#8

ジェフがラシュに手渡したのは花の束だった。


明るい黄色の羽毛のような見た目に、甘く優しい香りがする。


彼が動かすたびに花が可愛らしく揺れ、それを見ただけでラシュは幸せな気持ちになった。


「これ、なんて名前の花なの?」


「知らない? これはね、ミモザっていうんだ。キレイでしょ」


ジェフはそう言いながら花を包み始めた。


ラシュは出会ったばかりでこんな綺麗なものをもらっていいのかと戸惑ってしまう。


だが、それでも断れることはできず受け取った。


渡された花を見てドギマギしていると、ラシュは母であるディーリーと待ち合わせしていたことを思い出した。


ジェフにそのことを伝え、彼女は慌てて店を出て行こうとする。


ラシュが店の扉を開けると、ジェフが彼女の背中に声をかけた。


「また会えるよね」


コクッと頷いたラシュは、顔を真っ赤にしてその場から去って行った。


それから馬の水飲み場へと戻ると、そこにはディーリーが立っていた。


こちらへと走ったきた娘を見た彼女は、当然ラシュが持っている花にも気が付く。


「なんだ? 買い物に興味ないって言っていたのに、花を買ったのか」


「ちがうよ! こ、これは……その……ちょっと知り合った子にもらって……」


ディーリーはもじもじとしながら答えたラシュを見て理解する。


きっと同じ年齢くらいの男の子にもらったのだと。


その動揺ぶりからして、ラシュがこういうことに慣れていないのだと思うと、ディーリーはなんだかおかしくなった。


元々人から注目されるのが苦手なことをは知っていたが、たかが花をもらっただけでここまで顔を赤くするのかと、ディーリーはちょっとラシュのことをからかいたくなる。


物心ついたときから戦場で剣を振っていて、色恋沙汰とは無縁の生活をしてきたのだからしょうがないとわかっていながらも、恥ずかしそうにしているラシュに意地悪なことを言いたくなった。


「ほう、どんな子だ? 男か、まさか女の子から? お前も私が知らない間にやるようになったじゃないか」


「もう! やめてよ母さん! ジェフは……そういうんじゃないんだから……」


「ジェフというのか、その子は。どれ、母としてひとつ、私もその子に礼を言いに――」


「いいから行こう! もうこの話は終わり!」


「はいはい。わかったよ。そんなにムキになることないじゃないか」


「ムキになってなんかないよ!」


声を張り上げて否定するラシュ。


ディーリーはそう言って先を歩きだした娘の背中を見て、クククと肩を揺らした。


合流した二人はその後に町を回ったが、ラシュはずっと上の空だった。


露店で品物を見ても、路上でやっていた旅芸人の出しものを観ても、呆けた顔で花を抱いているだけだ。


これはもう帰ったほうが良いなと判断したディーリーは、まだそれほど時間が経っていなかったが、屋敷に戻ることにする。


ラシュは黙ったまま頷くと、特に反対せずに母の意見にしたがった。


二人が屋敷に戻ると、クスラがラシュに向かってドスドスと歩きながら近づいて来る。


その顔は強張っており、ラシュは花束をギュッと強く抱いて身構えてしまっていた。


「おいラシュ! これは一体どういうことなんだ!? ちゃんと説明しろ!」


「クスラったら、いきなりそんな言い方したってわからないでしょう。あなたのほうが説明が足りませんよ」


ろくな説明もないまま怒鳴るクスラの後ろから、ルーニーが「はぁ」とため息をつくながら、なぜ彼女が声を荒げているのかを話し始めた。


なんでも柄の悪い男の集団が突然屋敷に現れ、クスラかルーニーを出してくれと言って来たようだ。


その話を聞き、それまで黙って様子を見ていたディーリーが、ここでようやく口を開く。


「うちに喧嘩けんかでも売って来たのか? 昼間から堂々と屋敷にやって来るなんて、一体どこのバカだよ」


「それがね、姉さん。なんかそいつら、ラシュにアタシらの名前を出すように言われたってここへ来たんだよ」


クスラがディーリーに、さらに細かい説明を始めた。


どうやらその柄の悪い男の集団は、ディーリーの率いる傭兵団――鋼の抱擁カレス オブ スティールに入りたいと言って来たようだ。


事情を聞いたクスラとルーニーは、とりあえず団長であるディーリーに話は通しておくからと返事をし、今日のところは帰ってもらってらしい。


「……あの人、仲間なんかいたんだ」


ラシュは、クスラとルーニーに話を聞いて気が付いた。


その柄の悪い男たちの集団とは、自分がジェフを助けたときに戦った男なのだと。


騒動の後にすぐにその場から姿を消したのもあって、まさか屋敷に来るとは思っていなかっただけに、ラシュは驚きを隠せない。


「その顔……。ラシュ、お前。私を待っている間になんかやったな。その花をくれたジェフと少年と関係があるのか?」


ディーリーはラシュの態度や挙動から、彼女がその柄の悪い男たちの集団とひと悶着あったのだろうと訊ねた。


だがクスラとルーニーは、柄の悪い男たちの話よりも、ラシュが花をもらったことに突っ込む。


「なに!? その花、男からもらったのか!? 姉さんが買ってあげたんじゃなく!?」


「まあまあ、ラシュもすみに置けませんね。この国に来たのは昨日だっていうのに」


「ちがう! ジェフはそういうんじゃないんだから! っていうか、今その話は関係ないでしょ!」


顔を真っ赤にして声を張り上げたラシュ。


クスラとルーニーはそんな彼女を見て、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


そのときの彼女たち二人の顔は、ラシュのことを、相変わらずわかりやすい子だとでも言いたそうなものだった。


それから柄の悪い男たちの集団の話などそっちのけで、クスラとルーニーはジェフについて訊ね続けた。


どこで知り合ったのだ。


そいつはどんな奴だ。


いつの間に男を落とす技術を身に付けたのだと、恥ずかしそうにしているラシュの言葉をぶつけていた。


「だから今はジェフのことよりもそのやってきた男の人たちの話でしょ!?」


声を張り上げて話題を変えようとするラシュと、そんな彼女をからかうクスラとルーニー。


そんな光景を見ていた周囲にいた団員からも、笑い声が聞こえてくる。


ディーリーはラシュたちや笑う団員たちを眺めると、微笑みながらその場から去って行った。

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