1-4
――好奇心は猫をも殺す
これほど放課後を待ち遠しいと思ったのは初めてだ。
いつもより数駅手前で降り、いつものとは違うお店で、いつもと違う雑誌を買った。ここに来てからの生活がルーティーンワークになっていた私にとって、たったそれだけのことに心躍り胸が高鳴った。はやる気持ちをぐっと押し殺し、彼女に気付かれないよう一歩後ろを付けて歩く。
彼女が喫茶店に入ってくれた時、しめた!と思い、扉が閉まると同時くらいにノブを引いていた。
「ミックスサラダとタマゴのサンドイッチにベーグル、あとフレンチトーストのメープルシロップ増量とフィナンシェをプレーンとチョコレートを一つずつ。それと本日のコーヒー、ホットでお願いします」
「……」
さっきまで空腹だった胃は、彼女が唱えたメニューの数々によって委縮してしまっていた。尾行に成功し、緩んだ胃を刺激するように香ったコーヒーの香り。さっきまであれだけ食べ物を欲していたはずの体は、脳内で再生される注文の品々を思い浮かべ、疑似満腹になっていた。いや、頼みすぎだろ。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか」と店員が促したので、急いでコーヒーを追加注文する。私に注文を聞くことなく、彼女は既に本を広げていた。
「普通、注文決まったかを聞いてから店員を呼ぶと思うんだけど」
「言っている意味がわからない。私は注文を決めてから呼んだ」
「わ、た、し、の、注文を聞いてないって意味。同じ席にいる人には聞くでしょ、普通」
「あなたの普通は知らないけど、同席を許していないのに同じテーブルの席に着くのは普通じゃないと思う」
「それはそれ、これはこれ。喫茶店に入ろうとしたところにあなたがいて、いつも座っているお気にの席にあなたがいた。知らない顔でもないし、どうせなら一緒に座ろうと思った。それだけだよ」
ま、嘘だけど。
チェーン店じゃない喫茶店とか初めて入ったし。
「他にも同じ椅子の二人席があるから、そっちに行けば」
「理屈じゃないんだよ、そういうのは。それにここじゃないと落ち着いて本が読めないの」
当然嘘だけど。
別にどこでだって本は読める。
「本って、その雑誌のこと?」と、彼女はテーブルに置いた雑誌を指差した。
『週間少年ウェンズデー』
「もしかして、漫画は読書に入らないって思ってるタイプ?」
「だって、漫画でしょ」
「分かってないな~。漫画だって小説だって根底は一緒、ただ表現が画か文字かの違いでしかない。見るべきは物語の内容や魅せ方なのに、漫画ってだけで見下すのはどうなのかな」
「……そう」
「おい、話を切ろうとするな」
しかし、彼女は目を本に向けたままこちらを見ようとしない。面倒になったのか、最初から興味がなかったか。どちらもありえそうだった。
まあいいや、こっちもそんな話がしたくて跡を付けてきたわけじゃない。
「ねぇ、どうして荒川たちにやり返そうと思ったの」
「……」
「今まで何にもやり返さずにいたのに急に気が変わったの? カッとなってやっちゃった? それとも計画的? もしかして荒川に男でも取られた?とかはないか、あなたはいかにも処女って感じだし」
敢えて挑発的に質問してみたけど、彼女は一向に本から目を離さない。流石に単純だったかな。もう少し振ってみよ。
「荒川も災難だったね。たかが英語のノート一つで、あんな惨めな仕打ちをされるんだから。だけどプライドが高そうだし、このままだと近いうちにやり返しにくるだろうね~」
「……そう」
「何か対策とか考えてないの?」
「別に」
「へ~、そっか。じゃあ今度は英語のノートだけじゃ済まないだろうね。教科書はビリビリに破かれて筆箱はゴミ箱いき、サンダルも焼却炉あたりでもやされて、最後は傷物にされたりして。荒川って色んな男と関係があるって噂だから、回されてそれで」
「ねぇ」
気が付くと彼女は顔を上げ、私を視認して言った。
「要件があるならさっさと言って」
「やった、やっとこっち見た」
「それで、私に何か」
「まあまあ、あ、注文来たみたい。うわ~並べてみると壮観だね。やっぱり頼み過ぎたんじゃないの? 食べきれる?」
「……うるさい」
「お、『そう』以外のリアクション新鮮~って黙って食べ始めないでよ」
彼女はサンドイッチを手に、私はコーヒーをブラックで飲む。こんなにコーヒーが美味しく感じたのは久しぶりだった。
彼女がサンドイッチとベーグル、フレンチトーストを無言で食べ終え、それを見ていた私も何か食べたくなりフィナンシェを追加注文した。しっとりとしたプレーンバターのフィナンシェが、ブラックコーヒーの苦味を程よく中和してくれる。
「ここにはよく来るの?」
「なんで」
「だって、さっきメニュー表見ないで注文してたじゃん」
「……塾がある時はここに来て時間を潰す」
「へ~受験終わってもう塾に通ってるんだ。週何回?」
「五回」
「……マジ?」
「あなたなんかに嘘をつく理由がない」
塾なんて、受験シーズンに『みんな塾通ってるから私も通おっかな~』とか言って、勉強よりも集団に溶け込むのを目的としたやつがいくところだと思っていたけど、根っからの勉強好きもいるんだな。荒川の『勉強しすぎて頭おかしくなったんじゃねぇの』もあながち間違っていないかもしれない。あれは勉強のストレスによる突然変異かも。
「こんなに食べたら家に帰ってから夕飯食べれないでしょ」
「夕飯も兼ねてるから。それより、そんな話をしたいんじゃないでしょ」
「それもそうだね」
「お金? 荒川さんに言われてきたの?」
「物騒だな~ていうか私、荒川とは同じクラスってだけで友達じゃないし」
「違うの?」
「違う違う。私お金持ちだし、殴るならあなたより荒川の方が気持ちよさそう。だって、あなたは殴られたって泣かなそうだし」
「……全然話が見えてこない。あなたは私に何をさせたいの」
珍しく言葉の端に棘がある。あれだけメイプルシロップがのったフレンチトーストを食べても、甘くはならないみたいだ。
「私たち、友達になろう」
「なんで」
「友達になりたいから」
「遠慮する」
「タダだよ?」
「ゴミをタダで貰っても嬉しくない」
「ゴミって酷いな~、これでも売れば結構な金になると思うよ。それに、身体で稼げる自身もある」
わざとらしく胸を寄せてみた。
「ならそういう斡旋先で働けば。私はお金に困ってない」
「荒川にパシられて、そんなに一杯ご飯食べてるのに?」
「十分なお金は貰ってる」
「ふ~ん、そうなんだ」
思わず口角が上がりそうになり、必死に引き結ぶ。いけないいけない、楽しくってつい気が緩んじゃった。
だけど、これは間違いない。掘れば掘るほど彼女の影に潜む秘密が、色濃く歪だと感じられる。ここで根掘り葉掘り聞くのも楽しそうだけど、それだとそれっきり彼女は縁を切ってしまうかも知れない。ほんの僅か繋がった縁だけど、もっと太く、強固に括り付けてやる。
「あなた頭がいいのに、損得勘定はできないんだ。勉強ができても、生き抜くうえで働かせる頭とは別の能力なのかもね」
「……そう」
あれ、もっと苦虫を潰したような顔すると思ったのに。
「怒らないの?」
「別に。それで気が済むなら好きに言えばいい」
「じゃあ今日から友達ってことでいいの、翠ちゃん?」
私が名前を呼ぶと、翠は初めて表情を変えた。嬉し恥ずかしいとは百八十度違う、身の毛もよだつと云わんばかりに身体を震わせ腕を抱き、上目づかいに睨みを利かせる。威嚇っぽいな、それ。
「なんで名前をしってるの」
「ノートに書いてあったから」
「チッ」
「ほらほら、そんな怖い顔してると美人が台無しだよ~。フィナンシェ食べて機嫌直して」
そういって彼女は残りのフィナンシェをパクリ、パクリと、二口ぐらいで口に放り込み、一文字の口をわずかに波打たせて飲み下し、「もう行く」と鞄に手を掛け立ち上がろうとした。
「いやいや、話が続きだって」
「友達にはならない、それで終わり」
「さっきも言ったけど、こんなにコスパのいい条件もないよ? だって私と友達になれば荒川たちのイジメ、辞めさせられるもん」
予想通り、彼女は私の言葉に反応した。わずかにだけど、黒々とした眼の光彩が、疑いに淀むのが見て取れた。
「……どうやって」
「別に教えても支障はないけど、黙っていた方が面白そうだから言わない。だからそれも含めて友達になるのが条件」
「友達になって、あなたになんのメリットがあるの」
「それは私だけが知ってればいいことでしょ」
私の言葉の真偽を測りかねているのか、彼女は口に手を当てたまま座り込んでしまった。
考えてる考えてる。
もう少し私側のメリットを手厚くして、彼女に『利害のある関係』であることを印象付ければ納得させやすいんだろうけど、面白いからこのままでいこう。
「……わかった。あなたと友達になってあげる」
いきなり友達とは思えない、上下関係のはっきりさせるセリフが飛んできた。
「私の名前は武花美憂。よろしくね、翠ちゃん」
「……友達になるのはいいから下の名前で、ちゃん付けで呼ぶのは止めて」
「え~友達って名前で呼び合うものでしょ? あ、友達いたことない翠ちゃんには初めての名前呼びかな。私のことも美憂って呼んでいいよ」
こうして高校生活初めって以来、初めての友達ができた。こけしみたいに不気味と称された友達は以外にも、表情豊かな奴だった。
二人の少女 黒神 @kurokami_love
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