第一話 羊飼いの少年と赤毛の審問官

――戦魔王ダンテの騒動から十年後。


その数年の間、ゴルゴダ大陸では異端術師と呼ばれる者たちが現れ、それぞれ活動を始めていた。


ゴルゴダ大陸は昔から悪魔や魔術と縁が深く、住む者たちは数百年その脅威にさらされている状態だ。


だがそんな異端術師や悪魔から人々を守る者が、この大陸にいる。


それは大陸各地にある王国や帝国などでなく、すべての国で定められた国教――聖グレイル教会によってだ。


聖グレイル教会には悪魔の持つ闇属性の魔術ではなく、聖属性の魔術を使う者たちが集まっている。


その中でも特に戦闘に特化した者たちは異端審問官に選ばれ、異端術師や悪魔の噂を聞きつければすぐに派遣され、これに対処していた。


「うぅ、歩いても歩いても草しかない……」


草木に生い茂る平原で、独り言を呟いた女性リーガン。


彼女は聖グレイル教会の異端審問官の一人で、上司から命を受けてこの辺境の平原へとやってきていた。


その目的は、十年前に戦魔王ダンテを倒して国を救った英雄の異端審問官――ファノへ手紙を届けるというものだった。


しかし無事に地図で示された場所へやってきたまではよかったが、数日歩き続けても人っ子一人見当たらない。


この地域にはいくつか村や町があり、リーガンはそこでファノのことを聞き回ったが、どうやら彼は羊飼いをしながら平原を移動し続けているようだった。


一体いつになったら見つけることができるのか。


リーガンは長い赤い髪を揺らしながら、紫眼しがんの瞳孔を開いて叫ぶ。


「あぁぁぁもうッ! ユダさんのバカッ! こんな面倒な仕事を私に押しつけやがってッ!」


ユダとはリーガンの上司であり後見人でもある男性で、聖グレイル教会で問題のある聖職者として知られている人物だ。


問題のある人物とはいっても、聖属性の魔術が使われるようになってから現在に至るまでに、もはや彼を超える異端審問官はいないと呼ばれているほどの実力者でもある。


さらに聖グレイル教会の異端審問官には、その中でも特別に聖人の称号を与えられる者が三人おり、ユダはその聖人の一人でさらにその中でも別格だと言われている。


そんな人物なのだが、素行の悪さから教皇や大司教に好かれておらず、実力のわりに地位はあまり高くない。


「手紙を届けるなんて審問官の仕事じゃないよッ!」


まだまだ声を張り上げ、リーガンは地面にバタンッと倒れた。


生い茂る草が彼女の体を受け止める。


空を見上げれば、青空に大きな白い雲と輝く太陽が、喚くリーガンのことを笑うかのように見下ろしていた。


「おーい! おーい!」


リーガンが倒れながら不貞腐れていると、遠くから声が聞こえてきた。


それは少女か少年か、まだ性別の判断が難しい子どもの声だ。


体を起こして声のするほうを見ると、そこにはヒツジの群れを引き連れた少年が、こちらへと向かってきているのが見える。


「大丈夫ですか!? なにかあったんですか!?」


ボロボロのマントを羽織った黒い髪の少年。


年齢は十歳くらいか。


青い瞳が印象的な子どもが、心配そうにリーガンの傍に駆け寄ってくる。


「大丈夫、何もないよ。ちょっとイライラして大きな声を出しちゃっただけだから」


「そうですか。何もないならよかったです。ねえ、みんな」


少年はリーガンに異常がないことに安心したのか、ホッと胸を撫で下ろしていた。


それから彼は数十匹はいるヒツジたちに向かって同意を求め、声をかけられた群れがメェーメェーと嬉しそうに鳴き返していた。


中には少年にすり寄って、体を擦りつけているヒツジもいる。


少年はそんなヒツジたちの頭や体を、愛おしそうに撫でていた。


そんな少年とヒツジたちの様子を見て、リーガンは思った。


なんだか飼っているというよりは、友人のような、家族のような、そんな雰囲気だなと。


そして、ヒツジの群れを見て思い出す。


そういえば、町や村で聞いた話では英雄の異端審問官ファノは、羊飼いをしていると言っていた。


もしかしたらこの少年は、ファノと何かしら関わりがあるかもしれない。


「私の名前はリーガン。こう見えても聖職者なの。あなたの名前は?」


リーガンが訊ねると、少年の顔が強張った。


だがそれは一瞬で、少年はすぐに笑みを浮かべ口を開く。


「僕はパストラと言います。父やこの子たちと一緒にこの平原で遊牧をして暮らしている者です」


やはりかと、リーガンはその父というのがファノだと確信する。


すでに数日歩き回ったが、羊飼いと遭遇したのは今日で初めてだ。


それはそのまま他に遊牧をしている者がいないことと同じで、町や村で聞いた話でもファノ以外に平原を移動しながら暮らしている者はいないと言っていた。


「ご丁寧にどうもね。それで、ちょっと訊きたいんだけど」


「はい。なんでしょうか?」


「あなたのお父さんって、ファノって名前じゃない?」


リーガンがそう訊ねた次の瞬間――。


少年の手の甲から口が現れ、それが開き、ギザギザしたノコギリのような歯を見せた。


《なんだ貴様、もしかして異端審問官か?》


その手の甲から現れた口が、リーガンに逆に訊ね返してきた。

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