第十話 英雄の最後

そして地面に両膝をついて涙を流すパストラのことを、ゆっくりと抱きしめる。


「これからお前には辛いことばかり起こるだろう。だけど、他人に惑わされて腐るなよ。お前が強くて優しいことは、大勢の連中が何を言おうが俺が誰よりも知っている」


「こ、こんなときになにを……?」


「そんなお前だから心配はしていないがな。これからも強く優しく生きてくれ」


轟々と燃え盛る平原で、パストラの耳元で囁くようにそう言ったファノは、全身に魔力を纏った。


しかし、それはとても戦魔王ダンテと戦った英雄とは思えないほど弱々しく、まるで風に吹かれれば消えてしまうロウソクの灯のようだった。


そんな微弱な魔力を纏って立ち上がったファノは、倒れているリーガンに向かって大声を出す。


「リーガン! 最後まで悪いな、こんなことに付き合わせてしまって! 迷惑ついでに頼みたいことがある!」


「いきなり叫んだかと思えばなに? 遺言でもするつもり? ククク……クッハハハッ! 滑稽だねぇ、英雄ともあろう男がさぁぁぁッ!」


ファノの切迫した叫び声を聞き、ジュデッカは何が面白いのか腹を抱えて笑っていた。


その場で動けなくなるほど笑っている様子からして、余程ファノに恨みがあったのか。


いや、悪魔とは元来そういうものなのだろう。


これまでにパストラの中にいるダンテに会いに来た悪魔たちが異質だったのだ。


泣く息子を背に、謝罪と頼みごとをする無力な男を嘲笑うのは、実に悪魔らしい態度だ。


「パストラは手のかからない子だ。だが、それだけに心配になるんだよ……。あんたなら信用できる。勝手ばかり言って悪いが、息子のことを頼む」


「ファノさんッ!?」


まさか死ぬつもりじゃ……?


と、リーガンは思った。


ここで痛みを堪えて立ち上がり、ジュデッカを倒すこと――いや、せめて皆が逃げる時間を稼げる強さが自分にあれば……。


自分は一体何をしに、パストラとファノ二人のところへ来たんだ。


ジュデッカの言う通りだ。


自分は異端審問官失格。


それを証拠にあの燕尾服を着た悪魔は、ユニアのことは警戒していても、自分のことなどまるで相手にしていなかった。


ジュデッカからは頭数にすら入れられていない。


「なんとかしなきゃ……私が……私がぁぁぁッ!」


歯を食いしばって立ち上がろうとしても、体はリーガンの言うことを聞かない。


それでも彼女は流れそうな涙を堪え、再び召喚の魔術を唱えようとすると――。


「これはッ!?」


突然飛んできた光の縄がリーガンの体へと巻き付き、彼女を引っ張り上げた。


その先にはファノが光の縄を操っており、リーガンはパストラの前へと放られる。


それからリーガンはなんとか立ち上がると、ファノに声をかけようとした。


だが彼はすでにジュデッカのほうへと移動しており、リーガンを一目見て頷くだけだった。


それを見てファノの意図を察した彼女は、残った力でパストラを抱えてその場からただ走る。


「なにをするんですかリーガンさんッ!? お父さんが戦おうとしているのに、どうしてこんなことッ!?」


ハッと我に返ったパストラを無視し、リーガンは駆けながらユニアへと叫ぶ。


「ユニア! そっちは自分でなんとかできそう!?」


「私のことは気にせずに早くここから離れてください! 少々手間取りますが、この程度の魔術なら自力で解けます!」


「悪いけどお言葉に甘えさせてもらうね! つーか私なんかじゃ助ける余裕なんてないから!」


ファノとユニアを置いてその場から駆け出していくリーガン。


しかし当然パストラが彼女に抱えられたままでいるはずもなく、黒髪碧眼の少年は、リーガンの手を振り払って再び父とジュデッカのいる場所へと走り出してしまった。


それを止めようと追いかけるが、魔力を纏っているパストラの速さに追いつけるはずもなく、リーガンは逃げる役目も果たせないのかと、目頭が熱くなるのも止められない。


「なんか戻って来てるけど、どうする? 先にお前からっちゃってもいいけどさ。たとえ本当の息子じゃなくても、自分の子が先に死んだほうが面白い顔を見せてくれそうだよね」


「来るなパストラ! 頼むから逃げてくれッ!」


「無視しないでよ。見ての通りボクって繊細なんだからさ。傷ついちゃうだろ!」


向かい合っていたファノがジュデッカを無視して叫ぶと、燕尾服を着た悪魔が炎の塊――火の玉を放った。


それは目の前にいたファノを狙ったものではなく、向かってきていたパストラへと放たれたものだった。


パストラは全身に魔力を覆い、向かってきた火の玉を殴り飛ばしたが、次の瞬間――目の前にジュデッカがいた。


ジュデッカはすでに拳を振り上げている。


すべてを焼き尽くすマグマのような腕を振り上げ、火の玉を放って隙ができたパストラの心臓を狙う。


「ダンテと共に死ね。ファノの息子ッ!」


もはや誰の目から見てもパストラが助かるはずもなかったが、奇跡が起きたのか。


燃え上る拳で貫かれたのはファノだった。


「ぐはッ!?」


「転移魔術とは味な真似するね。しかも息子の身代わりになるなんて泣かせるよ」


「パストラ……俺はお前と会えて……幸せ……だ……った……」


ファノは立ち尽くした状態で息を引き取った。


貫かれた体から流れる血が喰らった炎の拳の熱で蒸発し、赤い霧に包まれたまま、ただ残したこの子のことだけを考えて。


そんな英雄の最後を見たリーガンは、ついに気力も底をついてしまい、その場で膝から崩れ落ちる。


ユニアも炎の檻に閉じ込められた状態で、一刻も早く脱出しようとさらに焦り始めていた。


「クッハハハ! やっぱお前は最後まで聖職者だったよ、ファノッ! 自らを犠牲にして他人を、血の繋がらない息子を助けるなんてさ! 感動し過ぎて笑いが止まらないやッ!」


ジュデッカは死んでも立った状態でいるファノを見て、歓喜に満ち溢れていた。


しまいにはその場で小躍りを始め、動かなくなった英雄の死体を抱いてダンスし出す始末だ。


悪魔の笑い声が燃え盛る平原を響く中――。


突然、浮かれていたジュデッカの体が吹き飛ばされる。


「お父さんに触るな!」


それは、ファノが立っていた場所と入れ替わったパストラの一撃だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る