第19話 悩みの種

 本格的な夏が来て、部屋の中が耐えがたくなった。

 腋臭である。T氏の腋の下から強烈な臭いが放たれる。フケだらけの頭を見ても判る通り、T氏は清潔に気を使う人ではない。自分の腋臭に気付いているのかどうかは不明だが、今までの人生で指摘されなかったわけが無いので、知っているはずであった。

 特に最近は家庭の中で何かトラブルが起きたらしく、風呂にもマトモに入っていないようだ。


 2DKの部屋は今までの仕事場としては一番小さい。某F社の喫煙室も小さかったが、あのときはタバコの臭いでごまかされていた。

 だが今はこの狭い部屋の中が腋臭で満ちている。


 臭い。

 臭い。

 くさい。

 死んでしまえ。

 臭い。臭い。臭い。

 とっても臭い。

 死んじまう。

 口で息をしても臭いから逃げられない。

 臭い。臭い。臭い。

 いっそ殺してくれ。


 強烈な臭いに涙が出て来た。朝の通勤ラッシュを越えて来たなら、ここは風呂場があるのだからシャワーの一つでも浴びてくれれば良いのだが、もともとそういう感覚は無いのだから、するわけが無い。


 休憩と称して部屋を出る。一フロアに3つの部屋。その小さな廊下のどこにも逃げようが無い空間で息を継ぐ。

 こんな目に遭わねばならないほど悪い事を私はしてきたか?



 呼吸をしないようにして席に戻ると今度はため息だ。

 30秒毎にT氏がため息を吐く。

 ボーナスでないよ、ふう~。

 将来が不安だよ、ふう~。

 ゲームも飽きたよ、ふう~。

 退屈だよ、ふう~。


 ため息というものは吐いている本人はストレス軽減になるが、聞かされている人間に取ってはは気鬱になる。いわば音による嫌がらせだ。

 お前が悪いんだぜという暗黙の押し付けが含まれているせいだ。


 ため息吐く暇があったら飛び込み営業でも行けや。このボケぇ。

 ボーナスが欲しいなら仕事取って来いや。この怠け者ぉ。

 ため息一つで金が稼げるのか、このバカたれがぁ。

 言いたい。言えばすっきりするだろう。

 だが言えない。この人は自分が悪くても根に持つ人だ。これ以上雰囲気を悪くしても仕方がない。


 T氏と行くなんて不幸な人。かっての同僚たちは私のことをそう噂しているらしい。

 それでも意地を貫いて生きてやるさ。そう誓って歯を食いしばった。

 しかし臭いものはやっぱり臭い。

 頑張れ、俺。夏が終わるまでの我慢だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る