04 マイペースなケンちゃん-09

 ケンちゃんが、こちらの心を察したのか。そうっと話しかけてくる。

「場所を変えます?」

「いいよ、別に」

 どういう意味に取ったのかは知らない。けれども相手は「ふうー」とため息をついて、わたしの手に自分の手を重ねてきた。

 ケンちゃんの掌の温もりが、じんわり伝わってくる。

 両親が亡くなるまでの嫌な記憶や誰にも見せたくない隠しておきたい記憶は、いまでも生々しくて、消化しきれていない。他人から少しでも触れられただけでも、心がつめたくなっていく。もしかしたら、知らず知らずのうちに顔などにも表れてしまったのかもしれない。

 幸いにも、相手はそれ以上のことを尋ねてはこなかった。

「明日は、ちゃんと学校に行きますから。安心して」

「わかった」

 わたしはゆっくりと顔を上げて、ケンちゃんの頭に乗っているきつねのお面をコツンと叩いた。

「お客さんを心配させたら、だめだからね?」

「うん」

 きつね男子は、目線だけを伏せた。その眉毛が、八時二十分のかたちになる。心底から素直な子なんだなあ……しみじみと感じた。同時にケンちゃんの表情は、あまりにも面白すぎた。

「あは、その表情。なかなかできないと思うよ」

「なにかおかしいこと、しました?」

 きょとんとした彼を置いたまま、ベンチから立ち上がる。

「おかしくないよ」

 わたしは、ひらひらと手を横に振って見せた。ケンちゃんも満足そうな表情で立ち上がり、お尻の辺りをぱんぱんとはたく。

「陽が翳ってきましたね」

「あっ、本当だね」

 朝から青空が広がっていたけれど、ちょっとお日様が隠れている時間が長くなっているみたい。

 わたしたち二人は言い合わせたわけでもないのに、駅の方向へと歩いている。

 ランチ前に東堂係長と待ち合わせた喫茶店まで歩く。ここを曲がって歩いて行くとケンちゃんの仕事場、露天神社だ。

 商店街の入り口で、ケンちゃんが笑顔で手を振ってくれる。

「茉莉さん、今度の火曜日の夜は絶対に来てね」

「もちろん」

 すーっと振り向いた彼が、人の波にまぎれていくところをずっと見ていた。

 なぜか知らないうちに、わたしの鼻の頭がツンと熱くなる。なんでだろう、と思うよりも先に、ぽろっと涙が出てきている。

「ああー」

 思わず声を上げて、目尻を拭う。

 あんなこと、言わなければよかった。

 わたしの記憶なんて、あれもこれも。

 他人と比べると圧倒的に温もりに貧しくて惨めなものだ。ふたたびヒトミに拾ってもらうまでの状景なんて、特に。とてもではないが「思い出になんか、とてもできない」そんな断片ばかり。

 それを、うっかり……。

 いや、たぶん、そうじゃなくて。

 ケンちゃんの前だったから、ずっと閉じ込めていたものがぽろぽろと出てきてしまったのだ。

 閉じ込めたままで“オトナ”と呼ばれる年齢まで来てしまったのだ。

 だから、さみしいな、と思うときがたくさんある。

 でも、なんとなくだけど。

 これから少しだけ、さみしくなくなりそうな気がする。何の根拠もない、あやふやな予感だけど。

「さて、帰ろっかー」

 あしたから、仕事だもの。……がんばらばくっちゃね。






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