第8話 資料⑥:元看護師の証言
私、つい先日まで看護師として働いていたんです。大学病院の小児科病棟で勤務していました。
私が勤めていた病棟は病状の重さによって四つの区画に分けられてて、私は一番病状の重い、所謂「末期」の小児患者が入院するA棟が主な職場でした。全身が麻痺して一切動けない子や点滴を絶対に切らしてはいけない子、毎日注射を欠かせない子など、デリケートな患者が多くて毎日大変でしたが、それでも日々懸命に生きようと頑張る子供達を支え命を繋ぐこの仕事にやりがいと誇らしさを感じていました。
・・・あれは確か、2000年の初め頃だったと思います。一人の女の子がA棟に転院してきたんです。名前は、
彼女は末期の肝臓癌で余命半年と宣告されていました。これ以上どうすることもできないので終末医療を受けるためにA棟に来て、申し訳程度の点滴と一日一回の注射を受けていました。
彼女自身はとても大人びているというか、とても達観していて。普通余命を宣告されていれば焦りとか不安で精神的に不安定になる子が多いんですけど、彼女は事実をしっかりと受け止めた上でとても落ち着いていて、それでいて大らかで人当たりの良い性格をしていました。だからか彼女の周りには自然と人が集まってきていつも和気藹々としていました。
私達看護師からも同じ入院患者からも好かれていた彼女ですが、一つだけ問題がありました。それは彼女自身に問題があったわけでは無く、彼女の親に問題があったんです。
どう問題があったか、と言うと・・・。彼女の親、特にお母さんがスピリチュアルな方でして。お見舞いに来ると必ず大きな声で「宇宙との親和が~」とか「祈れば病なんて吹き飛ぶ~」とか、周りなんかお構いなしに喚くんです。一緒にいたお父さんもただニコニコと見てるだけで。見かねた看護師が注意しにいくと、「親和が乱れる!」「これじゃあ治る物も治らない!」って怒鳴られて・・・。あまりに酷いときは警備の方を呼んで部屋から追い出してもらうこともありました。
でも、怒鳴られるのはまだ良い方で。一番困るのは「変な物」を持ってくるときです。彼女のお母さんは時々「病気が治る石」とか「幸運を呼ぶ人形」とか、薄気味悪い得体の知れない物を病室に持ってくるんです。ただでさえデリケートな子供達が入院している病棟に得体の知れない物を持ってこられるのは困るんですが、彼女はソレを病室に置いていくんですよ。何度もやめてください、って注意するんですが聞く耳持たずで。日に日に美佳ちゃんの周りには気味の悪い物が増えていきました。
・・・・穏やかなA棟に気味の悪い物が増えて、彼女のお母さんの出禁と物品の回収・廃棄を考えていた頃、美佳ちゃんと同室の男の子が突然亡くなりました。彼は美佳ちゃんと同じ末期ガン患者で余命一年を宣告されていたんですが、彼の死因はガンではなく、「自殺」でした。自分の首を刺したんです。いつもお絵かきに使ってた色鉛筆で。
彼だけでなく、今まで美佳ちゃんと仲良くしていた子達が続々と亡くなりました。それも皆、充電コードで首を絞めたり、トイレに頭を突っ込んだり、・・・千羽鶴を飲み込んだり、異様な死に方をしたんです。
A棟に勤めるほとんどの人が不審死の原因は美佳ちゃんの母親と、彼女が持ってきた物品のせいだと思ってました。でも、誰も指摘できなかったし物品を片付けようともしなかった。だって不用意に近づけば、今度は自分が死ぬかも知れないから。一番身近な私達看護師は戦々恐々としていましたよ。
・・・不審死の件以来、美佳ちゃんには近寄らないという暗黙のルールが看護師と患者の間にできました。一日の内接触するのは点滴の取り替えと注射、後は食事だけ。それらも極力目を合わせず一定の距離を保って行われました。今まで美佳ちゃんの元に遊びに来ていた患者もほとんどが亡くなり、残った患者も会わないように避けていたので、彼女の周りには誰もいなくなりました。
お見舞いに来ているお母さんは相も変わらず大声で喚いていましたが、勿論注意なんて恐ろしくてできません。ですから我々は彼女が喚こうが気味の悪い物が増えようが無視を貫きました。
しばらくして、美佳ちゃんが亡くなりました。死因はかねてより患っていたガンでした。
美佳ちゃんが息を引き取った日のことを、今でも私は鮮明に覚えています。
気味の悪い物で埋め尽くされた病室の真ん中、目を見開いたままベッドに横たわる美佳ちゃんのすぐ側で、あのお母さんは・・・、祈り始めたんです。大仰な紅い敷物の上で、縄の巻かれた30センチ台に向かって手を合わせて。「生き返らせて生き返らせて」「返して返して」って何度も呟きながら一心不乱に拝むんです。私は勿論、その場にいた看護師、死亡を確認した先生もその光景に言葉を失っていました。
美佳ちゃんが霊安室に運ばれるときも、運ばれた後でさえあのお母さんは拝み続けてました。A棟を統括する外科の先生が見るに見かねて「もういい加減にしてくれ!」って怒鳴ったんです。・・・その時の、お母さんの顔。
言葉ではとても表現できません。できないくらい、悍ましい顔でした。
怒っているのか、泣いているのか。とにかく我々に対して反感を抱いていることは確かでした。
彼女はのっそりと立ち上がると、外科の先生に向かって一言。
「美佳は、死んでない」
そう言って、彼女は覚束ない足取りで病室を出て行きました。先生も後ろから見てた看護師もしばらく動けませんでした。
これが、私が仕事で体験した最も恐ろしい出来事であり、私が看護師をやめた理由でもあります。当時は息子も小学生で、家計を少しでも支える為に我慢して仕事を続けましたが、息子が高校を卒業したのを機に満を持して辞めました。
もう、子供の看護なんてしたくありません。
あんな出来事にもう遭わないとは分かっていても、今でもあの日の美佳ちゃんの顔が、お母さんの顔が、フラッシュバックしちゃいますから。
※件のA棟はその後、封鎖されているという。
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