第15話 デート

八月二十八日


 せっかく沙羅と二人きりになれたというのに、一階の小料理碧が忙しく。昨夜も夕方から駆り出されている。私も横に並んで手伝いたいくらいだが、こんな親父はきっと使いづらいだろう。昨夜も遅かったみたいで、私が先に就寝していた。沙羅は明後日、京都へと帰ってしまう。彼女と過ごす日々はあと僅かしかない。ギャル二人にも「ちゃんと気持ち伝えなあかんで、絶対喜ぶから!」と背中を押され、昨夜りなからのラインのやり取りで「まだ、言うてへんの!しっかりしなあかんやん!」と激励された。ギャル二人は、沙羅も私のことが好きだと言うが、彼女の私に対する好きは「お父さん的好き」であって恋心とはまた違うものだと思う。本人も小さな頃からファザコンでと話していたし、こんな親父に恋するなんてあり得ないだろう。自分で淹れたコーヒーを右手にコンビニで買ってきたサンドウィッチを頬張る。

 伝えるべきか、伝えないべきか?恋して悩むのは、中学生も今も何も変わらない。告白して気不味くなるのが怖い。でも、沙羅に恋人が出来るのはもっと怖い。気になる人が出来たと皆で呑んだ時言っていたが、周囲に突かれても頑として話さなかった。「気になる人」が私であればそれはもう死んでもいいと思えるほど幸せだが、まずあり得ないだろう。

 一人で悩みながら、いつもの朝のバラエティー番組を観ていた。沙羅がいれば一緒にツッコミ入れたりして笑い合っているのだが…。「ダンダンっ」階段を降りる音がした。「たっちゃん、おはよう!あー、言ってくれたら、朝御飯作るのにー!ごめんねぇ。」「たまには、サンドウィッチもいいかなと思って、散歩のついでにね。」沙羅が自分の朝御飯を用意する。一人だと面倒だからお気に入りのカップ麺とサラダだ。「たっちゃん、今日予定は?」「特には無いけど。」「叔母さんから、これ貰った。お客さんがくれたらしいんだけど…。」島唯一の映画館パニパニシネマの前売りチケットだった。一度は倒産したが、吉本興業が買い取って復活した。スマホで検索すると二本だてで完全入れ替え制、一本は宮崎駿のアニメ、もう一本はラブロマンス。「どっちも観たいなぁ。どっちにする?」左に並んだ沙羅がスマホを覗き込む。「えーっと、映画館の駐車場に車を停めて、お昼はRadixで食べて、ゆっくりお茶も出来るし…。」15時15分から上映のラブロマンスに決まった。「碧のバイト間に合わないんじゃない?」「今日、マスターが模合で休みだから大丈夫!そうだ、晩御飯も行こ!」まるでデートの打合せみたいだ。いや、これはデートと考えていい。「前にお昼食べに行った虎猫家さんに行きたい!料理とワインのマリアージュだって、楽しそう!」最後になるかもしれないからホテルの高級レストランを考えていたが、沙羅の行きたい店にしよう。混んでるかもしれないから、今から予約の電話をしよう。呼び出し後、「ありがとうございます虎猫家です。」優しいマダムの声がした。

 暑いので先に車に乗ってエアコンを入れて沙羅を待つ。「まだかかるからちょっと待ってね。」ラインにメッセージと猫がお辞儀をする動くスタンプが来た。予定より10分ほど遅れて、ドアを開けて助手席に乗った。黒いタイトなミニワンピースだ。ノースリーブで腰骨より上の左右の部分が大きく空いている。肩からアジアっぽい彩りの綺麗な薄いストールを掛けている。「どう、変かな?」マスカラとアイラインで縁取られた大きな瞳で不安そうに見つめる。「綺麗だ。」心の中で呟く。「めちゃ可愛いやん!似合ってるよ!いつもより大人っぽいし!」「やった!良かったー!」沙羅の笑顔が溢れる。車内が躑躅(ツツジ)の淡く甘い香りに包まれる。「この服りなに選んでもらったの。沙羅は子供っぽい服ばかりだから、たまにはこんなの着なさいって!一つ下なのに、何だか姉ちゃんみたいで…。」夢中で話す沙羅の両耳にラピスラズリの星空のようなピアスが揺れている。

「まなも色違いで御揃が欲しいからって試着したんだけど、あの娘お尻も胸も大きいから…。」服の話のまま映画館の駐車場に着いた。ワンピースの背中も大きく空いている。ビキニの跡が艶めかしい。下着はどうなっているのだろう。いやいや、親父が気にしちゃいけない。足元も珍しくヒールだ。「あ、これもね!りなセレクト。あの娘センスいいんだ。OLよりアパレル系のほうが向いていると思うんだけど…。雑誌の読モやってるみたいだし、スタイルいいもんね。」「りなも綺麗だけど、俺は沙羅のほうがずっと綺麗だと思うよ!キュートで可愛いし!」「えーっ、ありがとう!でも、りなのおかげ!」小顔で手足が長く、ちょっと小尻な体型にタイトなワンピースは素晴らしく似合う。彼女の細くくびれたウェストが強調されている。私とのデートの為ではないだろうがこの服を選んでくれたりなにお礼を言いたい。数歩先を歩きながら、くるりと何度も振り返る。鼻歌を口ずさみながら少女のようにはしゃぐ沙羅が可愛い。

「あ、そうだ!りなに写真送りたいな。」歩きながら、街中スナップのように沙羅をスマホで撮る。前を通りがかった花屋の女性が「うわっ綺麗!モデルさん?」出てきてお店の前で花を持って撮影させてくれた。沙羅がねだって私とのツーショットも数枚撮って貰った。

 沙羅お気に入りの街中カフェの木造りのドアを開けると焼きたてパンのいい匂いがする。入口からは想像出来ないほど中は広い。黒いソファーと木製のテーブルと椅子、ラベンダー色のペンダントライト、ホールの周囲は漆喰の壁伝いに本棚になっていて、漫画を中心に沢山の書籍が並べられている。本日のランチメニューからメンチカツを選んだ。「ここのメンチカツ、ジューシーで絶品なんだ。」という沙羅のオススメである。待っている間、読みたい漫画を探す。一体、どれ位あるのだろうか?ざっと見て一万冊、いや二万冊はあるだろう。沙羅は恋愛物を選んで来た題名は「Peace Of Cake」と書かれてある。人気作家のものらしい。私は最近ネットで読み始めた。「ザ・ファブル」を途中の巻から選んだ。お洒落な眼鏡のくまさんキャラなご主人が料理を運んで来た。優しい中にちょっとヤンチャが香るイケオジである。御夫婦と娘さんで経営されていて、奥さんがキッチン担当だ。ご主人は、夜はバーをやっていて、島の音楽プロデューサー兼アーティストとしても有名だ。山盛りのグリーンサラダとポテサラの右に大き目のメンチカツが二枚乗っている。箸を入れるとサクっと音がして中からじゅわっと肉汁が溢れる。辛子ととんかつソースを付けて口へと運ぶ。「ほら、美味しいでしょ!」沙羅が笑顔を浮かべて先に言う。「ジューシーでサクサクでたまんないね!」白ご飯も多めで、このボリュームでドリンクを付けても千円ちょっとは今時有難い。観光ブームの影響もあって、島のランチは馬鹿高い!材料原価が上がっているのは確かだが、5年前の倍近くになっている店もある。でも、良く探せば僅かしか値上げしていない良心的なお店も沢山あるのだ。良心的なお店は大抵、常連客の割合が多く、味も確かなのである。

 食べてる途中で「ご飯少なめにしたら良かった。残しちゃいそう。たっちゃん、食べれる?」沙羅はよく食べるほうだが、女性にはちょっと多いだろう。白ご飯を箸で持って私の椀に移した。隣の席ではミドルエイジの女性達が白ご飯を半分、おかずも半分以上残したまま歓談に夢中だ。ドリンクも注文せずに箸も戻していない。いつ下げてよいのか店の方はわからないだろう。やはり人気店のようで、もう満席だ。新たな客が入って来て席を探すが諦めて帰っていった。お店の娘さんが隣の席の食器を下げていいか確認している。それがタイミングだったのか三人は、すぐにレジへと向かった。さっきの新規客が空席を見に来た時に「ここ、いいですよ!」と言ってれば、彼等も美味しいランチにありつけたのだが、この女性達にはそういう気遣いが無かった。せっかく作って貰った料理も半分残す。三人ともが満腹な訳では無い。誰か一人が残せば同調して残すのだ。店と客の付き合い方にも当然「礼儀礼節」があると思う。店やほかの客への配慮が出来ない大人はだらしない。

 自分も店を経営すると、こういう客に多々あたるだろう。我慢して文句を言わず対応されているお店の方の心境はきっと穏やかではない。でも、これもまた商売だ。我慢して心の底に沈め無ければならない。

 隣の席には、新たに黒ギャル三人が座った。「これはうるさくなるなあ?」と思ったが意外と普通に話している。あの無理やりなハイテンションや拍手はない。ちゃんと店の空気を読んでいる。三人が顔を寄せてこちらを見ながらひそひそと話す。「あの娘、めちゃめちゃ綺麗くない?芸能人かモデル?マネージャーさんとかなぁ?」話題の当人は漫画に夢中で聞こえてないが、耳の良い私には筒抜けだ。「ちょっと声かけれるかな?無理って!漫画読んでるし!」りな風のスレンダーな女性が席を立った。漫画を一冊手にして、沙羅の左上から覗きこんだ。「あっ、ピースオブケイク!これめっちゃ面白いですよね~!」「家に全巻あるんですよ!」沙羅がビックリして見上げた。「あ、はい!前に映画のほうも観たことあって!」この漫画の作家の話で盛り上がっている。歳は沙羅より一つ二つ上に見えるが、お互い礼儀正しく小気味よい会話を交わしている。「すいません!すごく綺麗なんで気になっちゃって…。芸能人とかモデルさんとか?」沙羅が少し赤くなって、慌てて手を振った。「えー、ただの学生です。」帰省して叔母がやってる宿と居酒屋でアルバイトしていることと、私が宿の客であることを話した。「えーっ!すっごい残念!もう、帰るの?お友達になれそうだったのに!」話を聞いてみると、彼女達は数ヶ月の期間、キャバクラでバイトしながら、島を楽しむ所謂リゾバで一緒に遊べる友達募集中らしい。りなとまなのことを聞いてみたら、会ったことは無いが島リゾバコミュニティのSNSで繋がっていた。「まーきー、ちょっと邪魔し過ぎやで!お騒がせしてすいません。」一番年上そうな女性が声をかけた。また夏に来たら宿に遊びに行きたいという話になり、ラインを交換して話は終わった。食べ終わると食器を下げに来たご主人に「ご馳走様でした!美味しかったです!少し残してすいません!」「あの飲み物、お願いしていいですか?」食べ終えた食器も綺麗だ。若くて今風でも、ちゃんとした娘達もいる。この娘達はミドルエイジになっても、気遣いが出来る良い大人になっているだろう。

 また、新たな客が入ってきた。二人だが人気店はまだ満席だ。「こちらどうぞ!」まだ食後のコーヒーが来て間がないというのに沙羅が席を立った。すると別の席の年配の女性が「あ、私帰りますからこちらへ。」一人客の女性だが、お昼休みがもう終わるからと沙羅に話した。「すいません!」沙羅が軽くお辞儀する。後から来た二人が女性に礼を言って席に座った。それを見ていた隣の席にギャル三人が小さく拍手した。沙羅が顔の前で手を振って、漫画で顔を隠した。「可愛いーい!沙羅さん最高!」親指を立てる三人に照れる沙羅だった。見ていて気持ちが良かった。まだ、映画の上映時間まで一時間ほどある。

 さっき話題に上がっていた漫画家の話を聞きながら、15時丁度に映画館に着いた。島唯一の映画館パニパニシネマは建物の二階にあり、一階には老舗のワインバーや喫茶店などの飲食店が入っている。二階への階段へと上がる。見上げると背中が大きく開いた黒いワンピースの深いスリットから太腿が見える。Tバックのラインがうっすらとわかる。ずっと見ていたくなる光景が目の前にある。不意に沙羅が振り向いた。私の視線に気付いたのかと思いドキドキした。「たっちゃん、入るよー!」受付に誰もいない。先の上映を観終えた数人の客が出てきた。その後からエプロンを着けた女性が戻って来た。「ごめんなさいねえ。あ、この前チケットを…!」「しっー!」沙羅が唇の前に人差し指を立てた。「あーはいはい。そうね。」「たっちゃん、ほら!夫婦50割だって!今度、これにしよ!」そこには平日限定で、夫婦のうち一人が五十歳以上なら、二人で三千円で鑑賞出来るというかなりお得なイベントが載せられてあった。飲み物とカラメル味Lサイズのポップコーンを注文しながら、「夫婦じゃないから無理でしょ?」「えー、でも同じことだからいいんじゃない?」「男女カップルなら大丈夫ですよ!」飲み物とポップコーンを受け取った。100席ほどあるスクリーン席に入るが、まだ誰もいない。島時間(待ち合わせ時間や予定時間に出発すること、勿論必ず遅れる。)なのだろうか。やや前より真中の通路の右側に座った。沙羅を奥に私は通路側である。ポップコーンを摘みながら上映を待つ。受付の女性がスクリーンの左側で注意事項を述べる。アナログなところが島らしくていい。館内が暗くなった。何人か入ってきたようだが、後の席みたいでよくわからない。映画の予告が始まった。映画館で予告を観ると、どれも面白そうに観えて、次回に観たいと思うのだが、本編を観終えると大抵覚えていないものだ。本編「霧の中」が始まった。予告とパンフレットを見ると、「潔癖症の男性」と「視線恐怖症の少女」がお互いの障害を乗り越えていくという話みたいだ。最初は笑いを誘うコミカルな序章から始まり、少しずつだが近付いていく二人。お互いにかけがえのない存在だとわかりあえた頃、二人の絆を割く大きな事件に巻き込まれて…。

 右手に持ったポップコーンを取る左手が止まる。夢中になって観ている沙羅、その横顔を見ているのも楽しい。「きゃー!」小声がして沙羅が両手で口を抑えた。劇中の男性が運転する車が谷底に落ちて爆発した。一喜一憂しながら映画の世界に入りこんでいる。心はヒロインの女性だろう。谷底に落ちる途中で頭を強く打ち男性は記憶を失う。男性を探すヒロイン。テレビのニュースで男性の死亡が報じられ諦めてしまう。翌年、親同士が、決めた縁談が薦められ彼への思いを残したまま、結婚してしまう。彼女をいたわる優しい夫、裕福で恵まれた生活は徐々に心の傷をうめていく。医師である夫の病院を尋ねるとそこには記憶を失った彼が…。

 劇的なエンディングを迎える頃には「ひっひっ、そんなのダメ。辛すぎやん。」沙羅が涙を溢れさせている。結局、ヒロインは彼を選び、二人の思い出の場所を順番に巡る。最後に事故にあったらしい場所に行き抱き合ったまま道路から谷底めがけて落ちていく二人。事故の再現によって記憶が戻る。

「よかったー、よかったー。」また泣いている沙羅、つられた私も少し泣いた。

「もー、こういう映画観たら泣くからやだ!」「選んだの自分でしょ!」と指摘すると「もー、たっちゃん嫌い!」と笑う。映画館を出て車に乗り込むと、「コンビニ行ってもいい?」ルームミラーを見て「あー、絶対目腫れてる!」実際はそうでもないのだが、気になるのだろう。飲み物と瞼を温めるシートを買った。お化粧直しがしたいというので港に向かった。防波堤に車を停める。最初にビーチパーティーをした白砂のビーチが左手に見える。リクライニングを倒して瞼に温熱シートを乗せた沙羅。顔が横を向き、寝息が聞こえ始めた。泣いて疲れたのだろう。まだ、時間はあるし、暫く寝かせておこう。

 起きると沙羅がいない。驚いて周辺を見回す。連絡を取ろうとスマホを手にするとラインのメッセージが来た。港に面したホテルのパウダールームで化粧直ししているから待ってて、というものだった。ホテルのエントランスに車を回して待つことにした。


「料理とワイン 虎猫家」の駐車場に車を停めた。入口の左側にロンドンのガス燈を思わせるクラシカルなランプがあり、その下に洒落たアクリルの看板がある。フランス語で書かれている意味は多分「新しいフランス料理と日本料理、素晴らしいワイン。」という意味のようだ。沙羅がスマホで撮影している。和風の引き戸を開けると「いらっしゃいまーせー!」マダムの柔和な笑顔が迎えてくれた。スキンヘッドに髭のシェフはキッチンでバタバタとしている。二人だからカウンターでもいいと伝えたが、四人掛けのテーブルに案内された。本当は並んで座りたかったが仕方ない。見栄を張って、ちょっと高いワインをボトルで頼もうとしたが、「お二人だし、グラスで料理と合わせたほうが楽しいですよ!」と促されて、ペアリングでお願いすることにした。「こっちのほうが楽しそう!」笑顔の彼女にマダムが何杯位呑むか尋ねている。レストランへは何度も足を運んでいるが、こういう対応は初めてだ。店は大抵儲かる方や簡単な方を選ばせたいのに、安く手間もかかる方を薦めてくる。儲けよりも、お客様に楽しんで貰えるほうを優先しているのだ。「これが本物のホスピタリティ」ではないだろうか。ワインのセレクトは全てマダムに委ねることにした。一杯目のスパーリングワインで乾杯する。マダムにお願いして写真も撮って貰った。すぐにワイングラスに盛られた前菜が来た。次は地魚のミ・キュイに合わせてドライなイタリアの白ワイン。先の映画の話で盛り上がる。あの映画がきっかけで主演の二人が、婚約に至ったそうだ。お互いがタイプで、演技とはいえ抱き合ったり、キスしたりすれば恋に落ちて当然だろう。三品目は茸のフラン、お料理版温かいプリンだ。マダムが赤ワインと白ワイン、ロゼと三本のワインを並べて、それぞれを説明してくれる。この次の料理は紅芋のポタージュだからそれとも合わせられるという。「じゃ、全部一つずつ貰っていいですか?」「たっちゃん、一緒に呑も!」二人の間にグラスが三杯並べられた。「じゃ、どれからいく?」「私、ロゼ呑んでみたい。」私は樽の利いたナッティーなイタリアの白ワインから順に合わせていく。それぞれに料理と合わせるとマリアージュの方向性が異なって面白い。通常、ペアリングでお願いすると決められた三本〜五本のワインが順に出されるものだが、この店は料理や客の好みに合わせて常時十本程度用意されている。紅芋のポタージュの後には、フランス料理の定番「パテ・ド・カンパーニュ」が、出てきた。豚肉と鶏レバーを使ったパテである。予約時に二人ともレバーが苦手だと伝えたはずなのにと思ったら、シェフが「私もレバーがダメなんですが、これは美味しく食べれますから。」という。か「レバー臭くないパテなど…。」と思いながら口に運ぶ。「えー、美味しい!なんで?全然臭くない。」私より沙羅が先に驚いている。かなり特殊な方法と手間をかけて作っているそうで、これにはビックリした。このパテにも違った二杯のワインが用意された。白はアルザスのゲヴュルツトラミネール、ライチや薔薇の香りが芳香に漂う。赤は南仏のピノ・ノワール、同種にしては色も香りも強い。レバーには赤ワインだと思うが、こんな甘い香りを放つ白ワインと合うのだろうか?「これ、何て言っていいかわかんないけど、すっごい!」白ワインと合わせた沙羅が驚いている。赤ワインとは肉の味わいが引き立つ感じだが…。彼女のグラスを貰って合わせてみる。「なんだこれは?」ライチと薔薇が、レバーの滋味深さと肉の甘味を呼ぶ。最後には薔薇のニュアンスがふわりと鼻から抜ける。一緒に出てきた作りたての自家製パンと合わせても素晴らしい。思わずマダムとのワイン話に花が咲く。「ワイン呑んで、こんなの初めて!」このマリアージュさせるテクニックには脱帽だ。メインの和牛のロティには干した葡萄から造られたイタリアの赤ワイン。ソースの味わいもワインに寄り添わせるそうだ。噛むと肉の芳醇な旨味が口中を支配していく。味わいが残るうちに赤ワインを流し込む。肉の味わいに黒い果実を煮詰めたようなワインが中和していく。「美味い!めっちゃ美味い!」思わず言葉が突いて出てきた。沙羅は無口になって食べている。最後の一切れになって、「これ食べたらなくなっちゃうー!」「じゃ、お持ち帰りする?」「やだ食べる!呑み込みたくないー!」沙羅を見ていたシェフと周りの客が笑っている。「じゃ、追加オーダーする?」と聞くと、マダムが「ちょっと物足りないくらいが一番美味しいんですよ。」と笑って答えてくれた。最後のデセールは、パンナコッタかバスクチーズケーキなのだが、甘い物に目が無い沙羅は二つとも注文した。デザートワインとして薦められたのは、あのシャトーディケムと同じソーテルヌ村のワイン、しかも二十年以上の熟成を経て琥珀色に染まっている。これがハーフ(60cc)で一杯千円!どうやって儲けているんだこの店は?どちらかと言えば小さな街中のレストランで、この価格でこのバリエーション。そりゃ「誰にも教えたくない店」になるわけだ。

 調子に乗って二人で何杯呑んだだろうか、そろそろ酔いが回ってきた。沙羅はとうに酔っ払って、ハイテンション化、シェフを捕まえてワインと料理話に盛り上がっている。酔醒ましにホットコーヒーを二つお願いした。豆を挽く音と芳ばしい香りが漂う。つられて他のテーブルからもコーヒーの注文が入る。焼き物の青いカップが二つ運ばれてきた。「うーん、ペルーチャンチャマイヨ!」「よくわかりますね!珍しい豆なのに。」沙羅は味覚感が良くて、気に入った味はほぼ覚えている。料理のことを熱心に聞いていたのも、今日食べた料理のうち自分で作ってみたいものがあったようだ。レシピを聞くと「全然大丈夫ですよ!何でも聞いてくださいね!」とシェフが丁寧に教えてくれる。これから飲食店を経営する私にとってお手本になる店になりそうだ。沙羅がトイレに行ってる間に会計を済ませ、運転代行を呼んでもらった。戻った沙羅がマダムに会計が済んでいることを聞くと私に二万円を渡そうとする。「今日は、沙羅の餞別だから…。」「いつも出してもらってるからダメ!今日は私が出すの!」中々、引っ込めてもらえないが、今度内地に遊びに行ったら奢ってもらうということで納得してもらった。

シェフとマダムに見送られて、虎猫家を後にした。「何で楽しい時間はこんなに短かいんだろう?」「それは、思い出になっていつまでも残るから短くてもいいんだ。」運転手の女性と虎猫家の話になる。やはり、評判は良いようだ。右肩に軽い重みを感じた。沙羅が眠っている。「父娘旅行ですか?可愛い娘さんですね?」説明が面倒なので、否定はしないがそう見えるのは仕方ない。

 足元がおぼつかない沙羅を右腕で支えて二階まで階段を登る。沙羅の体温が伝わる。今、ここで抱きしめられたらと思うが、私にそんな勇気はない。冗談やノリで出来るほど軽い男ではないのだ。ましてや相手は沙羅だ。りなやまなとは違う。

 リビングで水を飲みながら、「あー、楽しかったー!たっちゃん、ありがとう!」「呑み過ぎちゃった。へへ、沙羅復活でーす!」少し酔いも醒めてきたようだ。「今日は、デートだよね。たっちゃんとデートした!えへへ…。」幸せそうに笑う。「こんなオジサンとデートでいいの?」「だって、一緒に行きたかったもん!デートってあまりしたことないし。」嘘だろ?思い切って聞いてみるか。「この前、気になる人がいるって。」「あれは、あの娘らがつつくから。」「じゃ、いないの?」「私、お付き合いとか好きとかあまりわからなくて。」話を聞けば中高と名門のお嬢様学校に通って、付属の大学には上がらずに工芸大に推薦入学した。大学に入ってのコンパで酔って強引にホテルに連れ込まれそうになったり、無理やりキスされそうになったりしたらしい。何度か告られたりもあったが、付き合うには至らなかった。話を聞いてホッとする。「付き合ったことないの?」一度だけ合コンで知り合った人と付き合ったことがあるが、友達から三又かけられてると聞いてすぐに別れたらしい。一回デートしただけで、付き合ったのかどうかもよくわからない。「私、あんまりモテないし、男の人ちょっと怖いの。」モテないのではない。きっと、綺麗過ぎて諦めてしまうのだ。こんなに美しいのに恋愛経験が無いなんて、誰も信じられないだろう。「俺も怖いの?」「ううん、たっちゃんは大丈夫!でなきゃ、誘わないよ。」「ずっと大丈夫だった?いつから?」「あの雨の日から、何となくだけど。大丈夫な気がして。」「それは、お父さん的ってことかな?多分、お父さんより歳上だしね。」「それもあるけど…。上手く言えないんだけど…。」沙羅が黙ってしまった。私を見つめてから、目を伏せた。「一緒に居たかったの。」ポツリと呟いて、視線を戻した。驚いて声も出ない。酔っ払って夢でも見ているのだろうか?いや、これは現実だ。目の前に私を見つめる沙羅がいる。「えーっと、今日はありがとう!ご馳走様でした!明日、朝食作りたいからもう寝るね。」自分の言葉に照れてしまったのだろうか、そそくさと三階に上がっていってしまった。

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