第十一話 聖人の力

パストラは、燕尾服を着た悪魔から父の亡骸を取り戻すと、その体にすがりついた。


泣き叫びながら動かなくなったファノを涙で濡らし、周囲のことなど気にならないほどだ。


「お父さんヤダよッ! 死なないで! 僕を置いていかないでッ!」


育ての親であるファノがいうように――。


パストラは大人びていて礼儀正しく、けして手のかからない子である。


それでいて容姿や種族、身分や性別、年齢など関係なく誰にでも優しく、身体能力も高く物覚えもいい。


さらにそんな自分の才能に胡坐あぐらをかくことなく努力もできる、大人ですら嫉妬するほどの完璧といっていい少年だ。


だが誰が見ても欠点の見えないパストラだが、今は年相応に子どもが見せる泣き顔で、胸を貫かれた父の体を掴んで離さない。


「痛いなぁ。子どものくせに魔力を纏えるなんて、もしかしてダンテ……お前がやってるの?」


ジュデッカが不愉快そうに立ち上がると、何事もなかったかのようにパストラへと接近した。


それまで他人の目など気にせずに泣きじゃくっていたパストラだったが、父の仇の声を聞き、再び拳を振り上げる。


しかしジュデッカはパストラの小さな体を両手で押さえ、少年に自分の顔を突きつけて口を開いた。


「マジで封印されちゃってるの? 中から声すら発せないレベル? そうなるとここへ来たもう一つの目的がなくなっちゃうなぁ」


「離せ離せ離せぇぇぇッ! 殺してやる! お前は絶対に僕が殺してやるからなぁぁぁッ!」


「……まあいっか、一番やりたかったことはできたし。うん、ダンテが起きないならやっぱお前はいらないね」


パストラを押さえ込んでいたジュデッカの両腕が燃え盛り、少年の体を焼き尽くす。


それは一瞬の出来事で、パストラは真っ黒に焼け焦げてその場に放り捨てられた。


「嘘……パストラまで……? こんなのって……こんなのって……うわぁぁぁッ!」


リーガンが声を張り上げ、ジュデッカへと飛びかかったが、彼女の実力では燕尾服を着た悪魔に触れることさえできなかった。


あっという間に倒されて足で踏みつけられ、地面に押さえつけられてしまう。


「うるさいなぁ。あぁ~、ボクは女の喚き声が嫌いなんだよ。どうせ騒ぐなら泣いたり悲鳴を上げたりして楽しませてもらいたいもんだね」


頭上から聞こえる悪魔の言葉。


リーガンは自分の非力さに嘆きながら暴れるが、ジュデッカの足を退かすどころから動くことすらできなかった。


そんな彼女を見下ろしながら、ジュデッカは言う。


「ファノ以外は殺すつもりなかったけど。もういいや、耳障りだからっちゃおう」


ジュデッカがリーガンに止めを刺そうとしたとき――。


突然、凄まじい風が吹き出した。


燕尾服を着た悪魔がなんだと周囲を見回すと、目の前にはピンク色の髪をした女ユニアが炎の檻から出てきており、さらには燃え盛る平原の空に男の姿が映った。


女のほうは炎の檻から自力で脱出したのだろう。


だがあの男は何者だと、ジュデッカは小首を傾げる。


「遅くなったね、リーガン。今助けるから」


金髪のショートカットに碧眼――青い瞳をしている端正な顔をした男――上下黒の服を着ているところからして異端審問官であることはわかるが、リーガン、ユニア女二人とは違った雰囲気を感じる。


いや、違う。


これは雰囲気ではなく、明らかな嫌悪だ。


ジュデッカは男から覚える不快感を隠すことなく、敵意むき出しで男を睨みつけた。


「なんだよ、お前。死にたくないなら邪魔しないでくれる? それとも自殺志願者かな?」


「ユ、ユダ先生……」


「なッ!?」


足元で這いつくばっているリーガンが男の名を口にした。


その名を聞いたジュデッカは、これまでの飄々とした態度が一変。


冷や汗を掻き、顔からも余裕が消える。


「聖グレイル教会の三聖人ユダか……。なるほど、そりゃ嫌な感じがして当然だ」


「ご紹介ありがとう、悪魔くん。とりあえずその子を解放してくれ」


「はッ? 頭おかしいんじゃないの? ボクは悪魔だよ。この女を人質にして何もできないお前を殺すに決まって――ッ!」


「滅消魔術、四大精霊の突破エレメンタル ブレイク


ジュデッカの言葉を遮り、金髪碧眼の男――ユダが術を唱えた。


人差し指と中指をそろえて立たせながら詠唱すると、その平原一体すべてが魔法陣に覆われていく。


これはなんだと言わんばかりにジュデッカが周囲を警戒していると、気が付けば両手両足に凄まじい激痛が走った。


目で見てみると、右腕はいつの間にか付いていた火に焼かれて灰になり、左腕は風の刃によって斬り飛ばされていた。


さらには右足が地面から生えた土の腕にもぎ取られ、左足はまとわりついていた水に水圧よってねじ切られている。


「なッ!? なんだよこれッ!? 人間のくせにここまでのことができるのかッ!? こんなのまるで神じゃないかッ!?」


「聖人なんだから当たり前でしょ? 悪魔のくせにそんなことも知らなかったのか」


いつの間にか近づいていたユダは、四肢を失ったユダの頭を掴んだ。


あれほど強かった悪魔がまるで相手にならない。


これが聖人の力かとジュデッカは、嫌な感じを覚えたときにすぐに逃げるべきだったと激しく後悔していた。


この男は全盛期のファノ――英雄の異端審問官以上じゃないかと。


「ユダ先生! パストラを! 彼を救ってくださいッ!」


戦いが終わったかと思われたが、リーガンの悲鳴のような声はまだ止まらなかった。

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