第9話 嵐の前の静けさ

 日常が流れていく。必死で仕事をしている私の横で、T氏は机の前で技術雑誌を読んで一日を過ごしている。退屈そうな顔で古株二人も自分たちの仕事を進めている。一週間に一度、M部長がやってきて、車で本社の技術部へ行くと、そこで会議を行うのが気休めと言えば気休めである。


 仕事は進む。回路の入力が終われば、次は試験情報の入力だ。これがまた膨大な量があり、辟易する。

 私は本来ひどい面倒臭がり屋ではあるが、それでも仕事の手は抜かない。これこそ職業意識である。

 試験情報は0と1で構成された信号の塊で、入力と出力の組が正常かどうかを確認しなくてはならない。

 一人でこれらすべてをやると抜けができるのが怖いのだが、面倒臭がり屋のT氏にクロスチェックを頼んでもやるはずが無いので、全部自分の責任として行う。

 精神の中に『何も知らない空白の自分』を作り出し、その自分に内容を検査させるのだ。人格を二つ同時に維持するのは恐ろしく疲れるがT氏がやらないので仕方がない。これから先もこの状態が続くのかと思うとうんざりした。

 仕事の相棒を選び間違えるとは・・。

 例えばここでT氏を説得して仕事を手伝って貰うようにしたとして、一日中文句を垂れながら仕事をされるのもこれも気鬱の一言。


 こうなれば仕方が無い。取るべき手段はひとつ。


 使える人間の数を増やすのだ。

 前の会社の連中に声をかけ、同時にM部長に働きかけて、引き抜き工作をして貰う。使える人間が増えれば、その分、負担は減る計算だ。

 かっての同僚を飲み会に誘い、現状を説明する。

 S氏が笑いながら言った。

「いや、T氏と一緒に移るなんて、不幸だな、とみんなで噂していたんですよ」

 彼らの方がT氏に近いところにいたので、T氏が仕事をしたがらないのを良く知っていたらしい。追い込まれると仕事をするが、すぐに他人にその仕事を押しつけて、自分は本でも読んで過ごすのがT氏のスタイルらしい。暇を潰すために技術雑誌を読むので、自ずから最新技術の話題だけは豊富となり、上司の受けが良いというおまけ付きである。

 そう言えばT氏が前の会社を辞めるとき、人事部が会社を辞める原因を訊いた。そのときに社宅が貧相であることを指摘すると、では副社長が使っていた社宅が空いているので、それを世話しようと言われたと聞いたことがある。この人は上からの受けだけは良いのである。

 私はそれと真逆で、一緒に働いた人間からはスーパーマンと言われるが、上司に言わせると怠け者の不平屋だ。特に上司に対して媚びへつらわないのが腹が立つらしい。

 その結果が、辞めるのが当然とばかりに人事部に電話一本で蹴られたというオチに繋がる。それでも仕事だけは確実にこちらの方がこなしている。


 しかし、お前ら、と心の中で思った。

 T氏の所業を知っていたならどうして私が辞める前に教えてくれない。友達甲斐が無いぞ。

 いや正確には友達では無かったのかも知れない。


 とにかく、M部長との面接も進み事態は曲がりなりにも前進しているようには見えた。


 ・・だがその裏で導火線の火は静かに燃え進む・・

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る