第25話 猿のマウント
結局のところ、役に立ったのはM社長の人脈であった。
少しではあるが、仕事が流れ込んで来たのである。
珍しくも二つ、似たような仕事を貰う。
一つは私が、もう一つはT氏とTちゃんが担当した。
急ぎ、との条件がついているので急いだ。二週間回路設計を頑張り、後一週間経てば、シミュレーション作業に入れると踏んだ。
「こちらの予定は・・」と宣言しておく。
シミュレーション用のパソコンは一台しかない。シミュレーションには時間がかかるので向こうの仕事と衝突するのは困る。今までの経験から必要な時間は三日程度。十個程度のブロックに仕上げた試験データを順々に流して、結果を見ながらさらに修正していく形となる。
こちらの予定を宣言しても、T氏から向こうの予定は返って来ない。別に仕事を急いでいる様子は無いので、衝突はしないのだろうと判断する。
さらに仕事が進む。
シミュレーション開始まで後三日。
「月曜から水曜までパソコンを使いますからね」
宣言しておく。やはり返事が無い。T氏はのんびりと漫画を読んでいるので、大丈夫だろうと判断する。
そしてその日がやってきた。出来上がったデータを手にシミュレーション・ツールが組み込まれているパソコンに向かう。
そこでT氏が宣言した。
「うちも月曜から水曜まで使う」
この馬鹿野郎。頭の中で毒づいた。そうならないように使う時期をわざわざ宣言してきたんじゃないか。いったい何を考えているんだこの人は。そうと判っていたら、日曜出勤をして、先にシミュレートしていたものを。疲れきっていたので日曜は休んでしまったのだ。そもそもT氏は土曜も日曜も休んでいる。
「だから半分づつ使おうよ」
何の反省も無くT氏は話を締めくくった。
今まで放置状態だったシミュレーション用のパソコンがいきなりの奪い合いだ。こちらは気を利かせて予定も公開しているのに、それにぶつけてくるコイツの頭の中が分からない。
どこまで馬鹿なんだ、この人は。そう思ったがこうなると提案通りにするしかない。スケジュール通りに使うなんて言おうものなら、向こうの遅れをこっちの責任にされてしまう。
だいたいシミュレーションの一回分の単位である二時間毎に交代で使うことになった。苛々しながら、向こうの実行時間が終わるのを待つ。試験データを目で再チェックするなどやることはあるが、待っている時間はまったくの無駄だ。
我慢、我慢、ひたすら我慢である。
ようやく空いた。こちらのデータを流し込み、動かし、結果をチェックする。
それの繰り返し。
夕方になった。相手が帰れば夜はパソコンを自由に使えるようになる。
ところがいつもなら定時に帰るT氏が帰らない。どうしたことだ。
夜の十時になった。そろそろT氏の終電が近い。今度こそ帰るだろう。
「ケエロケエロ」T氏がカエル鳴きをする。
「今夜は私は徹夜です」夜の間、パソコンをフルに使えば何とかなるだろう。
「じゃあ、俺も徹夜する」T氏が答える。
馬鹿野郎。またもや頭の中で叫んだ。お前は俺の邪魔をするために生きているのか?
ここでお前が徹夜する意味があるのか?
交互に使うなら、昼と夜で分ければ二人で徹夜する必要なんか欠片も無い。
仕方ない。今日は帰って、明日徹夜しよう。
「では私は帰るのでパソコンはご自由にお使いください」
「じゃあ、俺も帰るわ」T氏が言い放った。
「それなら私が今夜徹夜します」
「なら俺も徹夜する」
馬鹿の極みである。いったいこいつ何を考えている?
そのまま徹夜に入った。
ストレス倍増である。
夜が明けた。
「徹夜したんですか」出勤してきたTちゃんが尋ねる。
見りゃ分かるだろ。役に立たないものは黙っていろ。相当かりかり来ている頭の片隅で声がした。
その日もじりじりと進み、また夕方になった。
今日こそはT氏は定時で帰るだろう。そしたら、パソコンを占有して仕事を一気に片付ける。
ところがT氏は帰らない。時間は過ぎ、またもや終電定時が近づいて来る。
「ケエロケエロ」T氏がカエル鳴きをする。
「今夜も徹夜です」デジャブだ。『今夜は』が『今夜も』になっている。
「じゃあ、俺も徹夜する」
いい加減にしろ。頭に血が上ったところで、はっと気付いた。
T氏はこちらの仕事に張り合っているのだ。M社長に自分を売り込むために。私が二連徹をやって、自分が徹夜だけとなると、頑張っていないとみなされると。
馬鹿もここまで来ると大したものである。いや、別に感心する気はない。
普段はゲームをして遊んでばかりいて何の手柄も立てないし立てる気も無いくせに、こういうところでは張り合う。
わずか従業員三人の会社の中でマウントを取り合う。そんなことには何の意味もない。
邪魔をするのは止めてくれ。俺はただこの仕事を片づけて、帰って眠りたい。
結局、次の日の昼ごろ、仕事は終わった。
データをまとめて、提出して、それから帰る。T氏もほぼ同じ頃に帰った。別にこちらに合わせる必要なんか無いのに。
次の日、まだシミュレーションをしているT氏を見ながら、本当はT氏の仕事の締切なんか関係なかったことを知る。やはり単なるパフォーマンスに過ぎなかったのだ、あれは。
あるいはこちらの仕事を邪魔して、それ見たことかこいつは俺が管理しないと駄目なんだと社長に言いたかっただけなのか。
無意味な権力欲。こういう人とはもう組んでいたくは無い。
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