05 とりてん、でこぼこ影法師-01

 朝寝坊した日は調子が狂いがちだ。電車の中でストッキングは伝線していることに気づいたのはいいが、社屋の隣にあるコンビニには同じものが見つからない。

 仕方がないので、いつも使っているメーカーと別のものを買い求めた。釣り銭を受け取っているときだ。

「おはよう、野々村さん」

 まったく気づかなかったけれども、東堂が後ろにいた。さわやかな朝にふさわしい、はきはきとした声で挨拶をくれる。

「あっ、おはようございます。か、係長」

 職場にいるとき……特に就業中は、わたしたちは互いの呼び方を変えている。周りに誤解を生むことがイヤなのではない。できるだけメリハリをつけたいのだ。こんな風に考えるようになったのは、復職してから特に強くなった。

 三歳年上の同期でもある東堂に、感化されていた部分も大きいのかもしれない。

「どうした、そんなに焦って」

 東堂は不思議そうに尋ねてくる。わたしが買ったものをバッグの中に、あわてて詰めこんだように見えたのだろう。

「靴下を伝線させてしまったので、買ったんですよ」

「なんだ。そんなことで?」

 彼は右手に持っているコーヒーの紙カップを、くいくいと揺らした。

「だってチョコレートや飴なら見られてもいいけど。肌着と同じようなものじゃないですか。これって」

「ほうー、なるほどねえ」

 東堂が目を細めて見つめてくる。

「なんですか、『なるほど』って」

「女子社員がコンビニで買い物をするというと、業務中に頬張る菓子か弁当類しかないとしか考えてなかった」

「発想が昭和のオッサンですね、決まりきったかたちしか見えてないみたいで」

「やかましいわ。俺は先に行くからな」

 ふふん、と鼻で笑った上司が歩調を早めて社屋のビルへと入っていく。わたしは職場に入る前に、洗面所へと直行だ。

 執務室に入ると、一個下の後輩・高梨つぼみちゃんが待ちかねたように書類を抱えてやってきた。

「茉莉先輩、これ午前中のマストです」

 どさっと音を立てて、履歴書その他が机の上に置かれた。

「今日も量が多いね」

「年末調整も近いですし、各地で正月用に採用を増やしていますからね」

「それもそうかぁ」

 目視しながらパソコンを立ち上げ、社内システムにログインをする。手早く済ませて、立ち上がったとき。

 始業開始のチャイムが鳴った。

 ――朝礼の場に、総務部長が来ている。

 部長の横には作業着姿の男性と、リクルートスーツの女性がいた。男性の方は、ぱっと見て東堂と同じくらいの身長で、歳の頃も同じくらい。太い眉毛が、「パチッ」と二重瞼の大きな目を尚更に印象付ける顔だ。しかも左眉の下には三センチほどの古傷がある。

 やたら堂々としているけど、あの人。この会社にいたっけ? 

 女性の方は薄化粧で、背が低い。わたしよりも十センチほど、低いかもしれない。束ねているらしい髪は染めておらず、伸びかけた前髪を両脇で留めていた。メモ帳とペンを手にしながら、目線だけを左右に動かしていた。全身から「わたし緊張しています!」というオーラがバンバン出ている。こわばった頬や引き結んだ唇が、時折ひくひくと動いていた。

 部長の話は、この時期になると毎年恒例。もうすぐ年末調整の書類を処理しなければならない時期がやってくるので、各自で健康管理に気をつけて。体調が悪くなったら、すぐに欠勤連絡をして病院に行くようにしてください。インフルエンザだったら大変だから云々。

 やがて部長は、自分の隣にいる二人に声を掛けた。

「一歩、前に出てください」

 飄々とした作業着と、もじもじしたリクルートが前に出る。

「自己紹介してくれませんか。あっ、まあ……ハヤシダくんは、この中で顔だけは知っている人、いるかもしれませんねえ」

「はあ」

 ハヤシダと呼ばれた作業着男は曖昧にうなずいた。そして、あらためてぐるりと周囲を見渡した。

 軽く頭を下げて、唇を開く。やわらかい癖のある大阪弁だった。

「今日からピンチヒッタ―で、大阪にお世話になります。人事だけやなくて、社内全部のプログラミングを担当するハヤシダ、トオルです。ハヤシは木ぃを二つ並べて、田んぼの田で林田。トオルは透き通るの、透。リンダちゃん、て呼んでくださいませ、トオルちゃんでも結構です。特に高梨さん、同期やし。よろしくね!」

 いきなり名指しされた高梨蕾ちゃんに、周囲の視線が一気に集まる。蕾ちゃんは顔を真っ赤にして、唇をポカンと開けた。

「……え、まさか。あんたが?」

 蕾ちゃんは大きな瞳をますます大きく見開いた直後、うつむいて片手でこめかみを押さえた。

「最悪だわ」

 朝礼に参加していたメンバーのうち何人かが、訳がわからないままで「ぷっ」と吹き出す。あまりにも人事っぽくない朝礼の空気の変化に、つられた他のメンバーも笑い出した。

 あの人、蕾ちゃんの同期なの? 

 わたしは林田さんと高梨蕾ちゃんを交互に見比べてしまうだけだ。すぐに総務部長が「まあまあ」と、全体をなだめるように両手を上下に動かす。

「さっき林田くんからも説明が合った通り、いつもプログラミングや設備点検をしてくれている安藤さんが急病でね。入院することになったんですよ。それで、林田くんを東京支店から融通してもらいました。本当は東京も彼を出したくなかったようなんですけど。安藤さんレベルで仕事ができる人材といえば、林田くんしか見当たらなくてですね」

 安藤さんは大学卒業とともに入社した人で、わたしと東堂よりも二年先輩になる。ノーフレームの眼鏡が似合う、とても知的な男性だ。関西地区に展開しているヒトミ全体のプログラムを見ている。なので、こちらヒトミ本社人事情報部にも出勤している日は週に三日くらい。

 その安藤さんに匹敵するほどの仕事量をこなせるのが、あの林田さん? そんなの、にわかには信じがたい。

 ふっと東堂に目を遣る。わたしの視線に気づいた彼は「異動書類は、今日の午後に連絡便で届くよ」と声を出して、言ってくれた。

 ほっとしていると、総務部長がリクルートスーツ女性にやさしく声をかけていた。

「あんな、漫才の口上っぽい自己紹介なんてしなくていいですからね」

「は、はい」

 新人女性は米つきバッタのように、何度も頭を下げては汗びっしょりの額を拭う。

「あっ、あのう。今日から紹介予定派遣でお世話になります興梠詩織こうろぎ しおりです。色々とご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いいたします」















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る