第四十二話 安楽死

そのダンテの声の後、パストラの黒髪と青い目が真っ白な髪と赤へと変わり、全身に黒い模様が浮かび上がった。


そしてパストラが持つ特殊な魔力――。


聖と邪が入り混じった魔力が、完全に闇属性へと変わった。


「完全に自由に動けるのは十年ぶりくらいか。いい気分だ……最高にいい気分だぞ」


パストラ、いやダンテの体が次第に宙へと浮いていく。


その間も大悪魔は、指から手、腕に足と全身を隈なくほぐしていた。


ロトンはゾンビの群れから逃げるのも忘れ、空に浮かぶ戦魔王のことを見上げていた。


この世の終わりのような表情で、まるで氷漬けにでもなったかのように動けずにいる。


「せ、戦魔王ダンテが、復活したのか……?」


目の前の異端術師、悪魔、ゾンビの群れなど、目の前にあるすべての脅威を忘れ、ロトンは恐怖していた。


なぜならば、彼は知っているからだ。


今から十年前に――。


当時まだ赤ん坊だったパストラの体で、師である英雄の異端審問官ファノと四十日間にも及ぶ死闘を繰り広げていた場に、ロトンもまたいたのだ。


彼は戦魔王の恐ろしさなら、聖グレイル教会内で誰よりも知っている。


「おい、そこのお前。あの男の弟子だと言っていたな。見覚えがある」


ダンテに声をかけられても、ロトンは何も答えられなかった。


傍にいるだけで冷や汗が止まらず、呼吸すらも苦しそうにしている。


そんなロトンに、ダンテは言葉を続けた。


「魔力は纏えるか? できんのなら、今すぐすべての魔力を全身に行き渡らせろ。司祭ならそれぐらいできるだろう」


「な、何を言って……?」


「今のオレは人間を殺せん。だから言う通りにしろ」


ダンテとロトンの会話を聞いていたジュデッカは、慌ててメナンドに声をかけた。


すぐに戦魔王が言ったこと実行しろ。


さもなければ死ぬことになる。


普段の相手を小馬鹿にする態度から考えられないほど怯え、ジュデッカは手と足の指先から頭のてっぺんすべてに魔力を行き渡らせた。


メナンドは不可解そうにしていたが、ジュデッカのあまりの動揺ぶりから相棒の悪魔の言う通りにする。


「術師のほうも問題なさそうだな。さて、十年ぶりだぞ。魔力を解放するのはッ!」


ダンテが歓喜の声を上げた後、その体から放たれた光が魔法陣へと変わり周囲を覆っていく。


その魔法陣の範囲は先ほどのメナンドの魔術よりも広く、まるですべてを空から包むかのようだった。


放った魔法陣内にその場にいたすべての者が入るのを確認したダンテは、両手のてのひらを合わせて指を複雑に絡ませた。


そして口角を上げ、静かに口を開く。


「固有魔術、時。安楽死リリーブド


魔法陣の輝きが禍々しいものへと変化すると、陣内にいたロワ、農民――ゾンビの群れに異常が起きた。


ある者は若返り、またある者は年老いていく。


若返った者たちは赤ん坊になると、そのまま綺麗さっぱり消え去った。


一方で年老いていった者らは肉体が枯れ木のようになり、灰となって消滅している。


誰も痛みすら感じることなく、ほんの数秒でそのようなことに起きた。


だがロトン、ジュデッカ、メナンドなどにその現象は起きていない。


そのことから察するに、どうやら魔力を体全体に巡らせることで、ダンテの魔術を防げると考えられる。


パストラとの契約で“人間を殺せない” “残るような傷をつけることができない”ダンテだからこそ、先にロトンに忠告をしたのだろう。


さらにジュデッカが自分の魔術を知っているとわかっていたので、燕尾服を着た悪魔がメナンドに伝え、必ず同じ身を守ると確信していたのだ。


ダンテは宙から地面へと着地すると、満足そうに笑みを浮かべて言う。


「契約は守った。さあ小僧、体を返すぞ」


こうしてこの場にいる人間を殺さずに、ゾンビの群れは一掃された。


ダンテの体が黒髪碧眼――パストラへと戻っていく。


「頼んでない……頼んでないよぉ……こんなのぉぉぉッ!」


無人の広野となった光景を見た少年は、その場で両膝をついていた。


目から涙が溢れ、周囲を見回してまぶたに焼き付いていた先ほどの光景を思い出す。


互いの肉を喰らい合い、ついにはこちらへと襲いかかろうとしていたパルマコ高原の農民たちを。


次第に腐敗していき、殺してほしいという呻き声を出した友の顔を。


ロワはパストラにとって、初めてできた同年齢の友人だった。


付き合いこそ短いが、一見して正反対に見えた二人はとても気が合った。


その証拠に、パストラは戦闘へ入る最後までロワに戻って来てと叫び、ロワもまた必ずお前を守るからとパストラを仲間に誘っていた。


だが、そんな友はもういない。


戦魔王ダンテの魔術によって、この世から完全に消え去ったのだ。


今のパストラが、涙で前が見えないほど泣くことしかできないのも無理はない。


パルマコ高原の農民たちを――。


そしてなによりもロワのことを――。


自分は救えなかったと、そればかりが頭の中で連呼されている。


それは無力感、罪悪感、絶望感――ありとあらゆる負の感情が、パストラを支配していることに他ならなかった。


《敵が目の前にいながら、ずっとそのままでいるつもりか?》


そんな地面に屈しているパストラに、ダンテが呆れながら声をかけた。

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