第9話 在日韓国人の「翌檜(あすなろ)」という生き方

AAA. 自我なくして生きる人たち

日本の隣人である中国人とかベトナム人、タイ人、北朝鮮人(高句麗)といった国や人は、日本人のマネをしない。それぞれが「我思う故に我あり」、個人として民族として国家としての哲学を持っている。

しかし、韓国人というのは、永遠に「翌檜(あすなろ)」としてしか生きられない。そういう生き方を捨て去ることができなくなってしまった。

「明日は日本人になろう、明日は日本人になろう。」というマネだけで、自分自身を掘り下げ・追求することで、自分という存在を浮き彫りにする、という努力をしない。生きることに真剣にならなくても、とにかく日本人のマネをしてこれにくっついていれば(日本人以上に)いい生活が約束されているのだから。

大体からして、偽名で生きている人間が本来の自分を見いだす(哲学する)ことなど出来るわけがない。しかも、集団でそれをやっているものだから、一切の罪悪感も恥ずかしさも感じない。自分で自分に対し批判的になったら自我が崩壊してしまうから、本来の自分を隠し、いつでも自分を良く見せたがる・強く見せ・格好をつけたがる。そういう努力というか習慣から抜けることはできなくなってしまった。

そういう生活を続けていると、益々、自分というものが把握できないままに大人になり、最後の最後まで「いったい、オレという人間は真に存在したのか」と悩むことさえなく死んでいく。

そんな彼らの(新興)宗教というのは、当然、本来の宗教としての倫理や思惟がない。モノ・カネばかり。とにかく「日本人のマネをして、日本人の殻をかぶって生きる」という「真剣味がない」行動形態。だから、何の発明も特許も文化も生まれない。

日本人に近い顔をしているが、その言動は驚くほど幼稚な昨今の日本の政治屋たち。政治屋というよりも、任期中に稼げるだけ稼いでとんずらする、いかさま芸能人という程度の存在感しかないのは、もはや悲劇を通り越して喜劇を見ているようだ。

BBB. 濃い血と薄い血

ことここに至っては、上は天皇・政治家・官僚から清掃人に至るまで、日本の政財官、マスコミ・医療・学校などすべて「日本の支配者は在日韓国人」ということで結構ですので、せめて「日本人の名前を騙る」のだけは止めて欲しい。

エジプトだってインドだって中国だって、一時期、支配層は全員英国人だったのですが、彼ら英国人は自分たちの出自を隠したりはしませんでした。堂々と英国人名をなのっていたのです。

私のように、周囲に血の薄い人間がいればいるほど、自分の血の濃さが増してくる、というタイプの人間ばかりではない。日本人というのは、思想的なウイルスや細菌に感染しやすいので、ほとんどの人が「同調圧力や忖度なんていうまやかし」に染まってしまう。物理学でいうエントロピーの法則に従順なのが、在来種純粋日本人なのです。

大学日本拳法界に於いても、薄まる血と濃くなる血の二極に分化していくことでしょう。関東には在日韓国人の経営する日本拳法の道場というのが10年も前からあるし、警視庁も少しずつ大学日本拳法界にその触手を伸ばし始めている。

実に、在日韓国人というのは抜け目がない。

かつて、警察と結びついた講道館柔道が、在来種純粋日本人の柔術を海外へ追いやったように、日本人本来の大学日本拳法は、メキシコやブラジルといった地域の在来種文化と結びついて本来の成長を続けるということになるかもしれません。

偽名を使って生きている人間ほど軽い存在はない。まあ、軽いから日本人の中に溶け込めるのでしょうが。


中国人と(在日)韓国人を比べれば、すぐわかります。

中国人とは、ものの数分話していれば「こいつは中国人なんだな」とその存在感がヒシヒシと伝わってくる。アクの強さというか真の自分をしっかりと把握している実在的な人間の持つ迫力がある。

しかし、韓国人、特に在日韓国人とは、無意識に自分で自分の存在を消そうという習性がある。

だから、そういう虚の生活を子供の頃から続けていると、人によっては「小学校に闖入して子どもたちを出刃包丁で刺し殺し」たり、「養老院の老人を19人も殺したり」といった、とんでもない凶行を行なう。虚の人生に耐えられなくなった自我が、弱い者を殺すという行動として爆発するのです。

恐らく、警察で発表しない、発表しても日本の韓国系マスコミがニュースにしない多くの殺人・暴力事件が発生しているでしょうし、これから益々多くなるでしょう。

中国人やベトナム人が金に困って犯罪を行なうというのと異なり、虚の人生に溜まった鬱屈の爆発を、在来種純粋日本人の女子供や老人に向けるのが「翌檜症候群」ともいえる、在日韓国人に特有の病気なのです。

病気だから起訴されない、罪にならない。やがて、その被害が在日韓国人にも及ぶようになって初めて、その対応に在日韓国人政府が取り組む、ということになるでしょう。

私の見た「(正しい)在日韓国人の生き方」

これは彼ら在日韓国人の血と言うよりもその生き方に問題があるからなのです。

  私の先輩のように、正々堂々と韓国人を名乗り、韓国人らしく生きる「勇気」さえあれば、もっと伸び伸びと後ろめたさなく生きられるはずなのです。そして、そういう韓国人と日本人が協力すれば、日本という国はもっとずっとよくなるはずなのです。

ところが「ジョーカー」が、そういう韓国人にしない。そういうアイデンティティーのしっかりとした韓国人と日本人が仲良くなることを阻止してしまう。

「在日韓国人」として陰(かげ)の生き方をさせるのに一番いい手が、さまざまな利権を彼らに与える、ということ。

その結果、99%の在日韓国人が子供の時から偽名を名乗り、学校でも仕事でも真の自分をさらけ出せないで生きるという選択肢しかないと考えてしまう。

一方、私のような在来種純粋日本人は、逆に、貧乏でもバカにされても真の自分で生きて死ぬことを誇りとして考えて生きる(まあ、ここまではっきりと自覚したのは還暦を過ぎてからですが)。在来種純粋日本人、「日本昔話」の生き方を変えることはできない。

ということで、結局は「ジョーカー」の思い通りに世の中は運ぶ、ということになるのでしょうか。

続く


2024年2月8日

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V.5.1

平栗雅人

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私の初夢V.5.1 @MasatoHiraguri

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