05 とりてん、でこぼこ影法師-02

 そういえば興梠こおろぎさん。

 履歴書を入力しながら、珍しい苗字の人だなあ……と、思った覚えがある。一週間ほど前だったかな。

 毎日まいにち鬼のような量の書類を入力していると、ひとりひとりの名前も顔も。もちろん所属も記憶なんて、できない。できるわけがない。

 なのになぜ、この人だけは記憶していたかというと。やはり「苗字」を珍しいと感じていたからだろう。それとヒトミが紹介予定派遣の制度を取り入れるようになってから、あまり日数が経っていないので。

 はじめは派遣社員として働いてもらって、更新時期に正社員として採用するか雇い止めにするか面接をして決める……というのが「紹介予定派遣」という制度だ。

 この人の人事情報を入力したとき、本社・人事情報部に配属されるって書いてあったっけ? すっかり、記憶にございませんです。

 それよりも林田さんの異動書類はともかくとして、たとえヘルプでも誰かが人事情報部に配置される話なんて全然聞いてなかったことに。わたしは朝からショックです。

 これも朝寝坊のツケなのだろうか。

 まあ、とにかく。朝礼後、総務部長がわたしと東堂係長を手招いたわけで。

「今日から、興梠さん。半年くらい係長のところで面倒みてね?」

 東堂が直立不動で部長に答えた。

「半年くらい、というのは?」

 部長は右頬だけを一瞬だけ、引き攣らせる。

「一応の目安として考えてくださったら。会社としては、半年後に派遣さんと面談してから直接雇用にするか、そうでないか決めますけどね。ヒトミ全体の構造とか、どの地域にどんな工場や事務所があるかサクッと覚えてもらえるのは入力担当の野々村さんの業務が、一番早いかなと」

 わたしは言った。

「半年、興梠さんと一緒にお仕事したらいいんですよね?」

「そうだね」

 サラッと言ってくれるけど部長……わたしの役割は結構な重み、ないですか? 

「半年一緒に仕事をしたら、その先。もしかしたら興梠さんと、また一緒に仕事ができるかもしれないということですよね?」

 できるだけ精一杯、穏便な言葉を使って質問したつもりだ。

 興梠さんの派遣期間中、こちらの振舞いひとつで彼女自身がヒトミを嫌いになって退職してしまうかもしれない。それだけは絶対に、イヤだと思った。

 そんな気持ちを汲んでくれているのか、いないのかは知らないが。総務部長は威圧するかのように眇めるように、わたしを見据えた。

「当然でしょう、ウチは長く働いてくれる社員が欲しいんだから」

「わかりました」

 これで自分の言いたいことは全部、言いました。そんなスッキリした表情の総務部長が、執務室から出て行く。

 東堂がわたしの顔を、まじまじと見ながら唇を開いた。

「野々村さん、お願いね」

「はい」

 はい、と言ったのはいいけれど。正直言って、荷が重いと感じた。

 半年先に興梠さんが退職してしまわないように……上司からも受けがよくなるようにしなければならないし、なによりも興梠さんにヒトミを好きになってもらえるように、しなければならない。

 そんな大変な仕事が、わたしにできるのだろうか?


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