09 最高の朝ごはん

 瞼の裏に感じるあたたかい光と、鼻の奥をやさしくくすぐるようなバターの香りで僕は目覚めた。


「あっ……いつの間にか、寝ちゃってた……。昨日は笑い疲れて横になって、そのまま寝ちゃったんだ……」


 小屋の中を見回すと、動物たちが散らかるように転がっている。まだみんな寝ているようだ。

 外からはカチャカチャじゅうじゅうと、料理をしているっぽい音が聞こえてきていた。


「ふぁ~あ、ネコックかな? おはよ~っ!」


 伸びをしながら外に出た僕は、生涯で二度目となる光景に遭遇した。


 そこには朝の木漏れ日をスポットライトにして、三角巾とエプロン姿でカマドに向かっている天使がいた。

 翼がないのが不思議なくらいの、その存在が振り返る。


 一度目は目があった途端に逃げられてしまったけど、今回は逃げられなかった。

 ただ、ちょっと緊張しているようだった。


「あっ……お……おはようございます……」


「あっ……お……おはよう……」


 僕も不思議と緊張してしまって、ぎこちない挨拶になってしまう。

 昨晩は、魔法が掛かったみたいに積極的になれたのに……。


「あ……ごめんなさい……お料理の道具……お借りしてます……」


「え? ああ、別にいいよ、なにか手伝おうか?」


「あ……はい……あ……いいえ……もうすぐ……できますから……」


 ウサギさんという名の天使は、ネコックといっしょに朝ごはんを作っていた。

 鉄板の上では目玉焼きと、溶き卵とバターを絡めたパンが湯気と香ばしい音を立てている。


「それ、どうしたの?」


「あ……ごめんなさい……卵は……コケカッコウさんが……くれたんです……」


 頭上の木の枝に止まっていたコケカッコウが「コケカッコウ!」と高らかに鳴く。

 そして僕にお尻を向けてフリフリ、卵がスポンと出てきて顔に向かって飛んできたので、僕はとっさにキャッチした。



 【コケカッコウの卵】 無精卵。見ためは鶏卵に似ているが深い味わいがあり、栄養価も高い。



「コケカッコウは卵も産めるんだね。まさかパンも産んだわけじゃないよね?」


「あ……はい……パンとかの食材は……布といっしょに……買ったもので………それを……思いだして……」


 それで僕も思いだした。


「あ、そうだ! 食べ物なら、僕もたっぷり持ってきてたんだった!」


 そのつもりだったんだけど、僕がリュックサックに詰め込んだはずの食料は影も形もなかった。


「ええっ、なんで!? なんでなにもないの!?」


 空っぽのずだ袋をかぶって絶望する僕を見かねたのか、ウサギさんが教えてくれた。


「あの……特区には……地球の食べ物は……ほとんど持ち込めない……みたいです……」


「えっ、そうなの!? 持ち込めないものがあるのは知ってたけど、僕が持ってきたのは缶詰とかカップ麺だよ!? それもダメなの!?」


「あっ……はい……まだこっちにはない食べ物は……持ち込めないみたいです……」


「そうなんだ、けっこう厳しいんだね……。そういえば服とかもぜんぶ変わってたし……」


「はい……服とかは……こっちにない素材でできてるものは……ダメみたいです……。その服は……初期装備で……わたしも……最初はその服でした……」


 僕は自分が身に付けている粗末な服と、ウサギさんの服と見比べてみた。


「いいなぁ、その白いダッフルコート。ウサギさんにすごく似合ってるよ」


「えっ……いえ……そんな……」


「ウソじゃないよ、雪の妖精みたいだ」


 褒めたつもりだったんだけど、ウサギさんはうつむいてしまう。

 気分を悪くしたのかなと思ったけど、よく見たらウサギさんは頭からうっすら湯気が見えるくらいに真っ赤っかになっていた。


 その反応で、僕はとんでもなくキザなことを口にしてしまったと気づく。


「あっ……! あの……! ご、ごはん、ももうすぐできるんだよね! なら僕は、皿を用意するよ!」


「えっ……? あっ……はっ……はいっ……お……おねがいします……」


 そこから先はウサギさんの顔がまともに見られず、ウサギさんもまた僕を見ようとはしなかった。

 気まずい雰囲気が流れたんだけど、ウサギさんの手料理を食べたらそんな空気は吹っ飛んでしまった。


 特製のフレンチトーストサンド。

 ひとつは目玉焼きとチーズを挟んだもので、もうひとつは焼いたミドリンゴをほぐしてジャムみたいにしたのを挟んだやつ。


 目玉焼きはふっくら肉厚、こってりした味わいで濃厚なチーズとよく合う。

 ミドリンゴのジャムは甘みが強いのにくどくなくて、さわやかな味わいだった。


「おっ……おいしいっ!? ウサギさん、これ、すっごくおいしいよ!」


 作ったウサギさん自身も、ひと口食べて両手で口を押さえるほどにびっくりしていた。


「は……はい……すごく……おいしいです……ネコックさんが……お手伝い……してくれた……おかげです……!」


 ラーメン屋の店主みたいに、ドヤ顔で「にゃっ」と腕組みするネコック。

 新メニューは動物たちにも大好評で、僕らはぜいたくな朝のひとときを過ごした。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 朝ごはんを食べた後、時計を見たら日本はもう夕方だったので、僕らは帰ることにした。


 前回みたいに阻止されるかなと思ったので、動物たちを小屋の中で寝かしつけてから帰る。

 転送の魔法陣のある東屋にこっそりと向かうなか、ウサギさんは僕にぺこりと頭を下げた。


「あの……ありがとう……ございました……」


「お礼を言うのはこっちのほうだよ。あんなに素敵な敷物やクッションを作ってくれたんだから。あ、お金のほうは明日学校で払うよ、手間賃込みでいくらになる?」


「あ……いえ……お金は……いりません……」


「え、どうして?」


「とても……楽しかった……から……。こんなに……楽しかったのは……初めて……です……」


 そう言うウサギさんの頬は、リンゴみたいに紅潮している。

 ただの社交辞令かもしれないけど、僕の身体には鳥肌が立つほどの喜びが駆け巡っていて、表に出さないようにするのが大変だった。


「そ……そう、それはよかった! じゃ……じゃあ……!」


 僕は「これからも来る?」と言おうとしたけど、その言葉は口から出せなかった。

 だって、もしそれで断られちゃったら……僕は二度と、彼女を誘うことができなくなりそうだったから。


 昨日あんなに勇気を振り絞れたのは、まわりに動物たちがいてくれたおかげだったんだと、僕はいまさらながらに気づいていた。


「じゃ……じゃあ、帰ろっか……」


「あ……はい……」


 僕らはそれっきり言葉を交わすこともなく、魔法陣の光に包まれる。

 特区ステーションの到着ロビーには、特区に通うサラリーマンや学生の姿が多く見られたけど、ウサギさんの姿はどこにもなかった。


 ……本当に、モコフワ領にウサギさんはいたんだろうか。

 ウサギさんのことを考えるあまり、幻を見てたんじゃないかと思いながら保安検査を受けていると、受付のエルフのお姉さんがやってきた。


「おかえりなさい、いかがでしたか?」


「あの、モコフワ領にウサギさん……あ、いや、同じ学校の女子がいたんですけど……」


「モコオ様が出国される際、そのウサギ様のことを考えていたのではないですか? その場合、モコオ様といっしょにウサギ様もモコフワ領に転送されます。そのことは、出国時にお伝えしたはずですが」


 たしかにそんな感じのことをお姉さんは言っていたけど、僕はおまじないみたいなものだと思っていた。


「あ、そういうことだったんですね……まさか、本当に効果があるなんて思いませんでした」


「モコフワ領は特殊な立地ですので、権利者以外はどなたも立ち入ることができません。権利者のモコオ様が強く望んだ方のみが立ち入ることができるのです」


 強く望んだ、なんて言われるとちょっと恥ずかしいな。

 でもウサギさんが来てくれた理由がわかってちょっと安心。


「なおウサギ様が帰国される場合は、入国された特区ステーションのほうに転送されます」


 なるほど、それでウサギさんはここにはいないのか。


 そしてこれからは、転送の時に僕が望みさえすれば、毎回ウサギさんとモコフワ領に行ける……?


 そう考えて頬が緩みかけたけど、ダメだダメだと顔をぶるんと振って邪念を追い払う。


 仕組みがわかった以上、ウサギさんをモコフワ領に連れてくるのは人さらいと同じだ。

 やるならちゃんと事情を説明して、ウサギさんに承諾をもらってからにしないと。


 でも……そんなことを尋ねる勇気なんて、あるわけ無いしなぁ……。


 僕は新たな悩みを抱えながら特区ステーションを出て、暮れなずむ駅前を歩く。

 リュックサックに詰まった食料をやけに重く感じながら。

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