第八話 燕尾服の悪魔

身が震え、冷や汗が出るほどの闇の力。


リーガンはこれが悪魔が持つ魔力だとすぐに理解した。


慌てて魔力を感じるほうへ顔を向けると、空からこちらへ飛んでくる者の姿が見えた。


当然というべきか。


戦っていたパストラとユニアも近寄ってくる邪気を感じ、戦闘を中断して空を見上げる。


「なんだよ、もう。噂を聞いて来てみれば、異端審問官が二人もいるじゃないか」


邪悪な魔力を放っていた者は、背中から生やした漆黒の翼をバサバサと動かし、パストラたちの傍へと着地する。


その姿はワインレッドの燕尾服に身を包み、銀色の髪に金眼きんめをした優男風の顔に、尖った耳、頭に生えた二本の角が見える。


見た目からして悪魔だとわかる容姿だ。


ユニアが現れた悪魔へと体を向け、戦闘態勢に入る。


リーガンも痛む体を起こし、先ほど見せた召喚の魔術――両手の手のひらを合わせ、いつでも幻獣を呼び出せる姿勢を取った。


だがそんな彼女たちとは違い、パストラは落ち着き払っていた。


何よりも彼は笑みを浮かべており、親し気に悪魔に向かって声をかける。


「あの、もしかしてダンテに会いに来たんですか?」


「ちょっとパストラ!? 相手は悪魔だよ! 迂闊に近づいちゃダメだって!」


声を荒げたリーガンのほうを向いたパストラは、なんで自分が怒鳴られているのかわからないといった表情でおり、それからポンッと手を打ち鳴らした。


これにはさすがのユニアも不可解そうにしていたが、パストラは穏やかな表情のままリーガンに返事をする。


「そういえばリーガンさんは異端審問官でしたよね。お仕事だから警戒しちゃうのもしょうがないけど、大丈夫ですよ」


「悪魔が現れたってのに何が大丈夫なんだよ! いいからこっちへ来て!」


「だから大丈夫ですってば。たまにいるんですよ。悪魔の友だちが僕というか、中にいる悪魔に会いに来ることが」


なんでもパストラがいうには、これまで彼の体に封印された悪魔の友人が訪ねて来たことがるらしく、きっと現れた悪魔もそういう類だろうとのことだ。


そんな人間みたいなことをするのかとリーガンは不可解に思ったが、長い間ずっと悪魔憑きもとい、体に悪魔を住まわせながら生きてきた少年がそういうのならそう思うしかなかった。


しかし、こちらへ向かってくる悪魔の放つ魔力は、とても古い友人に会いに来たという感じではない。


あれは悪意に満ち溢れた、リーガンたち異端審問官がよく知る悪魔そのものだ。


「おーい、ダンテ。わざわざ会いに来てやったよ」


ある程度の距離が縮まると、ワインレッドの燕尾服を着た悪魔が声をかけてきた。


たしかにいかにも馴染みといった言い回しで、パストラの中にいる悪魔とは気さくな関係のように見えた。


だがリーガンとユニアの顔は強張った。


二人は先ほどのことも忘れて、互いに顔を見合わせながら声をかけ合い始める。


「ちょっと待ってよ……。ダンテって……もしかしてあのダンテのこと……?」


「他にいないでしょうね……。しかし、まさかのダンテ……。いくら神が与えた愛の試練とはいえ、運命の人に憑いている悪魔が戦魔王だったのには、さすがの私でも驚きを隠せません……」


その理由は、燕尾服を着た悪魔が口にした悪魔の名前のせいだった。


戦魔王ダンテ。


今から数百年前に悪魔の軍団を従え、世界中を暴れ回った最古の大悪魔だ。


その後に高名な聖職者の一団によって封印されたが、十年前に名も無き異端者によって召喚され、再び人々を恐怖に陥れた。


しかし、当時まだ聖グレイル教会にいたファノによって倒された。


ファノが英雄と呼ばれるようになったのは、彼がたった一人で戦魔王と呼ばれた悪魔と戦い、その圧倒的な力から世界を守ったからだ。


だが実際はまだ戦魔王ダンテは現世にいて、とある少年の体の中で眠っている。


このゴルゴダ大陸で悪魔に取り憑かれてしまった者はめずらしくないが、ダンテほどの大悪魔と共生している人間などいない。


そのような理由から、リーガンとユニアが異端審問官として悪魔や異教徒などに多く関わっているとはいえ、この事実には衝撃を受けて当然だった。


言葉を失っている彼女たちをよそに、ワインレッド色の燕尾服を着た悪魔はパストラに――彼の中にいるダンテに声をかけ続ける。


「おいおい寝てるの? 返事くらいしなよ」


「わざわざ来てもらったのにごめんなさい、悪魔さん。ダンテは一日の大半は眠っているので、よかったら起きるまでお茶でも飲んで待ちませんか?」


パストラは何も変わらない。


明らかに邪悪な魔力を放ち、一目で人間ではないとわかる者であっても、普段通りの彼が見せる丁寧で物腰の柔らかい対応をしている。


そんなパストラを見たリーガンは、こういうものなのかと、自分の中の常識が音を立てて崩れていた。


それでもそれは悪いことではなく、悪魔でもまともに会話ができる者がいることに、彼女はむしろ喜びを感じている。


「お茶かぁ……。いいね、それ。喜んでいただくよ」


燕尾服の悪魔は、そう答えて笑みを見せた。


リーガンはその悪魔の笑顔を見て、どうしてだが背筋が凍りつくような感覚を覚えた。

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