第12話 資料⑨:某小学校教諭の証言

 ええ、はい。私は昔、石杜美佳いしもりみかさんの担任をしていたことがあります。

 十数年前に受け持った子ですが、今でも鮮明に覚えていますよ。彼女自身は人当たりの良い大人しめの子だったんですが、彼女のお母さんがかなり特殊な方でしたから・・・。


 彼女のお母さん、真紀子さんはとにかく娘さんを溺愛していました。なんでも不妊治療の末にようやく授かったお子さんだったみたいで、「美佳は神様の子だ」って言って育ててたみたいです。まあこれはPTAのお母さん方に聞いたので実際どうだったのかは分かりませんけど。

 大切なお子さんなのは分かるんですが、その溺愛ぶりが異常で。「娘を凡俗共と一緒にしないで」と美佳さん一人だけの特別学級を作るよう要求してきたり、「娘に変なモノを食べさせるな!」って給食に文句を言ってきたり、毎日のように何かしら文句の電話が掛かってくるモノですから担任の私は基より他の先生方も大分参ってましたよ。

 当の彼女は私達教員や同級生達にいつも申し訳なさそうで。”子は親を選べない”って言いますけど、それにしても可哀想だなって思いました。


 彼女の事で一番記憶に残っているのは彼女のお母さん、真紀子さんに呼び出されてお家を訪問した時のことです。というのも、実は美佳ちゃん、学校でいじめに遭ってまして。原因は言わずもがなお母さんにあるわけですが・・・。

 我々教員も対処に当たったんですが、美佳ちゃん本人から「大事にしないで」って言われていたのと、あのお母さんに関わりたくないって我々教員の身勝手な思いが重なって、いじめに関してはそれなりの注意喚起と時々美佳ちゃんの様子を見るっていう最低限の対処で済ませていました。

 ・・・・今思い返しても、絶対に許されない事をしたと思っています。教員としていじめを看過して穏便に済ませようだなんて、絶対に許されてはいけない。でも、当時はそうするしかなかったんです。そうしなければ我々の、私の心が保たないと思ったんです。・・・今となれば、だだの言い訳に過ぎないのかも知れませんが。

 でも、いくら水面下で対応してもいつかは知られてしまう。対処を始めてから一ヶ月半が過ぎた頃、真紀子さんからものすごい剣幕で電話が掛かってきました。

「娘がいじめに遭ってるんだけど、どういうこと!?」

 その頃になるといじめは無視したり物を隠したりという遠回しなものからどこかに閉じ込めたり、蹴ったり叩いたりと暴力的なものに変わってきていて。流石の私達もなんとかしなければと思い始めていたところにその電話が掛かってきたんです。恐らく家で暴力の跡が見つかって、美佳ちゃんは何も喋らないから学校に直接電話を掛けてきたのでしょう。

 いつもの電話なら大半が理不尽な文句なのである程度聞き流せるのですが、今回の件に関しては我々にも非があります。臨時の職員会議で話し合った結果、代表して校長先生と担任の私二人でお家に伺ってこれまでの経緯の説明と謝罪をしに行くことになりました。


 あの日の事は、最近でも夢に見るくらい脳に焼き付いていますよ。蝉の鳴き声がうるさいぐらい響いていた、金曜日の昼下がりのことです。

 その日は午前授業だったので昼前には帰りの会を終わらせて、子供達を早々に家へ帰しました。美佳ちゃんには残ってもらって、美佳ちゃんを家に送り届けつつ訪問するという計画でした。

 うだるような暑さの中、私はわざわざスーツを着込んで校長先生の車に乗り込みました。

 校長先生は運転席に、私と美佳ちゃんは後ろに並んで座っていましたが家に向かう途中は一言も喋りませんでした。美佳ちゃんはもともと大人しい子なので何も喋らず車窓を眺めていましたが、私と校長先生に至っては暑さはもちろん、緊張で汗が止まらずとても口を開く気にはなれませんでした。

 車に乗っている間、どこの道をどう通ったのかまったく覚えていませんが、お家に着いたときのことはよく覚えています。

 そこは神社でした。小学校から大分離れた山間にある、小さめの神社。紅い塗装が剥がれ掛かった古い鳥居の奥に年季の入ったお社がありました。

 美佳ちゃんを先頭に私達は鳥居を潜って敷地に入ったんですが、その時点で異様な雰囲気があったんです。

 蝉の声が聞こえないんです。先程も言ったとおり山間に建つ神社ですから周りは大きな森に囲まれています。鳥居を潜る前までは耳をつんざくように蝉が鳴いていたんですよ。それなのに潜った瞬間ぴたりと止んだんです。それどころか夏の日差しも乾いた風さえも感じられなくなって、夏なのに「肌寒い」って感じたんです。

 初め私は「自分がおかしくなったんだ」と思いました。うだるような暑さと極度の緊張で感覚がおかしくなったんだと。

 でも違うんです。隣を見て違うと気づいたんです。

 校長先生が震えているんです。あまりにも暑がりで今日の訪問でさえ上着を着てこなかったあの校長先生が。歯を食いしばって震えてるんです。

 そんな私達を見て美佳ちゃんは「大丈夫?」と聞いてきます。正直、今にも逃げ出したい気持はありましたが、後々「謝りにも来ない」と文句を浴びるのは嫌ですし、私達には非がありますから、「大丈夫」と形ばかりに微笑んでお社の隣にひっそりと建つお家に向かいました。


 家を訪ねるとすぐにあのお母さんが出てきました。私は開口一番に罵られる事を覚悟していました。が、お母さんは素っ気なく挨拶をすると、私達を玄関入ってすぐの和室に案内して「しばらくお待ちを」と一言残し、美佳ちゃんを連れてどこかに行ってしまいました。私と校長先生は安堵の息を漏らします。いつもの電話の調子で罵られ、罵倒されることを覚悟してきた身としては心が少し軽くなる感覚を覚えました。・・・でも、その安堵は束の間でした。

「それで? 何しに来たんですか?」

 どこからか戻ってこられたお母さんはテーブルを挟んで座ると睨み付けるようにそう言いました。校長先生がたどたどしくこれまでの経緯と謝罪を述べると、お母さんは怒りを露わにしました。

「学校が悪い」「教員が悪い」「同級生が悪い」「だから電話であれほど言ったのに・・・」「なぜ貴方たちはそんな態度なのか」

 どうしようもない事から謂れのない事まで、理不尽ともとれる暴言は小一時間ほど続いたと思います。

 永遠とも思える時間の最中、私は何か別のことを考えようと思いました。こんな暴言を真に正面から受けていては心が保たない。怒り狂うお母さんの話を聞き流しつつ自身の気を逸らすため部屋を見渡しました。

 六畳ほどの純和室。木目の四角い机にシミの付いた襖。天井には紐を引っ張るタイプの丸い蛍光灯。ごく一般的な和室。一通り見渡してふと、他の部屋へと繋がる障子戸が少し開いている事に気づきました。位置で言えばお母さんのすぐ後ろに面しています。

 戸の奥の部屋には何やら祭壇らしきものが見えました。

木製の三段の棚の上に果物やら榊?とか玉串?みたいなものが置いてあって。ここまでならまぁここは神社だからな、で終わるんですけど。

 。注連縄なんか巻かれて、棚の一番上に祀られていたんです。

 石を祀っている神社って、日本にそれなりにあるとは思うんですけど。私があのとき見た石は何の曰くも無さそうな、一際大きいわけでも奇妙に割れてるとか模様があるとかも無く。そこら辺に転がっている石よりは一回り大きいかなってくらいのただの石なんです。

 素人目には分からないだけで、もしかしたら凄い石だったりするのかな・・・。なんて思っていたら、まくし立てるように喋っていたお母さんがドンと机を叩きました。

「ちょっと! 話聞いてるの!?」

 流石によそ見をしすぎたみたいで、お母さんには私が呆けているようにでも見えたんでしょう。お母さんの暴言はどんどん勢いを増していきました。

「・・・そもそも、神の生まれ変わりの美佳をあなた方に任せたのが間違いだった!」「そこら辺のガキと娘では住む次元が違うんだ!」「カミをなんだと思っているのか」

 話は学校批判からスピリチュアルな意味の分からない話に変わっていって・・・。正直、聞くに堪えない話でした。

 もう嫌で嫌で、ふと、また障子戸の方を見ました。

 そこから見えたのは先程の祭壇と石ではなく、目。

 一瞬ビクッとしましたが、よく見ればソレは美佳ちゃんでした。彼女は障子戸の隙間から顔を半分出してこちらを覗いていたんです。

 初めはお母さんが声を荒げているのが聞こえて、心配になって見に来たのかなと思いました。でも、どうやら違うようなんです。

 彼女、笑っているんです。微笑んでるとかニヤけてるとか、そう言うんじゃなくて。くくっ、ふふっ、ってまるで笑いを堪えるようにして、人を小馬鹿にしているかのようにこちらを覗いているんです。

 彼女は何を笑っているのか。何か面白いものでもあるのか、見たのか。まさか、理不尽に怒られる私達を見て笑っているのか。いや、違う。彼女の目線は私達に向いていないんです。

 彼女の目線は未だに喚いているお母さんに注がれていました。身振り手振り交えて大仰に話す母の背中を見て、彼女は笑っているんです。

 あまりにも見つめすぎていたからでしょうか。私の視線に気づいた彼女と目が合いました。彼女は半顔を覗かせながら私に向かって


「わたしのこと、かみさまだとおもってるんだってぇ」

 

 そう言って、笑いました。

 目の前ではお母さんがこんなに声を荒げているのに、彼女の、美佳ちゃんの声はハッキリと聞こえて。でも私以外には聞こえていないようで。

 もう怖くて怖くて、思わず叫びながら立ち上がって部屋どころか家を飛び出してしまいました。


 その後の事はよく覚えていません。気がついたときには裸足で学校に戻ってきていて、学校に残っていた用務員さんにひどく心配されたのは覚えています。

 暫くして校長先生も戻ってきて、ひとしきり怒られましたが「そうなるのも無理はない」って一応の理解を示してくれました。どうやら校長先生は私がお母さんの暴言に耐えかねて逃げ出したと思ったみたいです。本当の事情を話すのは簡単ですが、どうせ信じて貰えないだろうと思い私は黙っていました。

 その後すぐに私は学校を、教師を辞めました。元々ストレスでおかしくなりそうでしたし、もう教師としてやっていける自信はありませんでしたから。


 ・・・話せることはこれくらいです。お力になれましたか? 

 え? その後、ですか?

 案の定、学校に電話が掛かってきたそうです。「話の途中で逃げるとは何事だ」って。でも私は訪問後すぐに休職して、後に辞めたので電話の対応はしていませんし、あの親子がどうなったのかは分かりません。

 ・・・・あなたは、あの親子についてお調べなんですよね?

 理由はお聞きしませんが、あまりオススメはしませんよ?

 あの親子は、何か恐ろしいものを抱えています。私達一般人では手に負えない何かを。私はその闇にこれ以上関わるのが嫌で学校を辞めましたから。

 それに・・・

 これはあくまで私の考えですが、私達は恐らく、だから私は教師を辞める選択をすることになりましたし、あなたは調査が進まないのかもしれない。うまく立ち回れないんです。

 すみません、意味が分からないですよね。私もどう言葉にしたら良いのか分からないので、こんな事しか言えないのですが。

 もう少し分かり易く言えば、

 見るべきものを見ていなかったのかも知れません。


 

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