第24話 外回り

 会議での言葉に一番心動かされたのはM社長であったらしい。


 『営業』に檄が飛んだ。

 T氏がここ数カ月で初めての営業回りに出ることになったのである。


「それで君にも一緒に行って貰いたいんだ」

 へ?

 T氏は一人で営業に行くのは心細かったらしく、こちらまでお供することに。


 そりゃずるくありません?

 自分は『営業』だから、と散々仕事をサボって、というより何もしなかった癖に、いざ営業回りに出るとなると『技術』を引っ張り出すなんて。

 それに私、設計作業で忙しいんですが?

 まあ、仕方が無い。ついて行くことにした。すべての後始末は私のところに来る。


 某F社の古い知り合いを訊ねることになった。

 飛び込み営業じゃないんだと呆れた。古い知り合いを訊ねるだけなんだ。それならこの人じゃなくて人見知りの私だけでもできる。

 これがこの人にできる精一杯の営業であるらしい。


 まずは例の新パソコンの起点となったU氏だ。今はF社の中央にいる。

 こんにちわ~。アポを取り顔を合わせる。八年は経つがあれから少しも変わっていない。他愛もない近況話をする。

 こちらにはこいつが居ますから、と頻りにT氏が宣伝する。

 私が居ることを必死に宣伝しても何の助けにもなるまいと思った。

 私は一緒に働いた同僚にはスーパーマンに見えるらしい。その反面、上司や他部門にはただの不愛想なアホウに見えるという不思議な性質を持っている。

 自己アピールの方が実力よりも重要だという証拠である。

 U氏とはただの顔見知りに過ぎない。共にいる同僚はともかく、私の仕事振りをU氏は知らない。だからT氏の言葉はまったくの無意味である。


 会話の途中でTM氏が入って来る。この人は半導体事業部の時代からずううっとU氏の上司をやっている人だ。言わばU氏の手柄を吸い上げて本体事業部に栄転した人である。

 TM氏はこちらの話を聞くと、口を開いた。

「ではそちらの会社の得意な点などを書面にして提出してください」

 ああ、駄目だ。そう思った。

 杓子定規な返答。見事なまでのやる気の無さ。知り合いを助けようなどという気概は微塵も無い。

 だいたい外注一切停止命令が出ているF社関係を訪れても仕事が出てくるわけもないのだ。

 失望とともに帰社する。



 次はN氏だ。パソコン時代の出来る課長。

 アポを取り、開けた応接室で待つ。

 途中、別の知り合いがそこを通りかかる。

「おうお前、女にでも成ったのか」

 ポニーテールにした私の髪を評しての最初の一言がそれだ。

 この人も期待できない。口が軽くて軽率なだけの人。適当に名刺を渡すが、その名刺が生きることは無いとは判っている。

 N課長が来た。しばらく会話をする。こちらの成否は不明である。


 そこで人脈が尽きた。『営業』とやらは終わりである。


 自分一人で昔の飲み友達を引っ張り出し、飲み営業をする。

 一人は俺には人脈という財産があると豪語する人だ。この人は一人で酒を飲むのが寂しいのか下らぬ嘘を吐いてまでやたらと人を誘う。だが、人に酒を奢ったことは一度も無い。そういう人だ。

 それなりの地位についていたので、少しは期待した。

「何か仕事をくださいよ」酒の力を借りてそう言った。

 一言だけ返事が返って来た。

「口座ある?」


 F社は口座制を取っている。取引相手はすべて口座という名の登録を行う必要がある。登録には審査が必要でこの審査がやたら厳しい。小さい会社ではまず取得は無理である。その名目は口座の登録には実費として百五十万円かかるからと説明されている。情報の登録にそれだけのお金がかかるなら、銀行始めどんな会社も成り立つものではないから、もちろんこれは単なる口実である。

 下請けとは言え小さい取引相手をもちたくないというのが本音である。何かあれば外注一切停止という地雷を抱えている会社が何と傲慢なこと。


 つまるところ、こういうセリフが返って来るのは体の良い断りの言葉だ。口座が無くても口座を持った会社に手数料を払って仲介を頼むという手があり、それは良く使われている手段なのである。迂回しようと思ったらどうにでもできるものなのである。

 それで話は終わった。

 駄目だ、この人は。ただの酒飲みだ。お酒を飲むだけの、それ以外は何もない人だ。

 無数の名刺を入れたバインダーを持ち歩き、それを見せびらかしてこれが俺の人脈だ財産だと豪語するのが趣味の人なのだが、その人脈とやらがどんなものなのかが良く分かる。

 相手のために指一本動かさない、慰めの言葉一つ言わない人間関係のどこが人脈だ?


 大変に失望した。それ以来、この人とは会っていない。

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