第6話 Hostess

 この世は、陰陽の摂理の法則より成り立っている。光は影の為に存在しうる、そして影は光の為にその身を捧げるであろう。自由は不自由の中で生まれ、不自由は自由の足枷となって対となり因果の中を廻り巡る。栄える者も滅ぶ者も因果旋律の中では、一瞬の瞬きの如く。此の世の理の僅かでしかなく。宇宙を彷徨う塵のようなもの。

彷徨える仔羊達よ、選ばれた者だけが今宵一度だけ開けられる重い扉を開くがよい。その身を捧げ、差し出された冷たい手に赦しを乞うがよい。但し、忘れてはならぬ。全ては陰陽の理の中にあることを。


「彼、まだ売れない漫画家だけど、面白い漫画描くし、優しいんだ。」「要はあんたのヒモみたいなもんでしょ?」「キヨはヒモじゃないよ!アルバイトもしてるし。」

 「でも、生活費とかあんたが出してるんでしょ!」「でも、彼から求められたことなんてないよ!」「絶対、上手くやられてるだけだって!それより、あの人、雪村さんだっけ?あんたに本気でしょ!優しそうだし、お金持ちだしあっちをねらったら?」

「うーん、でもキヨといると何だかほっこりして、安心出来るし…。愛されてるって思える?」「夢見過ぎよ!愛なんてタダの幻ー!」「愛ってあると思うよ!世界で一番大事だと思うなぁ。」「そんなこと言ってるからダメンズばっかり捕まえるんじゃない。」「でも、お金で買えないものたくさんあるじゃん!愛もそうだし、空も海も…。」

 「何言ってるのよ!お金で買えないものなんて、無いわよ!愛も島も何でも買えるわ。」「そーかな、私はお金が全てとは思えないんだけど…。」「お金が全てよ!貧乏なハンサムと金持ちのブサイクだったら金持ちのブサイク選ぶでしょ?」

「それ極端すぎ!あたしだったら、見た目とかお金じゃなくて、普通でいいからあたしだけを愛してくれる人がいいな。」「あんたいつまで少女?だいたい、男なんて絶対浮気するし、そんなのいないわよ!」

 マナとの会話はいつも平行線で終わる。入店のタイミングもほぼ同じで、仲はいいんだけど男とお金の話は全くソリが合わない。

 私は、お金持ってる男としか付き合わないし、お金持ってる男のほうが、自分にも投資していてルックスも良い気がする。旅行に連れてってくれるし、プレゼントも大抵欲しいものを買ってくれる。高級な外車の助手席が私の定番。それが一番幸せだと思う。お金で苦労なんて絶対にしたくない。

 この顔も身体ももう一千万はかけたかなあ。化粧品とかで色々とお金使うよりも整形のほうが、後々楽だし、スッピンでも綺麗でしょ!男って絶対にスッピン見たがるしね。

 だからマナが言ってることは、全然わかんない。

 彼氏?もちろんいるわよ!うん、爽やか系でイケメン。ファンド系の会社と飲食店も経営してる。もう付き合って五年になるかな?毎年、海外旅行に連れてってくれるし、だいたい何でも買ってくれる。このバッグも時計も、二つで二百万はするかな。お金持ちだから全然。

 結婚は考えてないかなぁ。まぁ、プロポーズされたら、考えてもいいけど。家には行ったことないなあ。お母さんが重い病気で、気を遣わせたくないって、もっても数年だから待っててって言われてる。ほら彼って優しいでしょ!


 壮也とは前に居た店で知り合った。笑うと糸のように細くなる優しい目が印象的で、何となく気になるようになった。昔、ヤンチャしてたのもお互い様で、幼い頃から家庭に恵まれなかったのも同じだ。来店を重ねてアフターも付き合うようになって、今の関係になった。

 壮也には黒い噂がちらほらあるけど、あの優しい笑顔からは想像出来ないし、大切にしてくれるからそれでいいと思う。


「レイさん、お電話が入っています。」黒服がテーブルに呼びに来た。「こっちは構わないから行っておいで。」壮也がいつも通り優しく笑う。店に電話なんて誰だろう?太客はだいたいあたしのLINU知ってるし。

「やっと捕まえたわ!この泥棒猫!あんた人の亭主に何してくれてんのよ!」電話の主はすごい剣幕で怒鳴ってくる。「一体、何の事でしょう?」「うちの旦那、壮也が店に行ってでしょう!タダじゃおかないからね!首洗って待ってなさい!ガチャン!」目の前が真っ暗になった。鼓動が激しくなって胸が痛い!一体、どういうこと?どうなっているの?目眩がして、しゃがみこんだ。

「レイさん!大丈夫ですか?ちょっと休みますか?」「大丈夫!大丈夫!ちょっと酔っちゃったみたい。ウーロンお願い!」急いで席へ戻った。壮也に問い正したかったが、彼も接待の真最中だ。

 これでも、私はかってのNo.1だ。今年で37歳だけど、店にも壮也にも30歳で通してる。もちろん、マナにもね。

 女からの嫌がらせなんて、何回もあるし乗り越えてきた。今回も大丈夫!店まで乗り込んで来るような女はいない。数日、嫌がらせの電話がかかって終わりだろう。


「ちょ、ちょっとお客様!お待ちください!」黒服が全員エントランスへと向かった。「うるせぇ、どけやー!」ガシャーン!ドカッ!物が壊れる音が響いた。派手なジャージを着た坊主頭の男と白髪混じりの眼鏡をかけたスーツ姿の男が立っていた。後から金色と言うか金銀合わせたようなノースリーブのワンピースを着た女が出て来た。

 壮也がテーブルで真っ青な顔をしている。坊主頭の男に腕を掴まれ引きづられて行った。女は呆然と立ち尽くすあたしの前に立った。左の頬に強い痛みが走った。あたしはソファーに倒れこんだ。胸ぐらを掴まれ、また殴られた。口の中に血の味が広がる。「何だよ!整形だらけのサイボーグ女か!」鼻はやめて!高かったんだから!鼻に顎に何回も殴られた。「こんなのに引っかかるなんて!壮也もダメね!」

 髪を掴まれエントランスへと引きづられる。黒服の馬鹿が、ペコペコしながらあたしのバッグと上着を渡している。黒いワンボックスカーに連れ込まれた。あたしの隣には白髪混じりの眼鏡の男、一番後ろの席に壮也と坊主頭の男が乗っている。

 女は前に停めてあるベンツに乗った。男はバッグからあたしの財布を出して、免許証を見て運転手の男に指示している。ま、まさか?


「おい、買って貰ったもの全部出せ!」白髪混じりの眼鏡の男が指示して、壮也に確認している。何でそんなに正直に答えてるのよ!

 下に荷物を降ろしているみたいだ。


「俺は、戻るから、あとはお前らの好きにしろ!」白髪混じりの眼鏡の男と坊主頭の男は壮也を連れて帰っていった。

「兄貴が好きにしろって、言ってたけど。どーする?」「顔見なけりゃ、結構いけるかもな?」あたしは震えた。この男達に犯されるかもしれない!でも、顔って何?

「お願い鏡見せて!」「どーする?」「鏡ぐらいいいだろ!」そこには、見るも無惨な私がいた。鼻は右に傾き、顎もおかしい。瞼は腫れ上がってお岩さんのようだ。「嫌ー!」悲鳴をあげた!脱力したあたしを男達は一回ずつ、後から犯して帰っていった。


 泣いた。ひたすら泣いた。悔しい、悔しい、悔しい!あの女、殺してやりたい!壮也、壮也はどうしよう?助ける素振りも無かった。でも、手放したくない。


 翌日の昼、店長から電話があった。店にはもう来なくていいということと、安否を気遣う内容だった。

 壮也の会社にも初めて電話をしたが、社長は出張中と言われた。この顔で会社に乗り込む勇気はない。それより、整形手術をする費用が無いし、仕事もクビになったからローンも通らないだろう。カードも毎月限度額いっぱいだ。

 こんな目に合わせた奴等が許せないけど、店長から「絶対に関わるな!」と念を押されている。裏の事情にも詳しい店長の言うことだから、きっとそうなのだろう。


 実家は十八歳の時に家出同然に出ていって音信不通だ。壮也以外に頼れる人もいないし、こんな顔じゃ誰とも会えない。どうしよう、このままじゃ、家賃も払えない。


 思い切ってマナに連絡を取ってみた。あの時、店で見ていたし、きっと心配しているはず。マナにLINUするが返信が来ない。スマホに電話するが出ない。夕方まで何度か繰り返したが、同じだった。

 店にもう一度電話すると、「もう、かけて来ないでくれ!」と電話を切られた。近所のコンビニで包帯を買って顔に巻いて、大きなサングラスと帽子を被って店に向かった。

「ちょっとレイさん!入らないで!」黒服を振り切って、開店前の店に入った。「マナっ!お願い助けて!」「何で?自業自得ってヤツじゃん!」「お金が無くて…。」「壮也に借りたら?お金が全てって言ったのあんただよ!」マナには取り合って貰えなかった。

 私は、自暴自棄になった。店の近くの酒屋でテキーラを買って、呑みながら歩いた。段々と景色がゆがんで見える。「アハハハハ、ヒィ、アッハハハー!」笑いながら泣いた。通り過ぎる人達があたしの顔を不思議そうに見ながら歩いている。

 知らない間に路地に入っていた。こんな路地あったっけ?どーでもいいや!突きあたりまで行くと、重そうな木の扉の横に「Bar 月下美人」と白い文字で書かれた看板があった。

 重い木の扉を開けると、「いらっしゃいませ!」この店のマダムだろうか、妖艶な美しい女性が迎えてくれた。

 ホルターネックの真珠色ロングドレスに左脚の正面の付け根まで入った深いスリット、胸まである長い髪に切れ長な瞳、玉子型の顔の整った上品な面立ちなのに、熟れた唇がどこか淫猥に見える。

 店内は薄暗く、カウンターの上に透明なフィラメント電球が並んで灯っている。使い込まれた木造りのカウンターはマホガニー製か?カウンター10席ほど、奥に四人掛けのテーブル席が2つ見える。カウンターには白い口髭を携えた老紳士、奥のテーブルには赤いワンピースを着た女性と黒いスーツを着た男、もう一つのテーブルにはOLらしきダークなパンツスーツの女性が二人。

 カウンターの中には、スキンヘッドに立派な髭を携えた。体格のよいマスターらしき男がいる。夜なのにサングラスをかけ、レンズの下に猛禽類のような鋭い眼光が微かに光る。


「こちらへ、どうぞ!」カウンターの真ん中の席に座った。目の前のマスターはあたしの存在など気にせずにグラスを拭いている。


「男絡みね。大変な目にあったのねぇ。可哀想に…。」マダムはあたしの右側に顔を近づけて包帯だらけの顔を愛しそうに細い指先で撫でている。冷たすぎる感触が返って気持ちいい。「何で、わかるの?」「貴女を見れば何だってわかるわ。壮也って人ね。」あたしは気持ち悪くなって席を立とうとしたけど、肩に置かれた手が離せないの。押さえられている感じじゃないんだけど、透明な硝子の板みたいな。


 マスターがカウンターにシングルサイズのシェイカーを置き、氷、赤い液体、透明な液体、ライムを絞って鮮やかな手つきでシェイカーを振った。キャップを外し液体を目の前のショートカクテルグラスに注ぐ。濃いピンク色の液体には白い濁りのようなものが蠢いている。


「このカクテルは、時間を巻き戻すカクテル。一分間だけ過去に戻ってやり直すチャンスをくれるの。呑むも呑まないも貴女の勝手だけと、この店の扉を開けられるのは人生できっと一度きり、選ばれた人だけよ!」怖かったけど、もうどうでもいい。呑んでみるしか無い。

 

 「呑めばわかるわ。さぁ。」後ろから両肩に透明感を感じるほど白く冷たい手が置かれた。「目を閉じて。」耳元で囁かれた。甘い薔薇のような香りがする。「一口呑んで、戻りたい時間を想像して…。」カクテルはライムの味しかしない。

 息がわかるほど唇が近くなった。「二口めは、戻りたい場面を思い出して…。」耳の穴を舐められている気がした。「そうよ、最後は一息に呑んで、理想の未来を想像するの…」

 目の前が真っ白な光に包まれた。今、見えているはずの景色が遠ざかっていく。見えなくなった。


「まずは、時給2500円からスタートして、指名が増えてきたら売上制に変えるという条件でどうかな?レイさん?聞いてる?」気がつくと今の店の面接に来ていた。あの時と同じ黒いハイネックのワンピースを着ている。「あ、はい!条件は大丈夫ですが…。」「じゃ、今夜から入って貰えますか?」はいっ!と返事しそうになったが、ここだ!ここで断れば大丈夫!「ちょっと、考えさせてください!」


 また目の前が真っ白に変わって景色が遠退いていく。全ては夢なのだろうか?


「ん、どうしたレイ?」「ここは、あたしん家?」家の中は同じだった。ベッドの中だ。隣に壮也がいる。「お前呑み過ぎだよ!久しぶりにお泊りしたのに。」「えへへ。ねぇ、しよ!」壮也の下半身に手を伸ばして、布団の中に潜り込んだ。


「ピンポーン♪」インターホンが鳴った。「ほっとけよ!」「多分、荷物受け取るだけだから。」

 暫くして「ピンポーン♪」ドアホンが鳴る。「キリン宅配でーす!」「はーい!」「ちょっと、大きいんで!」

 「レイ!開けるな!」ベッドから壮也が叫んだが、もう遅かった。段ボール箱をぶつけられ、あたしは玄関に転がった!あの女が馬乗りになった。「この泥棒猫!許さないよ!」何回も殴りつけられた。拳を振り下ろすから前より酷い。最後には、首を締めてきたが、白髪混じりの眼鏡の男が、「姉さん!ここまでです!」と腕を掴んで何とか止まった。

 散々、殴られたせいか意識が遠い。夢の中の光景を見ているようだ。壮也に買って貰ったもの以外にも、ブランド品やアクセサリー、カード類、銀行通帳まで持って行かれた。

  

 どうして?戻る場所と時間を間違えたから?幸いスマホは無事だった。LINUの通知が着ている。「Bar 月下美人?」来店のお礼と、今夜の店の地図のURLが貼り付けてある。


 もう、あの店に行くしかない!そう思ったあたしは、再びあの店に向かった。以前は繁華街の路地だったのに、今度は町外れの鄙びたスナックビルの中?7階にエレベーターで上がり、突きあたりの店の前に来た。重そうな木の扉の横に白い文字で「Bar 月下美人」と書かれた看板がある。

 重い扉を開けた。あの時と全く同じ光景が広がる。カウンターの白い髭の老紳士も他の客も全く同じだ。ただ一つ違うのはマダムの服だった。今日は、ボルドーカラーの着物に白い帯、長い髪はアップにしてある。

 妖艶な赤い唇が開く。「いらっしゃい!二回来る人は珍しいのよ!貴女は恵まれているわ。んふふ。」

「今度は、ちょっと代償が伴うかもね。いいの?よく考えてね?」


 そもそも、何で高卒で家を出て水商売に足を突っ込んだのだろう。


 あたしは、中学までは普通の娘だった。制服のスカートを短くしたりしなかったし、髪も黒髪でギャルでも何でも無かった。

 高校に上がって、幼馴染で一つ上だった貞雄と再会した。貞雄は地元で有名な族の特攻隊長をやっていて、学校でも有名な存在だった。地味娘だったあたしは、よくヤンチャな娘達にいじめられた。トイレでビンタされ、叫んだ時に貞雄が駆けつけて、助けてくれた。それ以来、あたしには「貞雄の女」問い大看板が付いて、学校で幅を利かせるようになった。

 

 あたしが高校を卒業すると同時にかけおち同然で貞雄と一緒に都会に出て来た。貞雄は族の先輩がいる組の使いっ走りにされて、段々とアパートに帰らなくなり連絡も取れなくなった。勇気を出して組に電話しても、「俺らも探してるから、見つけたら連絡くれ!」と言われるだけだった。


 そうだ貞雄と再会しなければいい。違う高校へ進むんだ。中三の進路相談に戻って勉強して違う高校へ行こう。


 カウンターに置かれた。黒い色のカクテルを三口に分けて呑み干した。


「えーっと、今の成績のままなら、A高だけど、どーする頑張ってみるか?」以前のあたしには想像もつかない答えを返した。「先生、あたし頑張ってD高受ける。ママ、塾に行きたい!」先生とママがびっくりしていた。


 再び真っ白な光に包まれて景色が遠ざかる。


「ママー、ママー!」幼い女の子の声がする。目は開けているのに真っ暗で何も見えない。「ママー!御飯出来たよー!」優しそうな男性の声がする。「ママ、御飯行こ!」小さな手があたしの手を引く。

「レイ、どうした?大丈夫?」彼はこの未来の夫なのだろうか?「編集の北さんも驚いてたよ!レイが書いた小説がベストセラーになるなんて!発売早々、売り切れ店続出で、多分増版になるだろうって!さぁ、さぁ、熱いうちに。」


私が書いたミステリー小説「Bar 月下美人」がベストセラーになったらしい。


 

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