第7話 Yakuza Lover
この世は、陰陽の摂理の法則より成り立っている。光は影の為に存在しうる、そして影は光の為にその身を捧げるであろう。自由は不自由の中で生まれ、不自由は自由の足枷となって対となり因果の中を廻り巡る。栄える者も滅ぶ者も因果旋律の中では、一瞬の瞬きの如く。此の世の理の僅かでしかなく。宇宙を彷徨う塵のようなもの。
彷徨える仔羊達よ、選ばれた者だけが今宵一度だけ開けられる重い扉を開くがよい。その身を捧げ、差し出された冷たい手に赦しを乞うがよい。但し、忘れてはならぬ。全ては陰陽の理の中にあることを。
スナックやラウンジがたくさん入った。テナントビルのエレベーターの扉が開く。やがて扉が閉じてエレベーターは7階まで上がり停まった。
ここは「Bar 月下美人」人生を彷徨い運命の岐路に立った者が一度だけ重い木の扉を開けることが出来る。たった一夜限りの幻の店。
店内は薄暗く、カウンターの上に透明なフィラメント電球が並んで灯っている。使い込まれた木造りのカウンターはマホガニー製か?カウンター10席ほど、奥に四人掛けのテーブル席が2つ見える。カウンターには白い口髭を携えた老紳士、奥のテーブルには赤いワンピースを着た女性と黒いスーツを着た男、もう一つのテーブルにはOLらしきダークなパンツスーツの女性が二人。
扉の前に立つのはこの店のマダムだろうか?
胸元が大きく開いたの真紅のロングドレスに左脚の正面の付け根まで入った深いスリット、胸まである長い髪に切れ長な瞳、玉子型の顔の整った上品な面立ちなのに、熟れた唇がどこか淫猥に見える。
「ねぇ、マスター、大体は揃ったんじゃない?」
カウンターの中には、スキンヘッドに立派な髭を携えた。体格のよいマスターらしき男がいる。夜なのにサングラスをかけ、レンズの下に猛禽類のような鋭い眼光が微かに光る。
マスターはグラスを拭きながらマダムを見ている。「もう、愛想ないんだから…。客商売なんだからダメよ~。」いつの間にかマスターの後ろから抱きつき、白い指先を顔から胸、下半身へと滑らせている。「でも、そういうところが大好きよ。」
「もう〜、貴方の時も大変だったんだから、色々と集めるのに二年もかかったのよ~。」今度は、真っ赤な舌を伸ばしてマスターの首筋を舐めている。マスターは微動だにせず。何事もないようにグラスを拭いている。
見慣れない姿に最初に気付いたのはマスターだった。グラスを拭く手が止まり、サングラスの下の猛禽類ような鋭い眼光がカウンターの中央あたりに飛んでいる。
誰も座ってはいない。マダムが席の右側に立った。「扉も開けずに入って来たらダメでしょう。どうして入って来たの?貴女の来る場所じゃないでしょ!」誰に語りかけているのだろうか?その席からは、ゆらゆらと陽炎のように空気が揺れている。
「いいのよ。迷い込んだの?それとも、辿り着いたの?」「…。」「いい子ねぇ…。ほら、ママに話してご覧なさい。」マダムは白い両手を誰かの肩にでも置いているかのように空中にふわりと置いた。
「そう、そんな目にあったのね。どうかな、私にお手伝い出来るかしら?」「…。」「あなた、五年前に来たことあるものね。代償に光まで失って、今度は何を頂けるのかしら?楽しみだわ。」
マスターは何も言わず、シングルサイズのシェイカーをカウンターに置いた。黒いボトルのキャップを開けて何かを注いだように見えるが何も入ってはいない。最上段のカーテンに隠れた棚から硝子の保存容器を取り出した。何かの内臓なのだろうか?赤茶色の肉質な物が入っている。蓋を開けて赤い液体をバースプーンで一杯だけ掬ってシェイカーに入れた。灰皿の上で爪のような物を燃やして、メジャーカップに煙を集めてシェイカーに入れ、蓋を締めた。
見事な手つきでシェイカーを振るが何も音がしない。カウンターに置いたショートカクテルグラスにサーブすると、黒い煙のような物がグラスに入っていく。
「あら、グラスが取れないのね。手伝ってあげるわ。」マスターがタバコに火を点けた。息を吸うと一気にフィルターのところまで、灰になっていく。マダムの左側の席に向けて吐き出す。みるみる煙が人の形を作っていった。
髪の長い女性のように見える。グラスに手を伸ばすが掴めないようだ。マダムが右手でグラスを持ち彼女の唇に近づける。
「呑み方は憶えているわね?」彼女が軽く頷いた。マダムが三回に分けてグラスを傾けると、彼女を形作っていた煙が空気中に流れていって消えてしまった。
マダムがカウンターの端に腰を掛けて、細長いタバコを赤い唇に咥えた。マスターが氷の入ったロックグラスに赤い酒を半分まで入れてカウンターの上を滑らせる。長い脚を組んだマダムの尻の手前でゆっくりと止まる。
一息に呑み干しグラスを滑らせると、マスターの前でゆっくりと止まった。
「世は因果応報、全ては陰陽の理の中。殺めた者は、殺められ。奪った者は奪われる。哀しい旋律だわね。んふふ。」マダムは哀しそうに笑いながらタバコの煙を見つめた。
私は椎葉十和子。こうなる前は、ヤクザの愛人をしていたわ。いい人だったんだけど、女遊びは酷いし、機嫌が悪いと暴力を振るうし、最低な男だったわ。顔が変わるほど殴られて、その後いつも泣くの。あんなに恐い顔でね。「お前が居なきゃ生きて行けない!」とボロボロと涙を流して泣くの。何だか可哀想になっていつも赦しちゃうのよ。もちろん、その後でいっぱいしてくれるから、結局どうでも良くなっちゃう。
五年前はね。家に帰ると女が居たの。二人のベッドの上に裸でね。家に連れ込むのはやめてって言ったんだけど、言うことを聞いてくれないの。その女に鞄を投げつけて殴ったら、「お前が出ていけ!」だって。思わず台所にあった包丁で刺しちゃった。馬乗りになって何度もね。最後は、カッコ悪かったわよ!「何でもするから助けてくれ!許してください!」とか。何百回も殴っておいて情けないものね。
女のほうはおしっこチビって、腰を抜かしてたんだけど。見られちゃったから殺したわ。
それから夜の街を彷徨ってあの店に辿り着いたの。ワガママ言って、代償を払うから五分間戻して貰ったの。殺すのをやめた?違うわ殺し方を変えただけ、いつもやる前に打つ薬をすり替えたの。ガス管を開けて探知機も切ってね。あの人早いから薬が回るまでに一回戦が終わるの。終わるとタバコを吸うから…。「タワマン高層階爆発事故って。」ニュースで流れてたでしょ!
戻って来たら両方の眼球が無くなってたの。何処かの部屋に閉じ込められていたみたいで、毎日のように拷問されたわ。吐いたら殺されるのをわかっていたけど、両手足無くして吐いちゃった。後は何処かに埋められちゃったみたい。気がついたら、夜の森の中にいたから。
あの店に戻りたいって思ったら、カウンターの席に座っていたの。マダムがあのカクテルを呑ませてくれたわ。味も何もわからないけど。
真っ白な光に包まれて、あの日に戻っていた。あの人の車のエンジンルームにね布切れで蓋をした揮発油の瓶と金属のガラクタを入れておいたの。あの人の運転酷いから一発だったわね!高速道路で大爆発したみたい。
戻ったらあの店にいたわ。マスターはサングラス越しに私を覗いていたわね。私は蓋をされてカウンターの後ろの一番高いところに居るわ。カーテンが邪魔何だけど、マスターの後ろ姿を見下ろす毎日も悪くないわよ。
痛くも辛くも無いわ。そうそう、奥の赤いワンピースの女をどうとか、話してたわね。
「貴方の次はあの娘にしようかしら、もう贅沢言っちゃダメよ!貴方には私で十分でしょ?」マダムがマスターに正面から蛇のように絡みついている。関節が無くなったかのように絡みつき、長く赤い舌でマスターの太い首を舐めあげている。真紅のドレスは煙のように消えて、白い肢体が大木のようなマスターの身体をうねうねと這い回る。
「もう、ちっともかまってくれないんだから…。でもね…。そんな貴方が好きよ。」赤く長い舌をマスターの分厚い唇の中にぬるりと挿し込んだ。
Bar 月下美人は今夜もいつも通り、カウンターには白い口髭を携えた老紳士、奥のテーブルには赤いワンピースを着た女性と黒いスーツを着た男、もう一つのテーブルにはOLらしきダークなパンツスーツの女性が二人が酒を片手にそれぞれの時を楽しんでいる。
「あなたのご来店をお待ちしているわ…。」
Bar 月下美人 神虎 @yoshirogoripon
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