第十九話 宗教都市アンシャジーム
――アンシャジームの朝は早い。
陽が出るのと同じくらいに街の者たちは目を覚まし、各々が仕事に向けて動き出す。
皆、たとえ客が来なかろうが店を開き、食事の前と仕事に入る前の祈りは欠かさない。
これも
聖グレイル教会の教えは、このゴルゴダ大陸では国教として広く知られているが、さすがは教会の総本山――宗教都市アンシャジームならではの光景だろう。
誰もが聖グレイル教会の掲げる神に祈り、そして聖職者を敬っている。
「うーん、どうも着慣れないです……」
「でも似合ってるよ。羊飼いの格好も良かったけど」
そんな都市で、パストラはリーガンと暮らしていた。
彼はダンテと交わした契約の内容をすべてリーガンとユダに伝え、その日からもう数日が経っていた。
パストラが今着ている服は、リーガンやユダなど聖グレイル教会の聖職者が着る祭服だ。
聖グレイル教会の祭服は、立襟の上下黒のもので着る人間によって多少のアレンジが加えられているが、基本的には似たようなものが多いため、見ればすぐに聖職者だとわかる。
そのため一般人が上下黒の服を身に付けることは禁止されており、もし着ていれば詐欺罪で牢へと送られてしまう。
それでも司祭クラスの人間は服装が自由になり、より位が高い者はローブを纏っている者ばかりだ(ユダは三聖人でありながらも通常の祭服を着ているが)。
「あの……リーガンさん」
「うん? なにパストラ?」
「本当に大丈夫なんでしょうか……」
パストラが不安そうに訊ねた。
彼が心配しているのは、自分の中にいる戦魔王ダンテのことだ。
すべてを話した後――。
ユダは突然、大笑いし始めてダンテを祓わないことを誓い、教会の人間たちにも手を出させないと言った。
一体なにがおかしくて笑ったのかも、大悪魔をそのままにしておく理由も話はしなかったが、ともかく今日がパストラの初の教会への顔出しだった。
「大丈夫だよ。ユダ先生は性格に問題ある人だけど、これまでに勘違いで異端者にされた人たちを何人、何十人と救ってきたんだから」
リーガンはパストラを安心させるためにそう言ったが、その内心では不安しかなかった。
聖グレイル教会の上層部が決めたことは、基本的に覆されない。
たとえ上級貴族や王族、一国の王でも逆らうことはできず、教会が黒といえばそれは白くとも黒になる。
それにすでに悪魔憑きのパストラを、異端審問官に推挙している時点で無茶なことをしているのだ。
上層部としては捕らえて問答無用で火あぶりの刑にしたいところを救い、さらに上の決定だろう戦魔王ダンテを祓うのを止めさせるなんて本当に可能なのか。
たしかにファノが復活する話を信用してもらえれば、多少は上の人間たちの印象も変わるだろう。
だが正直いってそれでも所詮、悪魔の口にしていることだ。
中でも一番の問題は、すでにパストラが悪魔と契約しているということ。
普通に考えてその行為は、異端者、異教徒、異端術師などがやっている、聖グレイル教会がもっとも軽蔑している
とてもじゃないが、まかり通るとは思えない。
「でもまあ、あの人……だからね……」
小声でリーガンがそう言ったとき、彼女たちは聖グレイル教会の大聖堂へとたどり着いていた。
王族が住む城よりも強固そうな無骨な壁に、巨人が出入りするかのような大きな扉を見て驚くパストラの前へ歩き、リーガンはその扉を開けて中へと入る。
そこは大広間になっており、二人と同じ上下黒い祭服を着た者たちが、ひっきりなしに歩き回っていた。
「綺麗ですね。すごいや……」
パストラは凄まじく高い天井に見える絵画やステンドグラスを見て、思わず声を出してしまっていた。
それも仕方がない。
彼は生まれてからずっと平原地帯で暮らしていた羊飼い。
こういった華やかな芸術やガラス工芸とは無縁の世界にいた人間だ。
ましてやパストラは十歳というまだ子どもといっていい年齢というのもある。
反応しないほうがおかしいだろう。
そんなパストラを見て、聖堂内を歩いていた聖職者たちは一瞥していたが、すぐに視線をそらしてヒソヒソと話をしては険しい顔になっていた。
「ハハハ……。やっぱり歓迎されてないみたいですね……」
呆れながらも悲しそうな声を出したパストラ。
リーガンはグッと拳を強く握ると、そんなパストラの手を握って歩き出した。
「あんたのことはもう誰もが知っちゃってるみたいだけど、そんなの気にしなくていいから。私もユダ先生もいるし、あとユニアだって――」
「気にしてないですよ。ただ、僕のせいでリーガンさんたちまで避けられた悪いなって思って……」
パストラはリーガンに向かって、言葉を遮るかのように言った。
申し訳なさそうに、まるで何かとんでもなく悪いことでもしたかのようにだ。
リーガンはそれが許せない。
そんな風に思わせるこの状態に、彼女は怒りすら覚えていた。
「そんな心配はいらないよ。私は元々この教会の人たちが嫌いだから。ただ自分にも人を救える仕事ができたらいいなって、聖職者になっただけだから」
そうぶっきらぼうに答え、リーガンはドスドスと地面を踏みつけて歩いて行く。
そして、彼女は思う。
パストラは何も罪を犯してなどいない。
むしろ慈悲を与えるべき存在だ。
異端術師だった両親に供物にされ、その後は大悪魔の依り代となって辺境の地で慎ましい生活を送っていた。
さらに不幸はそこで止まらず、望まない経歴のせいで教会からも狙われ、唯一の希望ともいうべき育ての親――恩人を見ず知らずの悪魔に殺された。
あまりにも理不尽。
あまりにも不条理。
この世に救いなどあるのかと思ってしまう。
何よりも怒りを覚えるのは、そんな少年に対しての聖職者たちの態度だ。
別に無理に優しくしろとは言わない。
大悪魔の魂を体に飼っている悪魔憑きに少年など、たしかに関わりたくないというのはわかる。
だがしかし、それでもその化け物を見るような視線と、明らかな侮蔑の言葉を吐いていそうな表情を少年に向けるな。
ここはゴルゴダ大陸の国教に定められた聖グレイル教会の総本山だろう。
リーガンはパストラにそんなことを言わせた聖グレイル教会の人間に怒りを感じながら、視線を向けてくる者らを次々と睨み返して進んだ。
そして、目的地である聖堂内にある小部屋へと入っていく。
「ああ、遅かったね。迷ったのかと思ったよ」
そこにはやはりというべきか、聖グレイル教会が誇る三聖人の一人――ユダがいた。
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