02 はじめての異世界、はじめてのモフモフ
「うっ……うわぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!?!?」
絶叫するなかで感じた異変、それは足元が草に変わった感触、そしてなにかへんなものが顔にくっついた感覚だった。
僕は草原みたいなところに放り出されてたんだけど、まわりを見回すどころではなくて真っ先に頬に手を当てる。
「うわっ、なんだこれ……!?」
口のところに、なにかぶよぶよしたものがある。
近くに池があったので水面に顔を映してみると、口のまわりを覆うフェイスマスクみたいに黒いスライム風の物体が貼り付いていた。
「な……なんだこれ……!? くっ……取れない……!」
それは柔らかいのにピッタリしていて、皮膚の一部になったみたいに剥がそうとしても剥がせなかった。
苦しくて口を開けてみると、そこだけぽっかりと穴が開いて口の中が見える。
どうやら呼吸はできるみたいだけど、これがなんなのかまったくわからなかった。
「もう、なんなのこれ……!?」
しょうがないので剥がすのはあきらめて、僕は置かれた状況をあらためて確認する。
そこは雲ひとつない青空の下にある草原で、さんさんと降り注ぐ太陽を受けて草は白く輝き、吹き抜ける風で海のように波打っていた。
遠くには白い雪に覆われた岩山が連なっており、見渡すかぎり人らしき気配はない。
背後を見るとツタの絡まる石造りの東屋があって、その床には特区ステーションの出発ロビーにあったのと同じデザインの魔法陣がうっすらと光を放っている。
どうやら僕は、あの魔法陣からここへ出てきたのだろう。
東屋の近くにはさっき鏡がわりに使った池があり、さらにその向こうには深い森が広がっている。
視線を落とすと、服装は簡素な布の服に変わっていた。
靴まで布製で、リュックサックはずだ袋になっている。袋の中には家から持ってきた工具が詰まっている。
「そういえば、特区には持ち込めないものがあるって誓約書に書いてあったっけ」
状況が把握できたら少し落ち着いてきて、肺を満たす空気の違いにも気づいた。
「なんだか、空気がおいしい……! そっか、これが特区の空気なんだ……!」
僕はいまさらながらに憧れの地に来ていることに気づき、大きく深呼吸。
すると不安なんてどこへやら、ドキドキとワクワクで胸がいっぱいになる。
「よーし、森の中を探検してみよう! あの森なら、最高の木材がたくさんありそうだ!」
僕は口元のスライムのことも忘れ、意気揚々と森に向かって歩いていく。
さっそく、森の入口のあたりに生えている細い低木に目を奪われた。
「この木、なんだろう? 白樺っぽいけど、葉っぱまで白い色をしてて変わってるなぁ。でも、インテリアに良さそう!」
僕はずだ袋からナタを取り出すと、謎の木の根元にあてがい振りおろす。
木はスパッと切れ、カサリと音をたてて倒れた。
「うーん、やっぱりこのナタは斬れ味がいいなぁ!」
僕の使ってる工具はぜんぶ、父さんの工場で作られたものだ。
工場はいまでこそ大手の下請けをやっているけど、一時は自社で工具とかを作ってたんだよね。
でもさっぱり売れなかったみたいで在庫が山になってたから、僕がこうして使ってるんだ。
なんてことを考えながら、切り倒した木の枝をナタで落していく。
さらに皮を削いでいると、ふと視線を感じる。
それは、森の奥のほうからだった。
見やるとそこにはモフモフのビーバーみたいな生き物がいて、木の陰から僕を見ていたんだ。
「かっ……かわいいーーーーっ!?」
そのあまりの愛らしさに僕はつい黄色い声を出してしまい、しまったと思う。
僕がこんな声を出したら最後、100メートル四方の動物はみんな逃げちゃうんだ。
おかげで幼稚園の行事とかで動物園に行った時は、みんなから迷惑がられていた。
きっとあのビーバーも逃げちゃうと思ったんだけど、信じられない出来事が起こる。
なんとビーバーは木の陰からひょっこりと出てきて、さらに興味があるみたいに僕をじーっと見つめてきたんだ。
動物からこんな好意的な反応をされたのは、生まれて初めてのことだった。
嬉しくてたまらなくなったけど、ここで下手に近づいたりしたら間違いなく逃げられる。
こんなチャンスはもう二度とないと思い、僕は知らないフリをして作業を続行。
他の木を切り倒していたら、さらに目を疑いたくなるような出来事が起こった。
なんとビーバーは僕のしていることをマネするみたいにして、木を切り倒していたんだ。
しかも5メートルはありそうなずっと大きな木を、長くて鋭い前歯で幹を削って倒し、さらにその前歯で木の皮を器用に剥いている。
白い木肌の中から、さらなる白さの板目が現れる。陶器みたいなまばゆい純白だった。
「す……すご……!」
僕はビーバーの手際の良さと、木材の白さに二重の意味でビックリする。
しかしもっとビックリすることが起こった。
なんとなんと、ビーバーはピィピィと鳴きながら、僕の足元に擦り寄ってきたんだ……!
「う……うそ……!?」
ま……まさか、この僕が……生き物にスリスリされるなんて……!?
それはズボンごしだったけど、これまでの人生で感じた肌触りのなかで、いちばん気持ちのいいものだった。
感激のあまり僕は泣き崩れそうになったけど、そんなことをしたら逃げられてしまうと思い、けんめいにこらえる。
スリスリだけでも天にも昇る気持ちだったのに、ビーバーはさらに僕の太ももに手を付いて、伸び上がってきた。
「ピーッ! ピーッ!」
「えっ……? も……もしかして……撫でてほしいの……?」
「ピィーッ!」
そのビーバーの前歯は刃物みたいに鋭くて、動物というよりモンスターに近い感じだった。
もし噛まれでもしたら、大ケガどころじゃすまないと思う。
否が応でも、犬に手を噛まれたときのトラウマが蘇ってくる。
しかし僕の迷いなんておかまいなしに、ビーバーは黒飴みたいなつぶらな瞳で僕を見つめ、いっしょうけんめいに訴えてきた。
それはまるで親に甘える雛鳥みたいで、僕のハートは握り潰されんばかりにわし掴みにされてしまう。
もう、いいっ……! 撫でる……! もしここで撫でなかったら、僕は一生後悔する……!
もし、手を喰いちぎられたとしても……! 後悔なんかしないっ……!
僕は決意とともに震える手を伸ばし、ビーバーの頭にあてがった。
すると、極上としか言いようのない感触が手のひらに生まれる。
……モフッ……!
そうとした形容しようないさわり心地。手が包み込まれるほどの毛量感。
僕の視界はすっかり滲んでいた。
「ううっ……! ど……動物って……! こ……こんなに気持ちいいんだ……!」
「ピィーッ!」
ビーバーのほうも気持ち良さそうに目を細めている。
それはいままで威嚇しかされてこなかった僕にとって、勝利の女神に微笑まれるより感動的なことだった。
「あ……ありがとう……! ありがとう、ありがとうっ……!」
僕はついにくずれおれ、泣きながらビーバーの全身を撫でさする。
ハグすると、ビーバーはちっちゃな手で僕を抱きしめ返してくれた。
嬉しすぎて涙が止まらなくなり、服の袖で涙を拭う。すると、固い感触が頬に当たる。
袖をまくってみると、手首に木の腕輪が付いていた。
「あ……そういえば、誓約書に書いてあったな。特区に入る地球人はみんな、利き手のほうに腕輪が装備されるって」
この腕輪は魔法の力で制御されていて、身分証とかの機能があるらしい。
その手がビーバーに触れた拍子に腕輪にはめ込まれていた石が光りだし、半透明の板のようなものが浮かびあがってくる。
ロールプレイングゲームのステータスウインドウのようなそれには、こんなメッセージが出ていた。
【ピーパー】 レベル1 鋭い前歯で木を加工する。
「あ……ネットで見たことある。腕輪をしたほうの手で触れると、動植物とかの名前がわかるって。キミってピーパーって名前だったんだ」
「ピィーッ!」
「そうだピーパー、初めて撫でさせてくれた記念とお礼として、僕に犬小屋……じゃなかった、ピーパー小屋をプレゼントさせてくれないかな? キミが手伝ってくれたら、たぶんすぐできると思うから」
その返事は、まさかのハーモニーを奏でる。
「「「「「「「「「「ピィーッ!!」」」」」」」」」」
ピーパーを撫でるのに夢中で気づかなかったけど、森のほうには他のピーパーがいて羨ましそうに僕らを見ていた。
「わぁ、こんなにいっぱいいたんだ! キミたちも、僕の手伝いをしてくれるの?」
「「「「「「「「「「ピィーッ!!」」」」」」」」」」
ピーパーたちは一斉に木の陰から飛びだし、僕のまわりに集まってきた。数えてみたら、ぜんぶで10匹もいる。
すべての動物から蛇蝎のごとく嫌われてきた僕にとって、それはほっぺたをつねりたくなるような光景だった。
「こ……これってもしかして、夢なのかな……? でも夢なんだったら、めいっぱい楽しまないと! よぉーし! じゃあみんなで、作業はじめ―っ!」
「「「「「「「「「「ピィーッ!!」」」」」」」」」」
ピーパーたちは木を切り倒して木材にするのが得意なようだった。
どんなに大きな木でもみんなで幹のまわりをガジガジかじって倒し、枝を落として樹皮をかじり取って剥き身の丸太にする。
それはあっという間で、人間の僕とは作業効率が段違い。
さらに、できあがった丸太を僕が小さなチェーンソーで切り分けていたら、見よう見まねで角材まで作り上げてしまう。
しかもその仕上がりは、製材所で作ったみたいに完璧だった。
「す……すごっ!? 歯だけでこんなに速く滑らかで、しかもサイズも揃ってる角材を作り上げるなんて……!?」
特区にいる動物が、こんなに高い能力を持っているなんて知らなかった。
僕が驚いているうちに森はどんどん伐採されていき、角材が山積みになっていく。
「あれ……? これってピーパー小屋どころか、人間の家も作れるんじゃ……?」
作れるかも。そう思った時点で僕はもう止まらなくなっていた。
「よ……よしっ! こうなったら思い切って、家を作っちゃおうか!」
すると、ピーパーたちはもみじのようなちっちゃな手を挙げて賛成してくれた。
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