第7話 伏線

 朝から晩まで必死に働いているこちらの横で、毎日自分一人だけ暇にしているのがさすがに気が咎めたのか、T氏が自分も回路を設計すると言い出した。

「じゃあ、俺、マイコンとのインタフェースを作るわ」


 当時のマイコンにはインテル社の86系とモトローラ社の68系と言われる二大系統があった。この2つのマイコンは外部チップとの接続を行うバスという機構の動作に少し違いがある。どちらでも使えるようにするのがこのインターフェース回路である。方式はほぼ同じなので簡単な回路だ。

 出来上がったのはわずかに1ページ分だけの回路図。

 こちらが書き上げたのは17ページ分だ。

 本当にこの人は楽なことばかりを人だな。そう思った。なるほどこれでは一人で会社を移籍するなんてできない。そもそも大会社から出てはいけないサボリーマンなのだ。

 私のように直属上司に虐められて会社を辞めるのは分かるが、この人はどうして辞めたのだろうと不思議だったが、この辺りにも理由がありそうだ。

 元の古巣ではおぶさりてぇの本質が皆に知れ渡ってしまったからではないのか?

 最近ではそう思う。


 当然と言えば当然だが、その内にまたもや暇を持て余したらしい。

「他に何かやることあるか?」訊いてきた。

「それなら回路のクロスチェックしてください。お願いします」

 クロスチェックとは、設計人員が二人で構成されていた場合、お互いがやった仕事の範囲を別の人間がチェックすることだ。設計した人間は自分の意識に囚われているために自分の間違いには気付き難い。目の前を間違いが通り過ぎても自分ではそれを正しいと思っているから発見できないのだ。だから設計の現場では必ずこうする必要がある。

 だが返って来たのは驚愕の一言だった。

「君を信じているから、いいや」


 ぐは、心の中で血を吐いた。何を言っているこの馬鹿野郎。

 この瞬間、T氏に抱いていたマトモな技術者というイメージが完全に崩壊した。

 どこの世界に、相手を信じている、の一言で仕事の手を抜く技術者がいる?

 これでミスがあって問題が生じたら、誰の責任になる?

 きっとその時は設計した私が悪いと声高に主張するんだろう。

 この作業部屋でマトモな技術者は自分だけ。暗闇の中にひとりぼっち。そんな感じがした。


 ともあれ、こういう人には口で言っても無駄だろうから、自分のチェックを三倍ぐらい厳しくして進むしかない。時間は余計にかかるが仕方ない。

 齢三十を越えて明らかな間違いを堂々と主張する人間は説得しても無駄という立場を私は取っている。忠告して判るぐらいなら、最初からそのような愚は犯さない。男子三日会わざれば括目してこれを見よ、との諺はあるが、実際には三十年経っても人は変化しない。赤ん坊のまま大人になる。


 トラブルの匂いがする。どこかで火が燃え広がっている。

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