第8話 狂気の工場勤務

先輩の工場は、当時私が住んでいたところから、ドアツウドアで1時間半の馬込という場所にある、屋根が薄い鉄製のトタンで覆われた木造平屋でした。

  真夏の炎天下、この工場に入っただけで、サウナのような暑さ(熱さ)。

就業時間は朝8時半から夜の9時頃まで(週に一日程度6・7時頃終わることもある)。午前10時に10分間の休憩、12時に工場の庭で昼休み(弁当)が45分、午後3時に休憩の後は、そのまま夜まで働き尽くめ。月曜日から土曜日。

私の仕事場は電気炉。

「Tune」「Volume」といった文字が印刷されたステレオの前面パネル(アルミ製)が3つ載る50センチ四方の網が、約6メートルくらいの電気炉の中を熱処理(インクを乾燥させる)されながらゆっくりと移動してくる。炉の中はパネルも真っ赤になっている。

その出口で、石綿のぶ厚い手袋をはめた私が、棚と言わず地面にまで順次置いて熱を冷ましてから、ひとつずつ新聞紙で包んで多きな段ボールに詰め、工場の外へ運んで積み上げる。

後から後から、無慈悲にベルトコンベアーから排出されてくる真っ赤に焼けたパネルを取り出し、冷めた順から手袋を外して包むのですが、熱さで頭が朦朧としているので、まだ熱が冷めやらぬパネルを触ってしまうことが日に何度もある。といって、緊急事態でもないのに仕事を中断するわけにもいかないので、やけどだらけになって仕事を続ける。

初日、炉の前に立った私は、思わずめがねを外し、別の部屋に置きました。

真っ赤に焼けた炉から吹き出てくる熱風で、めがねのフレームが曲る(溶解する)危険を感じたからです。

工場内がサウナ状態である上に、電気炉の吹き出し口で働く私の場所は、それ以上の超高温。冷房などもちろん無し。真っ赤になるまで熱せられたパネルを冷やすため、業務用の大きな扇風機があっても、そこから吹く熱風はかえって私の身体を焼き付ける。

前の晩の睡眠不足と朝、何も食べていかなかったせいで、初日、仕事が始まって約1時間で私はフラフラとなり、緊急ボタンを押して約40分間ほど工場内の別の部屋で横にさせてもらいました。

大学で、冷房も扇風機もない真夏の地下道場、汗が出なくなるほどの熱さと窒息しそうな息苦しさの中でさえ、殴り合いを続けることのできた(同期の原や杉山は、よく倒れた)私でさえ、あの狂気ともいえる熱気にはダウンしたのです。

しかし、人間の身体というか精神力というのは恐るべきもので、しばらく横になると、その日は、夜9時までなんとか持ちました。そして、翌日以降はその教訓から、帰宅して即座にベッドへ入って死んだように眠り、翌朝は6時に起きてしっかりと朝食をとりました。あの日は幽霊のようにして家まで魂がたどり着いた、という感じでした。

では、日曜日には朝から晩まで寝ていたのか、といわれれば、毎週土曜日に仕事が終わると、9時頃から先輩に連れられて「闇の焼肉屋」へ連れて行ってもらいました。

先輩の車で15分くらいの場所にあるチョンブラという一角にある、木造の民家で無許可営業をしている焼き肉屋です。

ここで、ビールの大ジョッキにたっぷり入った黄色いどぶろくと、歯が折れそうになるくらい堅いホルモンを食べる。これが工場の労働以上の苦痛でした。

ここもやはり冷房はない上に、歯の悪い私は肉をほとんど噛まずに飲み込むしかない。

しかし、先輩は何杯もどぶろくを飲み、ホルモンとキムチをむしゃむしゃ食べる。三国志の英雄関羽を思わせる豪傑、さながらです。

実にこの時の先輩には、韓国人のパワーというものを感じました。

刺身に日本酒、酢の物に冷や奴という日本人ライフの私には、異次元の世界に見えました。高校時代の同級生の在日韓国人は、赤ん坊のような手をしていましたが、この先輩の手というのは、まさに人をぶん殴るために成長したというくらいデカくて骨太でしたが、こういうものを食べているからなのか、と感心しました。

ですから、土曜の晩は12時近くに解放されるので、一緒に働いていた大学4年生の先輩(私とは違う仕事をしていた)の家に泊めてもらい、日曜日の昼過ぎに帰宅していたので、本当にゆっくり休む日というのはなかったのです。

では、先輩は私よりももっと楽な仕事をされていたのかというと、もっと危険で過酷でした。パチンコ屋へ卸すコインを打ち抜く作業なのですが、こんな仕事を半日やったら私なら気が狂うでしょうが、先輩は大学卒業後から7年間その仕事を、まさに朝から晩までやり続けて4000万円貯め、家を建てられたのです。

この1ヶ月間というものは、朝から晩まで一切何も考えることができないくらいの緊張感と疲労だったのですが、のちに思い出した時、あんな狂気ともいえる仕事を、私の高校時代の在日韓国人では絶対の2乗くらい確実にできない、と思いました。

同じ在日韓国人でも、口先三寸で調子よく生きる者もいれば、日本人でも逃げ出すのではないかというような過酷な労働を黙々と続ける人もいるのかと、不思議な気持ちがします。

普段は先輩のご兄弟や親類の方がやられていたようでしたが、そういう血縁関係のある人でないと、とても続く仕事ではないのではないでしょうか。

続く

2024年2月8日

V.2.1

2024年2月9日

V.3.1

2024年2月13日

V.4.1

平栗雅人

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