第5話 天皇のアイドル化

現在の日本の「天皇・皇族」の扱い方は、まるで韓国人アイドル歌手並の扱い方に見える、と感じられるのは私だけではないだろう。

「オイオイ、象徴じゃなかったのかよ。神社の神殿にある三種の神器が、毎週毎月、週刊誌や雑誌のカラー写真でチャラチャラ出てしまったら、ちっともありがたみがないだろう。もっと象徴らしく扱ったらどうだ。」と言いたくなる。

2024年現在の日本のマスコミ屋・政治屋達は全部が韓国系なので、「象徴の扱い方」を知らないのでしょう。何でも安っぽくしてしまうのが韓風なのです。


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   他の日本人がどうであろうが、私という日本人にとって「象徴」となるべき人とは、田中角栄のような純粋縄文人(タイプ)の人間であり、「天皇とか皇室というアイドル」を自分の象徴とは思っていない。


「君は弥生人か縄文人か」梅原猛・中上健次 集英社文庫 という「学術的思惟によって縄文人というものを明らかにしようとする」本があります。

また、生まれついての血(DNA)によって縄文人かどうかを判定する、なんていうアプローチもありますが、どちらも私にとってはバカバカしいこと。


  なんとなれば、いくら頭で(学問的に)縄文人だ外来種だと唱えてみても絵に描いた餅でしかない。また、生化学的に血液を調べてみたとしても、人間、大元(おおもと)を正せば「アダムとイブ ?」だとすれば、大した意味はない。

いくら権威という偶像(崇拝)を忌諱する私でさえ、ヒロヒトの1兆の1兆乗くらいの濃度で、彼と同じ血が混ざっているかもしれない。

100%たったひとつの人種の純血なんてあり得ないはずなのです。

ところが、そんな私が自分のことを、朝鮮から渡ってきた天皇とは隔絶した「在来種純粋日本人である」と公言できるのは、自分でそう信じているから・堅く信じる根拠があるからなのです。


(私の嫌いな(在日)韓国人とは、小学生5人を出刃包丁で刺し殺した在日韓国人や、養老院で19人もの老人を殺した在日韓国人、恋愛関係のもつれから拳銃で女性をめった撃ちにした埼玉県警の警察官のような、弱い者イジメをする在日韓国人のことです。台湾の新聞では彼らの韓国名が記載されていました。)

しかし、単に「信じている」というのでは、どこかの怪しげな新興宗教とおなじではないか、と言われるかもしれませんが、宗教というのは「赤信号、みんなで渡れば恐くない」的な集団催眠・集団での思い込みです。

私の場合、還暦を過ぎてから、以下のような遠因・近因、或いは出来事から「オレは在来種純粋日本人である」と、自分個人で確信するようになった、ということなのです。

① 東京暮らし25年の間に体験した8年間の大自然生活

② 2011年の台湾暮らしから始めた下駄履きの効用

③ ドイツのニュールンベルグで見た白日夢と青森三内丸山縄文遺跡

④ 「ファーストフードではなくスローフード」 

⑤ 在日韓国人経営の町工場でのアルバイト体験(という思い出)

① 東京暮らし25年の間に体験した約8年間の大自然生活。

3歳の時、父の転勤で3年間滞在した八丈島、小学校3年生の時に1年間滞在した大島(元町)、中学2年生の時に半年間滞在した小笠原(父島)。

そして、50年前「満州の原野のような」と、戦地からの帰国者から形容された、東京のど田舎にあった秋川高等学校(全寮制)での3年間(これは自分が好きで行った学校)。

特に、八丈島生活初日、3歳の私がジャングルで遭遇した巨大な赤マムシは「不思議の国のアリス」で主人公をWonderlandへ導くウサギと同じ役割をしてくれた。

アリスの場合、その場で不思議の国へ導かれたのですが、私の場合、これまでの人生60年に渉り、様々な世界(位相と次元)へ導いてくれたかのようです。

中学時代の半年間、当時の全島民数百人という小笠原での大自然生活(テレビもラジオも無し。私の自転車にはブレーキがない。島内どこにも信号がない。)から東京へ戻った私は、規則や校則外れで自由気ままに行動する「不良少年」だったのですが、中学時代のある教師からは「自然児」と呼ばれていました。その美術の先生は「規格からはずれた存在でも受け入れる」芸術家タイプだったのかもしれません。

私が台湾でも台北や高雄といった大都市ではなく、台湾南部の龍泉という小さな村に住み着いたのは、そこが美人の産地とか空気がうまい(台湾島の西半分は、どこも空気が悪い。日本のような澄み切った空を見る日は少ない)という理由ではありません。きれい汚いはべつにして、高層ビルも地下鉄もない田舎町(村)という理由だけです。

② 2011年の台湾暮らしから始めた下駄履きの効用

2月の雪の欧州(チェコ・ハンガリー・北ドイツ)でも、冬の豪雪地帯青森や雪の草津温泉でも下駄。

もともと、台湾南部は雨が多く、靴や靴下が濡れるのが嫌で、また冬でもそれほど寒くないという理由で始めた下駄暮らし。青森では、かっぱ温泉という銭湯へ行くのに往復1時間、「八甲田山死の彷徨」の如く、猛吹雪のなか1メートルもの雪をかき分けてアップダウンの道を歩いたりしました。

京都の僧堂時代、裸足にわらじ履きで雪の中を托鉢に歩いた経験から、2・3時間であれば、素足にサンダルでも雪の中を歩けるということを知っていた、ということもあります。

今や10年以上(の下駄生活)になるのですが、特に冬の寒さのなか、自転車を漕いでガチガチに凍(こご)えた足の感覚というのは、靴では味わえない、なにか大自然と一体化したような気分にさせてくれます。(水木しげるさんの「ゲゲゲの鬼太郎」が履く下駄に霊力があるというのは、水木さん自身の下駄履き生活から得たアイディアなのかもしれません。つまり、下駄でなくてもサンダルでも、とにかく素足の感覚というのがポイントではないか。)

③ 60歳の誕生日、これが最後の海外旅行(片道3時間弱の台湾は海外旅行の範疇に入らない)と出かけた欧州旅行(1・2月)、ドイツのニュールンベルグで見た白日夢。

そして、その5ヶ月後、白昼夢で見た景色を、青森三内丸山縄文遺跡で現実に見たときの衝撃。

これによって、自分の原点は縄文人であると「確信」したのです。

「1万年の昔、オレはここに住んでいた。」と。

④ 「ファーストフードではなくスローフード」

「お茶一杯淹れるにも、簡単・便利ではなく、手間暇かける」

「なにごとも無意識にやるのではなく、そのたびごとに真剣勝負」

というライフスタイル。

冬には暖かい靴下に防寒靴、エアコンの効いた部屋でハンバーガー、移動は新幹線、なんていう都会派スタイルではなく、足(と懐)はいつも寒い(足以外は防寒)、冷暖房はなし。特に寒い冬の晩だけ火鉢に炭火を熾す程度。食べ物はアミノ酸調理加工でない「まずい飯」、移動は格安(夜行)バスや格安航空券、長距離での電車移動も鈍行・普通列車使用。

決して健康にいいという確信があるわけではないし、我慢大会をしているのでもない。八百屋の親父からは「フーテンの寅」なんて呼ばれるくらい「頭がおかしい」と受け取られる身なり・行状ですが、そんな、他人からすれば差別感、私からすれば隔絶感こそが「おれは在来種純粋日本人である」という異次元感覚をboost(後押し)してくれる。

考えようによっては、まさにこれこそ釈迦の言う「天上天下唯我独尊スタイル」の生き方といえるでしょう。


世の中、(公園などで)いきなり女性の前で下半身を曝す人間は「変質者・犯罪者」とされますが、真冬に裸足で下駄履きというのも、それと一線を画すとはいえ、限りなくその範疇に近いと見なされるのは致し方ない、と諦観して(あきらめて)います。

(とはいえ、冬のある日、スーパーで超美人の母娘から「下駄履きなんて風流でいらっしゃいますね」なんて声をかけられるという、嬉しい「変質者気分」を味わえることもありましたが。)

⑤ 上記①から④までの体験やら出来事から、「おれは在来種純粋日本人である」と信じるようになったのですが、それに絶対の確信を与えてくれたのは、時間軸が前後しますが、大学1年生の夏休み1ヶ月間の、外来種日本人(在日韓国人)が経営する工場でのアルバイト体験だったのです。

そこでの狂気ともいえる労働体験を「縄文人としての自分」が思い出すことで、「オレは縄文人かもしれない」が「オレは縄文人である」という確信となったのです。

続く

2024年2月8日

V.3.1

平栗雅人

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