第九話 火の海

それから燕尾服の悪魔がダンテが起きるまで待つことになり、パストラたちは一度ファノやヒツジの群れがいる場所へと戻ることを決める。


その移動中にもパストラと悪魔は気さくに世間話などをしなが並んで歩き、リーガンはユニアと共に彼らの後をついていった。


リーガンはユニアがすぐにでも悪魔に攻撃すると思ったが、どうやら彼女も自分と同じく意思疎通ができる悪魔の存在を受け入れたのだと思っていたが――。


「油断してはいけませんよ。あれは所詮、悪魔なんですから」


ユニアは鋭い視線で前を歩く悪魔の背中を睨みつけており、警戒し続けていた。


先ほどのような凄まじい魔力はもう放っていないが、悪魔が傍にいるというだけで落ち着かない様子だ。


それは無理もないことだった。


リーガン自身もまだ信じられない。


悪魔が人と仲良くしているなど、けしてあり得ないことなのだ。


だがパストラがいうには、これまでも何度もあったことだというので受け入れるしかない。


「まあ、パストラよりもあんたのほうが正しいとは思うよ。でもさ、いいの?」


「何がですか?」


「いや、あんたは教会の命令でパストラを捕まえに来たんでしょ? それがあの悪魔が現れたせいでうやむやになっちゃってさ」


「うやむやになどなっていません。私は必ず彼を連れて帰り、その体に取り憑いている悪魔を祓います。ただ今は事を荒立てるよりも優先すべきことがある、それだけのことです」


そう言いながらユニアは、荷物の中にあった傷薬をリーガンに渡してきた。


自分が大ケガを負わせたのは彼女なので、その行為にリーガンは複雑な気持ちになったが、たしかに今は優先すべきことがある、そう思うようにした。


その調子でしばらく歩くと、緑の平原にいくつもある白い塊が見えてきた。


パストラとファノが飼っているヒツジの群れだ。


「見えてきましたよ。あそこでお茶にしましょう。ところで、まだ自己紹介がまだでしたね。僕はパストラと言います」


「ご丁寧にどうも。ボクはジュデッカ」


パストラがそう言うと、燕尾服の悪魔が笑みを深めて答えた。


後ろから会話をしているパストラとジュデッカと名乗った悪魔を見ていたリーガンは、違和感を覚えながらもただついていく。


そして、ファノやヒツジの群れの前へとたどり着き、パストラが父に声をかける。


「お父さん、ごめんなさい。急にダンテのお友だちが来ちゃって、お茶を出したらすぐにまた行くから」


パストラはそう言いながら、置いてあった荷物から飲み物を出そうとしていた。


するとファノが家屋を畳んでいる体勢から振り返り、突然、声を張り上げる。


「全員そいつから離れろ!」


「えッ?」


だだっ広い平原にドスの効いた声が響き渡った次の瞬間――。


周囲の草が燃え上がった。


その火はパストラたちの周りにいたヒツジたちにも燃え広がり、あっという間に焼き尽くされていく。


「なにこれ……? いきなりどうしてこんな……ッ!?」


ヒツジたちの悲鳴を聞いたパストラは、慌ててその豊かな毛についた火を消そうと近寄ろうとした。


だがファノが彼の体を抱えて、ヒツジの群れや燕尾服の悪魔から距離を取る。


「久しぶりだね、ファノ。ボクのこと覚えてる?」


「忘れるはずもない。しかし、魔力を消す技術を覚えていたとはな。目で見るまで気がつけなかった……」


「ククク、たった十年でずいぶん老け込んだね。しかも魔力のほとんどを失ってるって話も本当だったみたいだ。でも昔のあんたなら、たとえどんな状態でも気づきそうなもんだけど。やっぱ羊飼いなんかやってたから腑抜けちゃったのかい?」


燕尾服の悪魔ジュデッカはそうファノに言いながら、さらに炎を放ち始めた。


周囲はあっという間に火の海となり、一面を覆い尽くしていた草やヒツジの群れが灰へと変わっていく。


その光景はまるで地獄だった。


ファノの助言でジュデッカから距離を取っていたリーガンは顔をしかめ、一方でユニアのほうは攻撃態勢に入っていた。


「こうなるってわかってましたよ。だから悪魔は信用できない」


「ピンク髪のお姉さんがずっとボクを警戒してたのはわかってたよ。だから、こんな仕掛けを用意してたんだよね」


飛びかかってきたユニアに向かって、ジュデッカはパチンと指を鳴らした。


すると彼女の足元に魔法陣が現れ、その周囲を炎が囲い始めた。


それはまるで火の檻だ。


ユニアは炎でできた鉄格子を魔力で吹き飛ばそうとしたが上手くはいかず、彼女は燃える檻に閉じ込められてしまう。


「ユニア!? くッ!? なら私がッ!」


リーガンが遅れて飛び出し、両手の手のひらを重ねながら叫ぶ。


「召喚術式……いでよ、我が友!」


彼女の背後に魔法陣が現れ、そこからニワトリの頭部、竜の翼、蛇の尾、黄色い羽毛を持つ怪鳥――コカトリスが飛び出してきた。


ユニアとの戦いで出した彼女が持つ召喚の魔術だ。


「同時に行くよ、トリスッ!」


リーガンはコカトリスことトリスに指示を出しながら、ジュデッカへ飛びかかった。


左右から囲むように襲いかかり、仕留めようと拳を握る。


「せっかく楽しんでいるのに、邪魔しないでくれる」


だがジュデッカは、彼女のことなどまるで相手にしていなかった。


同時に向かってきたリーガンの腕一本で振り払い、トリスの蛇の尾を掴んで空へと放り投げる。


炎を帯びた腕で払われたリーガンは、先ほどのユニアとの戦いで満身創痍になっていたのもあって、たった一撃でその場に屈した。


さらには彼女の体についた火がその身を焦がし、激しくのたうち回っている状態だ。


そしてリーガンの集中が途切れたせいで、空へと放られたコカトリスの姿が光の粒子となって飛散していった。


「あらあら、払われただけで召喚術を止めちゃうなんてダメだね。お姉さんは異端審問官を辞めたほうがいいよ。ずっと教会の連中と戦ってきたボクが言うんだ、間違いない」


「くぅ……ッ!」


再び立ち上がろうとするリーガンを見下ろし、ニヤリと口角を上げたジュデッカは、次にパストラを抱えているファノのほうを向く。


それから燕尾服から凄まじい魔力が放たれ、やがてそれが炎へと変わり、ゆっくりと歩を進め出した。


対するファノはパストラを地面に下ろすと、放心状態の息子に声をかける。


「今のうちに逃げろ、パストラ。奴の狙いは俺だ」


「でもお父さん……みんな……みんなやられちゃって……僕のせいで……」


弱々しく返事をしたパストラ。


その表情と声色からは、彼が自責の念に押し潰されそうになっていることがわかるものだった。


古い友人に会いに来たと騙され、ファノやヒツジたちのところへ悪魔を連れてきてしまったのは自分だと、パストラは、目の前で起きてしまったことを処理できていなさそうだ。


「お前のせいじゃない。悪魔の中でも奴は特に邪悪な部類に入る。それを教えていなかった俺の責任だ」


「お父さん……でも……でもぉ……」


ファノは泣き出してしまった息子に対して、満面の笑みを浮かべた。

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