03 仔ぎつねたちのいたずら-06
東堂がぼやきながら、恨めしそうなまなざしを寄越す。
「梅田に来るなって言っただろう? なぜ人の言うことが聞けないんだ」
わたしは甘えて唇を尖らせた。
「だってー。興味が出てきちゃったんだもん」
「だもん、じゃないよ。もう、まったく」
彼は眉を下げて、こめかみをぽりぽり掻いた。心底から困ったときの癖だ。わたしは顎を上げて東堂を見つめた。
「べ、別に困らせようと思ったわけじゃないんだからね」
「わかってるけどさぁ」
東堂は左右に目を泳がせる。欠勤した部下と一緒にいる姿を万が一にでも、会社の誰かに見られたらイヤなのだろう。そんな雰囲気が、ひしひしと伝わってくる。
わたしは言った。
「お参りしたら帰るよ、体調不良で休んだ部下と待ち合わせしている……とか変な噂が立ったら困るんでしょ。東堂係長も仕事に戻ればいいじゃない」
帰る、と言ったところに語気を強める。すると東堂が、ため息をついて肩を落とした。
「職場に帰っても、システムダウンの最中なんだってば。それに俺は、本社全体のサーバーを一度に落とせる能力なんかないよ」
「あ、そうだね……」
ごめん、と頭を下げると、相手は「やれやれ」とつぶやく。
「まあ、いっか。俺もイライラしすぎだった、ごめん」
東堂は済まなさそうに言い、自分の頬を片手で撫でる。それから、ふと思いついたように唇を動かした。
「野々村さん……あ、いや。茉莉ちゃん。今、ヒマ?」
「あ、はい」
なんだろうと怪訝に思うわたしの顔を見て、東堂がひらひらと手を横に振った。
「ちょっと早いけど、メシにしようよ。システムが復旧したら泊まり込みになるかもしれないからさ、今のうちに羽根を伸ばしておきたいと思って」
「麺類以外のものなら、なんでも」
東堂がうなずく。
「いちばん近いところで、牛丼屋があるけど。会社の人間が、なるべく来なさそうなところがいいよな。カレーなんか、どう」
「この辺に、あったっけ?」
「第四ビル以外なら、少し遠くなるけど。お初天神商店街を、この神社の反対側に歩いて行くんだよ。要は、もう一個の商店街入り口だね。そこの道路を右に渡って、すぐ。あの辺りなら、うちの会社の人間も来ないと思う」
「わかった。そこがいいな」
「オッケー」
東堂は一旦、会社に戻ると言った。
「もしかしたら社内全体に、帰宅指示命令が出るかもしれん。たしかめてくるわ、待たせることになるけどいいかな」
「もちろん」
わたしがうなずくと、東堂は片目をつぶった。どちらからともなく、携帯電話の番号を教え合う。
「茉莉ちゃん、脚のポスターの下あたりにいて。あの辺ならパチ屋もコンビニもあるから。ランチタイムで外出しているかもしれない社内の人間たちから隠れるにはちょうどいい。余裕をみて一時間後に集合ね」
脚のポスター? なんですか、それは。
けれども東堂は、とっくの昔に。わたしに背中を向けて会社の方向に歩きだしている。大きめの声を上げてまで、呼び止めることでもないし。
とりあえずお参りだけでも、さくっと終わらせよう。それからでも、充分に間に合いそうだしね。
東堂と一時間後に待ち合わせてランチタイムを過ごすことになった。腕時計の針は十一時少し前を示している。
南入り口から続く参道から見える拝殿の前に、左右に石柱がある。それぞれになにか文字が彫られているが、ぱっと読み取れない。眼鏡を作ったほうがいいのかなあ。
左右の柱のあいだに
南方向の幟が途切れたところ、朱色の鳥居があった。こちらからは狭く短い印象に思えるけれども、あちらにも参道があるということか。
こちらから見て、鳥居の二歩ほど手前。少し奥まったところにブロンズ色の銅像らしきものがあるのがわかる。
拝殿にお賽銭を投げ入れながら、つぶやいた。
「通勤の往復に使う道くらいの感覚しかなくて、ごめんなさい」
今まで当然のように視界に入れては流していたことでも、ちょっと興味を向ければそれらは意味がガラリと違ってくる。まるで意味を持たなかったものたちが顔を輝かせて、あちら側から近寄ってくる。
だって、ほら。
今の今まで、あの赤い幟に書かれている文字さえも知らなかった。知ろうともしていなかったから。
幟には白抜きの文字で「開運稲荷社」と記されている。ぱたぱたとはためく光景は、とてもまぶしい。
ああ、でも。ゆっくりしてはいられない。あと三十分もすれば職場の昼休憩時間で外出してくる職場の人たちと、かち合ってしまうかもしれないのだ。
ふたたび頭を下げたあと、開運稲荷社の鳥居をくぐることにした。
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