった。


そんな娘に対して、ディーリーはため息をつきながら向き合った。


表情を厳しいものへ変えた母の顔を見て、ラシュは思わずってしまう。


ディーリーは言う。


「お前は人というものが、どういう生き物かを理解していない」


「なんだよそれ!?」


ラシュは、震える体を無理矢理に奮い立たせて言い返した。


初めての母への反抗だ。


これまではなんでも言うことを聞いてきた彼女だったが、今回だけは譲れないとばかりに声を荒げた。


事実、吐いた言葉通りラシュにはまだわからなかった。


人間がどういう生き物かということと、この国を出ることがどうしても結びつかない。


「わかんないよ!? 昨日のパレードでこの国の人たちみんなわたしたちのこと受け入れてくれたじゃん! 王宮でもそうだよ! 貴族の人たちだって喜んでいくれたし、爵位しゃくいまでくれた。それって王さまやえらい人たちががわたしたちにこの国にいてほしいってことでしょ!?」


「プログ王や王宮の者ら、この国の民たちが私たちを気に入っているのはその通りだと思う。だがな、私たちをよく思わない者もいる。王宮内の勢力争いに巻き込まれる前に、さっさとこの国を去るべきなんだよ」


「そんなの母さんの被害妄想だよ! わたしはこの国を出たくない! 戦争のない国で、団のみんなと、ジェフと一緒に暮らしたいんだッ!」


そう叫んだラシュは、クスラやルーニー、団員たちのほうへ体を向けた。


その顔を見て、誰もが彼女が何を言いたいのかがわかる。


皆も自分と同じ気持ちだろうと。


「もう戦う必要はないんだよ! もう人を殺さなくていいんだよ! 仲間が死ななくてすむんだよ! なのに、どうしてこの平和な国を出なきゃいけないんだって、みんなは思わないのッ!?」


ラシュの訴えに、誰も何も言い返さなかった。


クスラは歯を食いしばり、ルーニーは顔を背け、団員たちは皆、床に敷き詰められた絨毯じゅうたんに目をやっている。


その表情から察するに、彼ら彼女らはそんなことはわかっていると言いたそうだった。


だが、ディーリーのいうことは絶対なのだ。


彼女が白を黒といえばその通りになる。


それが鋼の抱擁カレス オブ スティール暗黙あんもくの了解だった。


もちろん団員たちに人権がないわけではない。


だが、それでも多少の違和感とディーリーを慕う気持ちを天秤にかけたとき。


皆が選ぶのは団長である彼女の意志だ。


「答えてよ! ねえクスラだってそう思うでしょ!? ルーニーだって……。みんな、みんな……なにかいってよッ!」


「ラシュッ!」


団員たちにすがりつくように声をかけ出した娘に、ディーリーは突然声を張り上げた。


そのときの彼女は、そのまま皆に迷惑をかけるなという母親そのものだった。


「その辺にしておけ。お前が何を言おうが今夜には国を出る。せめて、あの子と別れの挨拶でもしてくるんだな」


「くッ!? なんでわかってくれないんだよ! 母さんのバカッ!」


ラシュはディーリーをにらみつけると、その場から走り去った。


扉を乱暴に開けて飛び出し、屋敷から出て行く。


「あんなに感情的になったラシュ……初めて見ます……」


「姉さん……。これでいいのかよ?」


ルーニーがそんなラシュの背中を見ていうと、クスラはディーリーに声をかけた。


だがディーリーは放っておけと言わんばかりに、再び片づけを始め出す。


「お前たちは気にしなくていい。これは私とあの子との問題だ。なぁに、どうせ帰って来るさ」


そしてディーリーは、心配そうにしている団員たちにそう言うのだった。

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