1-2
――田舎にもイジメってあるのかな?
そんな蜘蛛の糸にかかったのは、女子高生と教育実習生とのスキャンダルだった。
都会とか関係なしに、大なり小なり淫事は暗躍されているもので、車窓から山々を見渡せるほど低い家々が立ち並ぶ田舎町でも、男女は愛を育むらしい。
「まさか、車でとはね」
朝から盛んな画像が送られてきて、さてどうしたもんかな~なんて考えていると、奇妙な光景が目にはいる。
「違う、これも違う」
一番上から順々に下駄箱のサンダルを引っ張り出し、足の甲あたりを確認しては戻し、一列終わるとまた隣の列に移動して同じ動作を繰り返した。多分、ネームプレートを確認しているのだろう。
……なんだあれ。
というか、いつも電車に乗ってる文学少女じゃん。本を持っていないだけで気付かないなんて。私、顔覚えるの苦手なのかも……
たしか昇降口の端から学年順に下駄箱が設置されていて、一つの下駄箱に対し二クラスが割り振られていたはず。一組の隣でサンダルを探しているってことは、彼女は二組の生徒だったのか。
そんなことを考えていたら端っこまで調べ終った彼女が戻ってきた。自分のクラスを調べ終わるやいなや、今度は下駄箱の半分から昇降口に向かって並ぶ一組のサンダルを引っ張り出し始めた。
私には、彼女の探している物とそれが意味する彼女の状況、クラスでの立ち位置について容易に想像ができてしまった。想像できたからといって手を差し伸べてあげる義理もないけれど。
「ねぇ」
「うおぇっと」
思わず、擬音が出た。
既に頭の中は『一限目の数学で問題当てられるの私だ~』とか『この前、竹内に数学の答え聞いたら間違ってたな~あのやろ~』とか、言葉通り上の空を向いていたので、下から突き刺すように視線をおくる彼女に気が付けなかった。
ていうかあっぶな、もう少しで肘ぶつけるところだった。
「それ、見せて」
彼女が指さす先には、さっき最上段から取り出した私の名無しサンダルがあった。言われた通り、彼女の目線までサンダルを近づけると「……これも違う」と言って、また飽きずにサンダルを引っ張り出す作業に戻ってしまう。もうあなたに興味はないと、暗に言われた気分だった。
お礼の一つもなしですか、はいそうですか。
いつもより足早に教室に向かい、「可愛いのは見た目だけかよ
」なんて愚痴っていたら数学の授業が始まった。答えは、わかりません。
中学の給食は味気ないし、コッペパンとか特に大嫌いで、隠れてジャムを持っていったら怒られた。『食べ物を粗末にするな!』といつも厳しく説いていたくせに、食べる努力は否定する。
高校では当然、各々が自分の昼食を用意してくるのが決まりとなっていて、学食やカフェテリアなんて洒落たものは田舎町にないけれど、お昼の時間限定で営業している購買はあった。最初は、日用品もモバイルバッテリーも置いていないお昼限定の購買なんてと思っていたけれど、『地元名店○○屋の焼きたてメロンパン』『産地直送! 新鮮なとれたて野菜を使った肉野菜炒め』『一日五十個限定! 採算ド返しの特大天むすび』と、ありきたりな売り文句に負けない魅力的なお昼の品々に、その不満はすぐに吹っ飛んでいった。
ああ、何て魅力的なんだろう。特に天むす。
太い方のマジックで『採算度外視』を『採算ド返し』と書いてしまうあたり、きっと昔堅気の職人気質で、熱いおひつの中からおよそ繊細とは思えない平たくごつごつとした両の手を、器用にも三角に形作りむすばれたおむすび。つぎたしつぎたしされた甘だれがご飯に染み込み……ああ、想像しただけで涎が出てきそう。
どの商品も競争率が高く、売り切れてしまうことの方が多かったが、それでも味気ないコッペパンよりマシな商品がいつも何かしら残っていた、はずだった。
「ごめんね~、残り一個の牛乳パンもさっきちょうど終わってしまったんよ」
「マジっすか……」
おばちゃんは目深にかぶったペイズリー柄のバンダナとマスクの間から覗けるまぶたをいっぱいに引きのばし、目尻とこめかみとの間には皺の渦を広げた。細く短い眉を絵文字みたいに折り曲げ、心底残念っといった顔をしている。
「こんなもんしか残ってないんけど、今の子は食べないかいねぇ? うちの孫なんてあんまりにも嫌いだから、カバンに隠して持って帰ってきて犬のゴンに全部あげちまうよ。『おいしく食べてくれる人に食べてもらうほうが、食べ物にとっても本望だ』なんて、どこで覚えてくるんだかそんな言葉」
おばちゃんは続けて『中学生でスマホを持たせてしまって本当に良かったのか』『ウイルスに感染して個人情報を引き出されたりしないのか』と、中学に通うようになったお孫さんの話をつぶさに語った。
『綺麗な髪だねぇ』と褒められたことが嬉しくて、時間がある時は少し話すようになった仲だけど、今はそれどころではない。
コッペパンしか、残っていない……
選択授業で遅くなり、音楽室が購買から遠かったとはいえ、コッペパンしか、残っていない。
他に残っているものは?と聞いて出てきたのは紙パックの牛乳と、牛丼についていたが取れた紅しょうがのみ。牛乳で流し込めばいけるかな、牛乳パンはいいけど冷たい牛乳って苦手なんだよな、焼きそばパンの焼きそばなしと思えば食べれるかもと自問問答していると、おばちゃんは申し訳なさそうに言った。
「ほんとごめんねぇ。あの子がたくさん買っていっちまったもんだから。いつもならもう少し残ってるんだけんど」
「あの子?」
「それがよぉ、小さくて、こけしみたいにひょろっこい女の子で、こんな風にいっちゃいけねぇんだけんど薄気味悪い子でよぉ、うちのお人形さんの方がよっぽど愛想よく笑っとる。それなのに、おにぎりやパンを十個もニ十個も袋に入れて、『そんなに買って食べきれるだかい』って聞いたら『早くお釣りください』て手出して言うもんだから、『後ろの邪魔だからとっとと行きな!』って突き返しちまったよ。今思えば大人げねぇことしちまった」
「あはは、そりゃ大変だったね」
「美憂ちゃんのクラスの子じゃないのかい? 最近見かけるようになった子だから一年生だとおもうよ」
「いや、うちじゃないかな、多分」
クラスメイトの顔、半分も覚えてないけど。
「そうかい、もし同じなら『購買のおばちゃんが謝ってた』って伝えてほしかったけんど、仕方ないね。今度会った時に言う事にするよ。ああ、いけないいけない、お昼が終わっちまうね。コッペパンで悪いけんど、牛乳も付けて安くしておくから、今日は勘弁ね」
そう言ったおばちゃんからビニール袋を受け取った。クラスに戻る途中、こけしってどんなのだっけ?と調べてみて、想像以上に細く頭でっかちな様相に、年寄りの誇張は度が過ぎてると思った。
こんな人間いるわけない。
けれど、その異質さというか不気味さというか、何ものか分からない独特な雰囲気を伝えたい事だけは理解できた。私もこけしに勝ると劣らない、変な奴に今朝あったから。
少し駆け足で階段をのぼると廊下のあたりが少し騒がしい。既にお昼を食べ終えた生徒だろうか。美術と書道の授業はかなり早めに終わったみたい。羨ましい。汚れるのは嫌だからと選択した音楽だったけど、購買戦争に出遅れるなんて落とし穴があろうとは思いもしなかった。
すると、一組の教室から見慣れない生徒が現れた。
今朝の文学少女、もといこけしちゃんだ。
なんでうちの教室に?なんて考えていると、彼女の足元にあった違和感に気付いた。底のほとんどないぺらっぺらな、発色のいい泥団子色のそれは、以前私も一度だけ履いたことのある<来賓用のスリッパ>だった。彼女の足には大きいのか、歩こうとした足からスリッパが脱げそうになり、壁に手を付いて履きなおすとすぐ隣の教室に戻って行った。
教室に戻るとすぐ、面倒な奴と目が合った。窓際の二、三席を陣取る群れの長である荒川美月(あらかわみつき)が、「あれ、美憂今日それだけ? いっこ恵んであげよーか?」と菓子パンを手に上目づかいで聞いてきたので「いらない」と短く答えると、「あっそ。それでさ~渡部のやつが」とすぐさま元の古巣に収まっていった。
入学してから度々、荒川は私にどうでもいいような会話をしてくる。それも、荒川を取り巻く女がいる時限定で。
理由はすぐに検討がついた。荒川たちがこうして毎日、女子高生全体の品格を落とすように大声で話をしていれば嫌でも予想ができる。
『あの時の嘘告させたやつのメッセスクショ、まだもってる』
『下駄箱にいれたチョコ、ドッキリと知らずカバンに隠し入れて帰った時めっちゃウケたよね』
『先生が好きだってバラされた時のA子の表情、マジ涙でそうだった~』
時折こうやって中学でしてきた悪行の数々を、まるで武勇伝のようにひけらかす。張り裂けそうに口を広く開け、黄ばんだ歯の隙間を抜け出た数醜悪な笑い声を聞いていると、せっかくの天むすも冷めた油の味ばかり際立って仕方なかった。
まあつまり、縄張りの長である荒川にとって、私は群れの長というポジションを脅かす敵として警戒されているようだ。対等、またはそれ以上であると周知させるように、時に高圧的とも思える態度で牽制を入れてくる。
変な勘違いをされてしまったものだ。他殺スイッチは幾度となく押しているから、あながち間違ってもいないのかも。
ただ、私には高校生活を荒らしてやろうなんて気も、仲良く手を繋いでいくつもりもさらさらない。お母さんの生まれ故郷を、お母さんが育ったまちを感じてみたい。とりあえず、それだけだった。
「それにしても、アヤカの言った通りだったわ。マジ笑い堪えるの必死だった」
「でしょ。ナオ、あんたかなりギリギリだったっしょ?」
「だって、あんなん無理くない? 今お金ないから来週返すって言ったら『そう、じゃあ来週ね』だって」
「ジュナも危なかった~、また忘れたって言ったら『そう、じゃあ来週ね』って言うかな~」
「あ、じゃあ賭けてみる? 私は言う方に一票~」
そしてまた、どっと笑いをまき散らす。『笑顔と自然が響きあうまち』それがK市のキャッチコピーだったはずだが、どうやら考えていた意味とは大きく違っていたみたい。こんなまち、過疎っていて当たり前だ。誰も戻ってきやしない。
一組を出てから三組の教室を通り過ぎ、昇降口目指して階段を降りていると、一階の手摺脇から昇降口へと向かって歩くこけしちゃんの姿を見つけた。
おかしいな、二組なら私と同じように三組の所から階段を降りて帰るはずなのに。しかし、その答えはすぐにわかった。
彼女は素足だった。
一年のクラスがあるA棟の一階は教職員が利用する部屋が並んでいて、昇降口方面の突き当りに職員用玄関がある。彼女は来賓用のスリッパを返すため、一度立ち寄ってからこっちに来たのだろう。
それにしても、なんて寒そうなんだ。なぜ彼女は靴下ではなく素足なのだろう。お昼に見かけた時はちゃんと履いていた気がする。そんな疑問は、彼女が私の横を通り過ぎたあたりで消えてしまった。
――ホ別二万!
男性マーク(♂)と女性マーク(♀)が、ご丁寧にも黒字に水色とピンクの蛍光ペンに縁取られ、彼女の後ろを追いかけるようになびいている。
小学生か、いや小学生に失礼かな。小学校低学年の男子でギリギリ考え付きそうな仕業だ。まさか高校で、こんな低レベルの悪戯をお目に掛けるなんて。
彼女は気付いていないのか。それとも気付いたうえでやっているのか。一階の職員室を通り、職員玄関まで渡って戻ってきたあたり、もしかすると打算的? だがそれなら目論見は外れてしまったようだ。
彼女の後を追い、私も下駄箱に向かう。幸か不幸か、私以外の生徒がいないため、不埒な輩に目を付けられてはいない。こんな張り紙に飛びつく生徒なんていないだろうけど、いや、こんな学校だから釣れるのか? 少し気になる。
ただ、当事者に思い当たる節があるため、この胸糞悪い紙を剥がしとることにした。
べりべりべり。
うわ粘着テープかよ……。ちょっとべたつく。
「なに」
「え?」
「それ、なに」
彼女は一切表情を崩すことなくいった。購買でおばちゃんが言っていた『うちのお人形さんの方がよっぽど愛想よく笑っとる』てのも頷ける。それだけじゃない。深淵でも覗いているような、感情のなくなった心のように黒々と丸い眼球を向けられると、得も言えぬ不気味さがある。
彼女の見つめる先にあるもの。それはさっき剥がしたルーズリーフだった。思いのほか粘着質だったため、剥がしただけで丸め込めなかった。彼女からは、白い裏面に透ける逆さ文字にしか映らないだろうけど。
「そこで拾った」
「嘘。あなたさっき私に触った」
「それが? あんたに触ったからって嘘をついている証拠にでもなるの」
あれ、私なに言ってるんだろう。
さっさとこんな紙渡して、スクールバスに並べばいいのに。彼女の顔を見ていたら無性にむかむかしてきて、後頭部が熱くなっていくのを感じる。
下駄箱っていうのがまたよくなかった。今朝の出来事を思い出し、その怒りの感情が今の感情と勝手に混ざって、よく分かんなくなる。もしかして、私って根に持つタイプ?
「……そう」
そんな私をよそに、彼女は下駄箱から靴を取り出す。中と外とを区切る大理石っぽい石材の段差に座り込み靴を置くと、スカートのポケットから取り出した靴下をちょうど膝丈まで伸ばして履いていた。
「何で靴下履いてないの」
「廊下を靴下であるいたら汚れるでしょ」
「そんなん帰ってから洗えばいいじゃん。足冷たい方がやだ」
「そう、ならあなたは履いて歩けばいい」
「……そうする」
そうするってなんだ。何をさっきから突っかかっているんだ。
感情が右往左往逃げ回り、掴めずに振り回されている気分だった。今日はカルシウムも取ったのに。カルシウムじゃ、私を止めてくれない。
「なんでやり返さないの」
「何を」
「何って、今朝から色々あったでしょ。サンダルとかパシリとか、今だって」
「……それって、やり返した方がいいの?」
「っ! 知るか、勝手にしろ」
下駄箱から取った靴を乱暴に並べ、踵もろくに直さず外にでた。頭に血が上っているのが手に取るようにわかる。靴に入った砂利にさえ思わず文句を言いそうになる。
――なにをやっているんだ、私。
スクールバスを待つ間、何度目かの深呼吸をしていると、隣に彼女が来た。
「なんで来るんだよ」
「私もバス使うの」
……そういえば、電車一緒じゃん。
「隣に並ばなくてもいいじゃん」
「誰もいないのに一つあける理由がない」
図太いにもほどがある。
「普通、さっきの今で隣こないでしょ」
「じゃあ、私はどこに並べばいいの?」
結局、問答むなしく横並びに落ち着いた。なんて居心地の悪い下校時間だろう。
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