第9話 クラブ ウェディングベル

八月十七日


 濃いグレーに銀色の刺繍が肩口から二本縦に入ったキューバシャツに踝までのゆったりとしたベージュのパンツにモカシンを合わせ、パナマ帽をかぶって、オシャレ親父になってみた。レパートリーは少ないが、長年生きてりゃ似合うスタイルは少し位わかる。

 18時にイタリアンレストランで二人と待ち合わせ、そのまま21時頃同伴で店に向かう予定だ。二人は買い物があるからと、お昼過ぎから出かけている。沙羅「うわっ!たっちゃんオシャレー!カッコいいー!」一緒に行くかと、再度聞いてみるが小料理碧のバイトが入ったらしい。

 待ち合わせのレストランは大通り沿いにある。初めて行った時は、十年ほど前で高校の裏手にあった。九年前に移転して今の場所に移ったようだ。表のメニュー台を見ると、コース料金が以前の倍位になっている。りなからラインが来た。「ちょっと遅れるから先に呑んでて。」木製のドアを開けると「いらっしゃいませー!」ダンガリーシャツに黒いサロンを纏ったイケメンスタッフが迎えてくれた。そう言えば、予約名を聞いていない。「三人様で御予約の?」察しが良くて助かった。カウンター角の丁度三人が並んで座れる場所にリザーブの表示が、置かれてある。とりあえず、生ビールを注文して待つことにした。繁盛店なのだろう、続々と客が入って来る。年齢層や組み合わせも様々だ。キャパはカウンター12席と個室、全部で16人〜18人位だろうか。シェフ、スーシェフ?ギャルソン二人。スタッフが多い。高い家賃を払って、この人数を養っていくには、コース料金を倍にする必要があるだろう。

 15分ほどして、二人が入ってきた。「ごめーん。お待たせ〜!」りなは背中が空いたベージュのホルダーネックのミニワンピース、まなは胸元が空いた鮮やかなグリーンのロングワンピース膝から下が一部レース地でスリットが深く入っている。まな「たっちゃんはこっち!」普段よりドレスアップした二人に挟まれると少し緊張する。りな「たっちゃん、今日カッコいいやん!うちらのためー?」「二人とも見違える位きれーやん!」「今日しか見られへんで、よー見ときや!」りなが笑顔で軽くウインクする。女性はとにかく褒めるに限る。

 スパーリングワインで乾杯し、コース料理が始まる。まずは、パテや生ハムを数種類並べた前菜、ヤギは苦手だがこの店のヤギの生ハムはイケる。続いてバーニャカウダ、好みのパスタと続く。パスタはそれぞれが違う三種類にして、取り分けることにした。白のボトルが空いた。パスタが順に出る毎にまなが取り分けた。

 りな「ねえ、たっちゃんって実際どーなん?」私「えっ?」りな「沙羅のことー。」私「いや、実際って何も?」まな「もー、バレバレやで!」私「別に、何も無いし。」まな「じゃ、私とかどうなん?」まなが右腕を抱く。私「それはちょっと…。おじさんだし。」まな「私、年上好みやで。」りな「まな、えー加減にしーや!たっちゃん、困るやんなぁ。」「やーだ!」まながふざける。りな「たっちゃん、中々言わへんけど、沙羅のこと好きやろ?」「あの娘も月末には、内地から帰るから、ちゃんと話さなあかんのちゃう!」私「この前、好きな人いるって。」りな「もーわかってへんなあ!」りなが横を向いて、赤ワインをあおる。まな「沙羅が好きなん、たっちゃんやで!」まな「私もやけど…。」りな「お互い、好きおーてんのに歯がゆいわ。月末まであっという間やで。」あれこれと話は飛んだが、お互いに好きなら年齢なんて、気にしないでちゃんとこれからのことを話し合ったほうがいいという二人からのアドバイスだった。

 まな「もし、実らんかったら、私たっちゃんの愛人になるわ。」丸い顔を寄せて見つめる眼差しが本気かはわからないが嬉しくはある。このドングリのような大きな瞳と巨乳にハマる男は多いだろう。

 マクブ(シロクラベラ)のカルパッチョが出る頃には少々酔いが廻ってきた。赤ワインと合わないので、グラスでドライな白をもらう。数日、早朝からこの魚を狙っていたのだが、中々釣れてくれない。淡白で上品な甘味、軽い歯応え、柑橘とオイル、バジルだけでこれ程美味い。メインの肉料理が来る前にまた恋愛話が始まる。まなが私の離婚話をまるで自分のことのように話す。りな「それからはー?何人か付き合ったんやろ?」まな「それ、めっちゃ聞きたい!」

 離婚してから十数年、もちろん何も無かったわけではない。モテはしないが、気になるフリーの女性をデートに誘えば、不思議と九割方はOKだった。デートを重ねて、身体の関係を持った女性もいた。二年ほど付き合った女性もいた。うち一人は、幼い連子が二人いた。でも、肌に合うというか、行為が終わっても肌を重ねて眠りたいとはあまり思えなかった。相手が眠りにつくと背を向けて眠ることが多かった。

 時間というのは、関係を深くし、先行きを見えなくする。付き合って二年近く経つと、いやもっと早い段階から、結婚話が切り出される。世の男達の本音はどうだろう?結婚というのは男の理想なのか?残念だが、私は違った。

 

 妻とは営業先で知り合い、お互いに別の相手がいたが、強い引力のように惹かれ合い、激しく恋に落ちた。お互いの身をきれいにして、改めて恋人同士として三年の日々が過ぎた。最初の一年など、毎日のように会いたくて、たとえ一時間しか会えなくても、無理に時間を作ってでも逢瀬を重ねた。まるで甘い蜜をなめるような日々だった。五十余年の人生の中で一番幸せだったかもしれない。一年ほど経つと、互いの両親に会い、外側から結婚を促された。行為を終えても、彼女のすべすべした肌は、朝まで重ねていたかった。何かの流れのように周囲からか「いつ、結婚するの?」という声が上がり、流れに煽られるように、二人とも流れに乗せられるように結婚式を挙げた。感動的な結婚式をピークに熱は少しずつ冷め、目に見えないほど少しずつ愛情は減っていった。

 男の本音は、好きな女性と「結婚したい。」では、多分ないだろう。恋愛関係のまま、生活や将来という責任を背負わない関係でいたいだろう。理想的にはマンションの隣同士、または同棲までだと思う。私は一人の時間も欲しいタイプだから、前者だ。離婚後、付き合った女性達とは結婚に踏み切れなかった。お互い一人が淋しくて手を伸ばして繋がったような恋愛だったからかもしれない。妻ほど深く愛してなかったと思う。離婚後に付き合った女性とは、なるべく結婚の話は遠ざけていた。

 りなが左側から見つめていた。りな「男と女って難しいね。お互いに求めるもん違うし、見たい未来も違うもんな。」私「そーいうもんだと思うよ。恋愛映画みたいにはいかないしね。」メイン料理の牛肉を口に運びながら、恋愛話は続いていく。まな「好きな人から、結婚してって言われたら、いつでもええけどなぁ。」りな「あんたは、将来考えなさすぎ!相手おるのか、確かめんと付き合うし、そんなんしとったらあかんわ。」まな「だって、フリーやって聞いとったし。たっちゃんやったらええ?」右腕を深い谷間に挟むまな。私「そろそろやめなさい!」まな「えへへ~。」

 デザートのプリンを頂いて、トイレに立った。戻って会計をお願いすると、「あ、もう頂きましたから。」私「えっ?」りな「誘ったんうちらやから?たっちゃんには、いっぱい世話なったし。」それは駄目だとお金を渡そうとしたが受け取ってもらえない。まな「その分は、沙羅に遣うたってな。」まさか、奢られるとは?


 二人が勤める「クラブ ウェディング・ベル」は店を出て、港方面に歩いて5分ほどだ。まなが左腕に巻き付いている。少々歩きにくいが、リズミカルに腕に触れるふわふわと柔らかい感触に嬉しくなる。店前に着くと「いらっしゃいませ。」ツーブロックの髪を後ろで束ねた太い声の黒服がドアを開けた。りな「着替えてくるわー。席で待っとってね。」黒服に案内され、店内奥のソファー席に案内されたリザーブのプレートが置かれている。コーナーになっていて並んで四人、向かいのスツールに三人座れる。赤いカーペットに黒いソファー、ガラステーブル、白い壁には均等に絵が飾られている。10分ほど経ったろうか、まな「おまたせ~。ごめんね、遅くなっちゃった。」赤いミニドレスは胸元からへそにかけてシースルーになっていて、右側の腰から裾までもシースルーだ。いったい下着はどうなっているのだろう?私の左隣に座った。まな「今日だけだからお店ボトルにしようね~。」シャンパン位はと思っていたが、気を遣われたようだ。泡盛の水割りで乾杯する。まな「りなは他の指名があるからもうちょっとしてからね。」特にどちらでも良いのだが、この格好は目の遣り場に困る。平日の夜というのに、七割方埋まった店内は、盛り上げる声、大げさなリアクション、拍手と手拍子が飛び交う。大人しく静かに呑みたいタイプの私にはやや苦手な空間かもしれない。まな「たっちゃん、楽しくなーい?」黙って店内を見ていたら、まなが心配したようだ。「いやいや、めっちゃ楽しいよ!ちょっと目の遣り場に困るけど…。まな、きれいやね~!」可愛い顔が花開いた。「聞いて聞いて!」から始まる会話に合わせて聞き手にまわる。不器用なまなが、盛り上げようと一生懸命なのが可愛らしい。「私もお邪魔していいですか?」りなが来た。純白のドレスでまなのとデザインが似ている。花びらのモチーフにバスト部分が隠されているが、シースルーが占める割合がまなのより多い。「りな、きれいやね~!」りな「たっちゃんの好みに合うー?おっぱい、チーパイやけど…。」ここはしっかり褒めておこう。女性は褒めてなんぼである。

 程なくして、まなが席を立つ。指名客があるようだ。りなに店での仕事はどうかと聞いてみる。店長も黒服もやさしい人ばかりだし、フォローがしっかりしていて、女の子を大切にしてくれるから、居心地は良いようだ。父娘ではないが、自分にとっては可愛い二人だ、もちろん心配はする。「もー、あのオヤジしつこーい!」まながちょっとむくれて戻ってきた。りな「あかんよ!お店で言うたら!」同じ親父という立場から思えば、この巨乳に可愛らしい丸顔だ口説きたくなるのは当然だろう。入れ替わりにりなが席を立つ。二人とも短期間なのに売れっ子のようだ。黒服が目の前で膝を付いた。「そろそろお時間ですが…。」延長をお願いしようかと思ったが…。まな「会計を。」あれ?もう帰ったほうがいいのか?楽しい時間は、恐ろしいまでに短い。まな「後でね。すぐラインするから。」会計を済ませるとりなも来た。両腕に美女二人を絡ませ店から出た。二人「ご来店ありがとうございました。」りなが耳元で「待っててね。」エレベーターで上がっていってからすぐにラインが来た。「30分位かかるけど、待ってて。」バーのアドレスが届いた。すぐ近所だ、歩いて2分ほど、雑貨屋の二階にその店はある。高く白い天井に木製のテーブルとカウンター。後で連れが来ると伝えたが、「来られるまで、こちらへ。」とカウンターに案内された。私と同じ年代の人柄の良さそうなマスターと三十代半ば位の女性バーテンダーで営業されているようだ。薄い泡盛の水割りで、何となく酔いが覚めていた。マティーニをお願いする。ベースのジンはタンカレー、ベルモットはノイリー、オリーブは無しが好みだ。昔はジンの松ヤニ臭さが苦手で、ジンベースのものは飲まなかったが、付き合いの長いバーテンダーに勧められてマティーニを飲んだら世界が変わった。でも、彼以外のバーテンダーが作るマティーニはレシピは同じくなのに、香りも味わいも及ばない。二十年以上、バーテンダーがマティーニを作るのを見てくると、飲む前に結果は見えてくる。「カクテルの王」は人を選ぶようだ。アイスをミキシンググラスに半分ほど入れ、僅かなベルモットを入れバースプーンで素早くステアし、ストレーナーを着けて液体を切る。続いてジンとベルモット、アロマティックビターを2滴ほど、ミキシンググラスに注ぎ、素早くステアする。バースプーンの裏側がミキシンググラスの縁に沿ってきれいに回る。氷があたる音がほとんどしない。素早くステアすること十二回、少なく感じる人も多いだろうが、水っぽさを出さずきれいに混ぜるギリギリぐらいだ。ストレーナーを着けショートグラスに注ぐ。彼女の真剣な眼差しがプロとしての熱意を物語る。きっとこれは良い出来だろう。「どうぞ。」目の前に置かれたマティーニに口をつける。一口、もう一口。「美味い!素晴らしい!」さっきの真剣な眼差しが嘘のように女性バーテンダーが柔和に微笑む。「マティーニ頼む人って、どっちかしかないんで、怖いんですよ〜!」簡単に見えて実は非常に難しいカクテルなのである。やはり「王」は「王」なのだ。マティーニのエピソード話や馴染のバーテンダーの話で盛り上がる。ショートカクテルは、長時間置くと分離し始める。冷たいうちに3口ほどで飲み干すのが暗黙のルールだ。おかわりをお願いする。「三軒めでしょ?大丈夫ですか?」そう、このカクテル、アルコールも非常に強いのだ。「これ頂いたら、あとはロングにするよ。」やはり、さっきと寸分違わぬ見事な手つきで作られていく、女性バーテンダーの仕事は美しい。

 二杯目に口を付ける頃、まなが来た。「おまたせ~、ごめんね。何飲んでるん?」私「ドライマティーニ、美味いよ!強いけど。」まな「ちょっと、ちょーだい。」私のグラスに口をつける。まな「うわっ、結構くるわ、テキーラ位あるやん。」結局、テキーラトニックにした。

「おまたせ~!遅なった。」背後からりなの声がした。りな「たっちゃん、今日ありがとうなぁ。」後ろから私の両肩に手をかけた。再びギャル二人に挟まれる。甘いココナッツの中に東洋系のスパイスのような香りを感じる。りな「ヒロちゃん、私ジントニック。」女性バーテンダーと仲が良いようだ。「乾杯!」まな「何か、お腹空けへん?ラーメン行けへん?」りな「あんた〜、また太るで!もう、今日は食べへんって言うとったやん!」まな「今日、最後にするし〜。後で行こ。たっちゃんも行くやんなぁ。」親父の深夜ラーメンは良くないが、小腹が減っている。

 りな「ヒロちゃん、あそこの麺道行った?」女性バーテンダーに聞いている。「行ったけど、ちょっと、イマイチかな?花火のほうがいいわ。」りな「ヒロちゃんも行けへん?」「ちょっとマスターに聞くから…。」「お客さん無いし、もう上がっていいって!」こういうフランクさは、島ならではだ。ヒロちゃんは、Tシャツとデニムに白いキャップを被ってホールに出てきた。

 締めラーメンを食べ、通りがかったタクシーを捕まえて、宿へと向かう。三階に上がるとまだリビングの灯が点いている。沙羅がソファーにもたれて眠っていた。りな「起きて、風邪惹くよ。」沙羅を揺さぶる。一人で呑んでいたようだ。沙羅が虚ろな目を開けた。「あ、お帰り。」りなが水を入れて渡した。「大丈夫、呑み過ぎちゃう?」かなり酔っているようだ。「んー大丈夫。トイレ…。」トイレに立とうとするがふらふらだ。まなが付き添う。「大丈夫?一人で出来る?」何とか無事に戻ってきた。階段が危ないので、私が左腕を首に巻いて右手で支えて階段を上がる。「たっちゃん、やだ。女の人の匂いがする。」「二人のだよ。」「一人で行けるから…。」二階に上がったところで、私から離れてふらつきながら部屋に入った。ご機嫌ナナメのようだ。

 リビングに戻るとシャワーの音が聞こえた。またバスタオル一枚の二人が出てきそうだ。

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