第6話 在日韓国人工場で在来種純粋日本人の自覚

大学1年生の夏休み、日本拳法部のあるOB(在日韓国人)の家(工場)で1ヶ月間働かせて戴きました。夏合宿の費用(+小遣い銭稼ぎ)の為です。(7月18日~8月18日)。

夏合宿の予備練習開始は8月20日でした。まあ、当時、奴隷社会であった我が校の日本拳法部、4年生の先輩(東京在住)から指名という形で、決まったのではありますが。


① 夏合宿の後、10月から翌年の3月まで、私は家の事情で大学を休学しました。ですから、10・11月の練習と、オフ期間後3月の春合宿、約2.5ヶ月間は練習していなかったことになるのですが、この時のアルバイトは、それを凌ぐほどキツい、肉体的・精神的苦行でした。


② また35歳から40歳までいた京都大徳寺の修行における精神的・肉体的キツささえ、「遊び」と感じるくらいの「地獄」でした。

  大徳僧堂とは日本一厳しい僧堂といわれていましたが、それでも、毎日幾ばくかの自由時間があり、座禅や作務(禅寺で禅僧が行う農作業・掃除などの労働一般)の間でも、何か考え事をしたり気を緩めることが出来ました。

しかし、この1ヶ月間のアルバイト期間中とは、仕事中どころか通勤電車の中でも緊張感が解けない・物思いに耽るような心のゆとりがない、(疲労困憊の)毎日だったのです。

③ 高校時代、同級生(2年生時には寮で同室)に在日韓国人がおり、それまでの私は主に彼を通じて「在日韓国人」というものを認識していたのですが、大学OBでいらした在日韓国人の方は、まったく違う人間(在日韓国人)であり、それまでの「在日」というものに対する私の印象が大きく変わりました。

  高校の同級生の場合、集中力が無い・いい加減・口先ばかりのはったり、という人間でしたが、1ヶ月間のアルバイトで知った大学OBの場合は、もの凄い集中力・こだわり(信念がある)・身体を使ってものを言い、行動する、でした。存在感の度合いが桁違いなのです。④ この難行・苦行1ヶ月間に流した肉体的・精神的汗と一緒に、私の中に存在した非在来種の血と精神が絞り出た、と思います。  サウナで、老廃物や余分な栄養素を汗といっしょに絞り出す。精神的モヤモヤやフラストレーションもいっしょに出てサッパリとした気分になる、というのと同じです。

  もちろん、50年もの昔にそんなことを考えたわけではありません。2024年の今にしてそう断言できるのです。

  完全無欠のお気楽・極楽人間である私ですから、どんな苦行難行のなかにあっても、遊び心というか精神的余裕(フォルトリダンダンシー・フォルトトレラント)というものが機能するはずなのですが、この時ばかりは発狂寸前。発狂しないために、余計な思念や雑念という遊びの部分までもが、理性の下の階層にある本能によって「本能的に」消去され、心の中が真っ白状態。それが、仕事場でも家でも1ヶ月間続いたのですから、1ヶ月間飲まず食わず?で山歩きをするという、阿闍梨の境地だったのです。


  つまり、すべての思念や想念が100%払拭されることで、私の心は完全なるニュートラルの状態(白紙)になった。

  そのあとに自然と湧き出でてくるものこそ、その人間の真性・本性であるのですが、私の場合、さらに数日後の夏合宿でポカスカ殴り合いをすることで、まるで頭と心がシャッフルされたかのようにして、真の自分が湧き出てきた・本当の自分が目覚めた、ということなのです。



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